「少年時代/井上陽水」 - オリコン4位を記録した代表曲! 井上陽水死亡説の真相は?
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- 2011年12月14日
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「リバーサイドホテル/井上陽水」 - 「カンドレ・マンドレ」でデビューした井上陽水の、オリコン11位を記録した1982年のヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ
今日は、「井上陽水」の「リバーサイドホテル」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。井上陽水(いのうえ ようすい、本名:井上陽水(いのうえ あきみ)、1948年8月30日 -)は、福
写真はこちらからお借りしました。
この曲は、1990年に発売された通算32枚目のシングルで、作詞は井上陽水、作曲は井上陽水、平井夏美です。
オリコンチャートにおいては、最高順位週間4位、1991年度年間25位、1992年度年間46位を記録しています。
また、この曲は、井上陽水の代表曲でもあり、1994年以降の中学校・高等学校の音楽教科書に何度も掲載されています。
それでは早速、「少年時代」をどうぞ。
少年時代/井上陽水
「少年時代」は、藤子不二雄Ⓐから依頼されて作られた曲
この曲は当初、荻野目洋子に提供したシングル「ギャラリー」のB面曲になる予定でした。が、B面にしてはとても良い出来であったため、この曲は「やっぱり自分が歌いたい」と、井上陽水が自分のシングル曲として発売することになったという経緯があります。
ゆうちゃん
えっ?
それじゃ、そのシングルのB面曲はどうしたの?
しんちゃん
やはり井上陽水が作った「ON BED」という即興曲に差し替えられたんだ
ゆうちゃん
すげえ!
即興で作ったんだ
さすが井上陽水だね
藤子Ⓐは、自らプロヂュースした「少年時代」という映画(1990年公開)の主題歌を、井上陽水に依頼したのです。
藤子Ⓐは、「ラララ…君と出会い君と笑い」というハミングで始まる自作の詞を陽水に渡し、作曲を依頼。
完成までかなり待つこととなりましたが、井上陽水から上がってきたデモテープは、藤子Ⓐが事前に抱いていたイメージ通りの素晴らしいものでした(ただし、藤子Ⓐが提供した歌詞は1行も使われていなかった)。
陽水陽水は、この詞について、「安孫子さんの心をもらった」とコメントしています。
「少年時代」は、SONYハンディカムのCMに採用されて大ヒット!
この曲は、発売当初はオリコンの週間シングルチャートでも最高20位程度でした。が、翌年の【俳句】リンク集1991年に、ソニーのハンディカムCCD-TR105のCM曲に採用されて大ヒットし、同年、TBS系列の大型エンターテインメント番組「ギミア・ぶれいく」内のドミノ倒し特集のエンディング曲としても使われます。
ソニー ハンディカム CCD-TR105
写真は、こちらから借りしました。
井上陽水死亡説の真相は?
井上陽水が死んだという噂があるようです。
これは、井上陽水が、かつての全盛期に比べてTVやラジオに登場する機会がめっきり少なくなったことと、70代という高齢になったことが理由ではないかと思われます。
それでは、井上陽水は、本当になくなっているのでしょうか?
答えを先に書けば、井上陽水は現在も存命で、死んだという噂はデマです。
このデマが発生した理由には、井上陽水と名前が似ている有名人や、井上陽水と親交のあった有名人が死亡したことがあります。
訃報(ふほう)の見出しに、井上陽水の名前が併記(へいき)されることもあるため、記事を目にした人が井上陽水本人が死んだと勘違いする人が生まれました。
また、無声映画の語りや解説を行なう弁士(べんし)として活動した「井上陽一」の訃報がネットニュースに流れました。
出典:https://www.tokyo-np.co.jp/article/87278
「井上陽一」さんの死因は肺炎で、享年(きょうねん)82歳でした。
名前が似ていることから、井上陽水と混同してしまう人が現れたものと思われます。