「花鳥風月/一世風靡セピア」 - 「前略、道の上より」でデビューした一世風靡セピアの1987年に発売されたシングル
- 名曲紹介
- 2011年01月27日
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今日は、一世風靡セピアの「花鳥風月」のご紹介です。
写真は、こちらからお借りしました。
一世風靡セピア(いっせいふうびセピア)は、1980年代に活躍した男性路上パフォーマンス集団・劇男一世風靡から派生したユニットです。
メンバー は、小木茂光(おぎ しげみつ、リーダー)、哀川翔(あいかわ しょう)、柳葉敏郎(やなぎば としろう)、松村冬風(まつむら ふゆかぜ)、西村香景(にしむら かけい)、春海四方(はるみ しほう)、武野功雄(たけの いさお、中途退団)です。
一世風靡セピアは、1984年4月25日に、「今、我に正直に生きてみたい」でポスターデビュー(2万枚限定)し、その後音楽活動を開始します。そして、「前略、道の上より」や「汚れつちまった悲しみに」などのヒット曲を出しますが、1989年に解散します。
今日は、そんな一世風靡セピアの、1987年1月1日に発売された「花鳥風月」をどうぞ。
花鳥風月/一世風靡セピア この曲の歌詞はこちら。
いやー、シブいですねー。(^o^)
この曲は、花鳥風月が発売した曲の中で、私が一番好きな曲です。
もう何度聴いたか、数え切れません。(^^)
Well, it's cool! (^o^)
This tune is my favorite of all the tunes released by Kacho-Fugetsu.
I can't count how many times I've listened to this. (^^)
一世風靡セピアの誕生の経緯とユニット名の由来
一世風靡セピアは、「劇男一世風靡」の中で、上の者が、「歌やりたいヤツ手挙げろ」
とレコード発売などの活動をしたい者を募ったところ、手を挙げたのがこの7名で、そのまま一世風靡セピアとして結成されました。
この名前について、「SHIBUYA」のツアーパンフレットにあった柳葉のコメントによれば、
「それぞれの色を持った奴らを混ぜ合わせたらどんな色になるだろう」
というのがセピアの由来のひとつだったとしています。
NHK「紅白歌合戦」の主演依頼を蹴った一世風靡セピア
また、「夜のヒットスタジオ」への初出演が決まった際、「来日アーティストのように、階段からメンバーが降りてくるような特別待遇にしろ」
との希望が通ったため、NHKから「紅白歌合戦」の出演依頼が届いた際にも、
「劇男一世風靡として寸劇を披露している渋谷のNHK前広場からの生中継にしろ」
との希望を出しましたが、あっさり拒否されたという話を、哀川翔が自著「俺、不良品」の中で書いています。
この時、メンバー内でも出るか出ないかを話し合いましたが、その結果、出たい者が3人で出たくない者が4人でした。
そのため、結果的に出演依頼を断ったのですが、哀川翔は「あんとき、出ときゃ良かった」と語っています。
なお、1984年の『ゆく年くる年』には出演しています。