「負けないで/ZARD(ザード)」 - ドラマ『白鳥麗子でございます!』第1シリーズのエンディングテーマ! オリコン1位&ミリオンセラーとなったヒット曲! 曲の制作秘話も紹介!
- 名曲紹介
- 2019年09月26日
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ZARD(ザード)は、作詞・ボーカルを務めていた坂井 泉水(さかい いずみ、本名:蒲池 幸子(かまち さちこ) 1967年2月6日 - 2007年5月27)を中心とした音楽ユニットです。
坂井 泉水
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ZARDの坂井 泉水は、1990年代に女性ボーカルとしては最も多くのCD売上げ枚数を記録しており、シングルでは「負けないで」「揺れる想い」「マイ フレンド」がミリオンセラーとなっています。
また、アルバムでは、9作が連続でミリオンを達成しており、史上最多記録となっています。
ZARDは、1993年に通算6枚目のシングル「負けないで」が自身初のオリコンチャート1位獲得しミリオンセラーを記録。
その3ヶ月後に、通算8枚目のシングル「揺れる想い」もミリオンセラーを記録。
この2曲を収録した4thアルバム「揺れる想い」が200万枚超の売り上げを記録し、この年の年間オリコンアルバムチャート1位を獲得。ビーイングブームの代表格となりました。
そしてまた、この年のオリコンアーティストトータルセールスの1位も獲得しています。
今日は、それらのヒット曲の中から、1993年1月27日に発売された通算6枚目のシングルである「負けないで」をどうぞ。
負けないで/ZARD
この曲の歌詞はこちら。
ひらがな付きの歌詞はこちら。
聴いていると、スゴく元気のでる曲です。ヘ(^o^)ノ*
この曲は、前作「IN MY ARMS TONIGHT」から約4ヶ月ぶりのシングルで、表題曲は松雪泰子主演のテレビドラマ『白鳥麗子でございます!』第1シリーズの主題歌に起用されており(この曲は同シリーズのエンディングテーマに使用)、ZARDがドラマ主題歌を手掛けるのは前作に続き2作連続となりました。
「しらけ鳥麗子でございます!」
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「負けないで」は、2作ぶりに織田哲郎が作曲を手掛けたもので、もともと織田哲郎のアルバム用の楽曲でしたが、坂井の詩をつけて歌ってみたところ非常に好評なためシングル化されました。
クレジット表記はされていませんが、この曲のコーラスに大黒摩季が参加していることが、坂井の死後に明かされています。
またこの曲は、2010年には「2010年バンクーバーオリンピック」に因(ちな)んだNTTドコモのCM『応援 in バンクーバー篇』のCMソングに起用。
また、オリコンの週間チャートで初登場2位となり、その後もトップ3を維持し、4週目で首位を獲得。
初登場から、10週連続トップ10入りを記録しています。
年間チャート6位を記録したZARDの最大のヒット曲であり、ZARD大ブレイクのきっかけとなった楽曲であるほか、1994年のJASRAC賞においても銅賞を獲得しています。
「負けないで」制作秘話
この曲は、もともとは織田哲郎のアルバム用の楽曲でした。が、坂井の詩をつけて歌ってみたところ、非常に好評だったため、シングル化されました。
織田哲郎の曲は、特にイメージや設定もなく、自然に出てきたメロディーでしたが、坂井泉水の歌詞がはまった瞬間、プロデューサーの長戸大幸は「これは売れる!」と確信したといいます。
長戸大幸によれば、この曲の歌詞は、恋よりも夢を選んで遠くへ行ってしまう相手を応援する「遠距離恋愛」の歌でした。
ディレクターの寺尾広は、「このメロディーはこの言葉を言っている。そうとしか聞こえない」という話を坂井から聞いたといいます。この話がどこまで本当なのか尋ねてみると、微笑みと共に「秘密です」と返されたといいます。
坂井泉水は、この曲のレコーディング中に、”最後まであきらめないで”から”最後まで走り抜けて”と歌詞を書き換えており、この楽曲について「当時、何作かずっと恋愛の詞ばかり書いていたので、今度は違うタイプの詞も書きたいなと思っていた矢先でしたので、このテンポ感のある曲を聞いたときに"応援歌っぽいな"ってすぐにイメージが湧いてきて一気に書き上げました。いつものシングルに比べてすごく自分でも楽しみながら書けた一曲です。」と語っています。
当時のスタッフも、「発売された時期的にも団塊ジュニア世代の受験生に向けてというコンセプトでした」と語っています。