「愛のメモリー/松崎しげる」 - 最優秀歌唱賞とオリコン週間2位を記録したヒット曲! 制作秘話~曲制作からヒットまで~も紹介
- 名曲紹介
- 2011年01月18日
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今日は、松崎しげるの「愛のメモリー」のご紹介です。
写真はこちらからお借りしました。
松崎しげる(まつざき しげる、本名:松崎 茂幸(まつざき しげゆき)、1949年11月19日 - )は、東京都江戸川区出身の歌手、俳優、タレントで、通称は「マツ」です。
松崎しげるは、1976年にスペインのマジョルカで開催されたマジョルカ音楽祭に『愛の微笑』で出場し、見事最優秀歌唱賞と第2位に輝きます。
その翌年、改題されCMソングとして発表された「愛のメモリー」が大ヒット。同曲は数々の賞に輝き、第28回NHK紅白歌合戦にも初出場を果たします。
それでは早速、その「愛のメモリー」をどうぞ。
愛のメモリー/松崎しげる
いやー。素晴らしい曲! 素晴らしい歌唱ですねー。(^O^)
この曲は、オリコンチャートにおいて週間2位、1977年度年間18位、1978年度年間87位を記録しています。
「愛のメモリー 」制作秘話~曲制作からヒットまで
1976年に、ビクターレコードのディレクターが、スペインのマジョルカで開催される「マジョルカ音楽祭」を知り、この音楽祭に参加するために楽曲を制作することを決意します。曲は、これまでなかったスケールの大きなものになるため、歌手は松崎しげるに白羽の矢が立ちます。
ディレクターは、楽曲はフランク・シナトラの「マイ・ウェイ」のようなラブ・バラードが最適と判断し、作詞をたかたかし、作曲を馬飼野康二に依頼。
たかたかしは『万葉集』から、藤原鎌足が采女安見児を得たときに詠んだ歌「われはもや安見児得たり皆人の得難にすとふ安見児得たり」を基に、馬飼野康二はヘンリー・マンシーニの「ひまわり」を参考にして楽曲を完成し、曲は「愛の微笑み」と名づけられました。
結果、音楽祭では、松崎しげるの圧倒的な歌唱力とステージ・パフォーマンスで、この「愛の微笑み」は松崎しげる自身に最優秀歌唱賞を、そして総合では第2位を記録しました。
しかしながら、この曲や松崎しげるの歌唱に対する日本での対応は冷ややかで、松崎しげる自身がテープを持参して曲の宣伝を行なうこととなります。
やがて、松崎しげる自身の売り込みが功を奏し、江崎グリコのアーモンド・チョコレートのコマーシャルソングに採用され、1977年に三浦友和と山口百恵の共演するCMのバックに流れると、この曲は俄然(がぜん)注目され、同年8月に歌詞を一部改変し、「愛のメモリー」として発売されると瞬く間にヒット。
松崎しげるはこの曲で、同年大晦日(おおみそか)の晩に行なわれた『第28回NHK紅白歌合戦』に初出場も果たしたのです。
またこの曲は、1978年春の第50回選抜高校野球大会の行進曲にも採用。
かくして、かつて高校球児だった松崎しげるは、開会式のゲストという形ながらも、憧れの甲子園球場に出場を果たすことになったのでした。