「ビューティフル・ヨコハマ/平山三紀」 - のちに「真夏の出来事」がヒットする平山みきのデビュー曲
- 名曲紹介
- 2018年04月18日
- Comment:0
- Edit
写真は、こちらからお借りしました。
平山 みき(ひらやま みき、旧芸名:平山 三紀、1949年8月22日 -)は、東京都大田区出身の歌手です。
実姉は、ミス・エールフランスコンテストに合格後松竹の女優となり、後に歌手として活躍した平山洋子(芸名は園江梨子→園えり子→平山洋子と改名)。
平山 みきは、1970年(昭和46年)に、「ビューティフル・ヨコハマ」でデビューをします。
その鼻にかかった強烈なハスキーボイスが、当時は話題を呼びます。
翌年の1971年に、当初はB面になる予定だった「真夏の出来事」を発売。
この曲は、オリコン最高位5位の大ヒットとなります。
続いて発売された「ノアの箱舟」も、10万枚を売り上げるヒットとなり、この曲で平山 みきはスター歌手への仲間入りを果たします。
今日は、そんな平山 みきの、1970年11月10日に発売されたデビュー曲である、「ビューティフル・ヨコハマ」」をどうぞ。
ビューティフル・ヨコハマ/平山三紀
この曲の歌詞はこちら。
この曲は、オリンコンチャートで64位を記録しています。
平山 みきの初期の楽曲は、ほとんどが作詞家・橋本淳と作曲家・筒美京平のコンビによる作品で、当時は「筒美京平の秘蔵っ子」的な存在と言われました。
デビュー前の平山みきは、橋本淳と筒美京平がホテルニュージャパン内に構えていた宝島音楽事務所へ、歌のレッスンに通っていましたが、そこで初めてのオリジナル曲『ビューティフル・ヨコハマ』と『さよならのブルース』を渡されます。
筒美京平は当初、バラードである『さよならのブルース』をA面に考えていましたが、話し合った結果、2年前に発表されたいしだあゆみの『ブルー・ライト・ヨコハマ』の続編的な路線を意識して作られた『ビューティフル・ヨコハマ』を、A面曲に決定。『さよならのブルース』はB面曲として発売されます。
このレコードジャケットの写真は、山下公園で撮影されたものです。
また、『ビューティフル・ヨコハマ』の二番の歌詞に出てくる人名「ハルオ」は橋本淳の息子(音楽プロデューサーの与田春生)の名前、「ゼンタ」は筒美京平の息子の名前です。
平山 みきは、その後もアルバムでは1981年(昭和56年)に近田春夫のプロデュースで「鬼ヶ島」、1987年(昭和62年)には「キャバレー・ガール」、そして、1993年(平成5年)にはサンディー&サンセッツとのコラボによる「平山みきのエキゾチカ大魔境」と意欲的な作品を発表し続けます。
また、シングルも1987年に出した「冗談じゃない朝」で再びクローズ・アップされ、2001年(平成12年)には新曲「パーフェクト・サマータイム」を発売するなど、スローペースながらも現在も音楽活動を続けています。