「盆帰り/中村雅俊」 - 長期にわたって上位にランクインしたロングセラー作品
- 名曲紹介
- 2018年08月05日
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写真は、こちらからお借りしました。
中村雅俊(なかむら まさとし、1951年2月1日 -)は、宮城県牡鹿郡女川町(おしかぐんおながわちょう)の歌手、俳優です。
中村雅俊は、1973年、文学座附属演劇研究所に入所し、翌年、大学卒業と同時に文学座に入団。
同年、日本テレビ系列で放送された青春ドラマ「われら青春!」の主役に抜擢されて人気を得、その番組で自らが歌う挿入歌「ふれあい」が100万枚を超えるセールスを記録します。
その後、「太陽にほえろ!」第84話「人質」(1974年2月22日・NTV系列・東宝・長谷川医師・テレビ初出演作)、「われら青春!」(1974年4月7日 - 9月29日・NTV系列・沖田俊・本格デビュー作)、「俺たちの旅」(1975年10月5日 - 1976年10月10日・NTV系列・津村浩介)、「夜逃げ屋本舗」(1999年1月13日 - 3月17日・NTV系列・源氏雅彦)、スペシャルドラマ「家族が家族であるために」(2012年3月28日、BS-TBS・安達修一)など、多くのドラマ・映画・CM・舞台などに出演しています。
そして、現在に至るまで、毎年コンサートツアーを敢行。その数は1300回を超え、いずれも大きな成功を収めています。
今日は、そんな彼の多くのヒット曲の中から、1976年5月25日に発売された5枚目のシングルである「盆帰り」をどうぞ。
盆帰り/中村雅俊
この曲の歌詞はこちら。
この曲の作詞・作曲は、ともに小椋佳です。
「盆帰り」は、前述したように1976年(昭和51年)5月に発売され、翌月の6月から8月にかけてヒットしました。
一番売れた月は7月上旬ですが、それ以降も長期にわたって上位にランクインした、ロングセラー作品です。
この曲の主題になっている季節にも、ランクインし続けていました。
中村雅俊は、2011年に起こった東日本大震災で、この曲への思いも変化しており、
「女川って町は小さな港町だから、もっと広い世界を見たいと思って、高校卒業後に町を出たんです。だけど震災後は、俺は女川の人間だから支えていかなきゃダメだって地元意識が強くなりました。微力ですけど、俺にできることがあるなら……と、できる限り被災地に足を運んでいるのですが、行くたびに音楽が持つ力を再確認させられます。大学時代に作って、2枚目のアルバムにも収録されている『私の町』という女川を歌った曲を歌うと、みなさん泣いて喜んでくれるんですよね。俺が役者1本だったり、『ふれあい』だけの一発屋だったらこうして多くの方とふれあえなかったはず。だから歌を続けてこられて、幸運な男だなって思います」
と、2017年のインタビューにおいて述べています。
この曲の歌詞はこちら。
この曲の作詞・作曲は、ともに小椋佳です。
「盆帰り」は、前述したように1976年(昭和51年)5月に発売され、翌月の6月から8月にかけてヒットしました。
一番売れた月は7月上旬ですが、それ以降も長期にわたって上位にランクインした、ロングセラー作品です。
この曲の主題になっている季節にも、ランクインし続けていました。
中村雅俊は、2011年に起こった東日本大震災で、この曲への思いも変化しており、
「女川って町は小さな港町だから、もっと広い世界を見たいと思って、高校卒業後に町を出たんです。だけど震災後は、俺は女川の人間だから支えていかなきゃダメだって地元意識が強くなりました。微力ですけど、俺にできることがあるなら……と、できる限り被災地に足を運んでいるのですが、行くたびに音楽が持つ力を再確認させられます。大学時代に作って、2枚目のアルバムにも収録されている『私の町』という女川を歌った曲を歌うと、みなさん泣いて喜んでくれるんですよね。俺が役者1本だったり、『ふれあい』だけの一発屋だったらこうして多くの方とふれあえなかったはず。だから歌を続けてこられて、幸運な男だなって思います」
と、2017年のインタビューにおいて述べています。