「さよならルンバ/二葉 あき子」 - 1948年に発売されたヒット曲
- 名曲紹介
- 2017年07月04日
- Comment:0
- Edit
写真は、こちらからお借りしました。
二葉 あき子(ふたば あきこ、本名:加藤芳江 1915年2月2日 - 2011年8月16日)は、広島県広島市の女性歌手です。
二葉 あき子は、広島県立広島高等女学校(現在の広島県立広島皆実高等学校)を経て、1935年に東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)師範科卒業します。
音楽学校に在籍中、東京音楽学校の奏楽堂で、同校に通う期待の生徒・増永丈夫の美しいバリトンを聴いて感銘を受けます。
その増永丈夫は、すでに藤山一郎として流行歌手として名をなしていました。
二葉 あき子のレコードデビューは、在学中にコロムビアで吹込んだ教育レコードで、卒業後は、地元の広島の三次高等女学校(現在の広島県立三次高等学校) で教鞭をとります。
教師時代も、上京して学校用教材のレコードを吹込みます。
そして、1936年の春に、コロムビアの専属となります。
最初に発売したレコードは、「愛の揺り籃」でした。
その後「あの夢この夢」「月に踊る」「乙女十九」などで世に知られるようになり、1939年に、松竹映画『春雷』の主題歌「古き花園」が大ヒットしたことで、人気歌手としての声価を得ます。
これ以後、彼女の歌う多くのブルースがヒットするようになります。
また戦時中は、歌手として慰問活動をしています。
今日は、そんな二葉 あき子の、1948年11月に発売された「さよならルンバ」をどうぞ。
「さよならルンバ」二葉あき子 投稿者 sfgk1
戦後は、「別れても」「夜のプラットホーム」「恋の曼珠沙華」、今日ご紹介した「さよならルンバ」、「村の一本橋」など、多くのヒット曲を放ち、特に1950年に発売された「水色のワルツ」は、綺麗なメロディーに二葉あき子の歌唱が良く合い、人々に潤いをあたえます。
NHK紅白歌合戦にも、1951年の第1回から1959年の第10回まで10回連続出場し、第6回では、代表曲のひとつである「バラのルムバ」で紅組トリを務めるなど、渡辺はま子・淡谷のり子・松島詩子・笠置シヅ子と並んで、創世記の紅白を代表する女性スターでもありました。
また、懐メロ歌手として、21世紀を超えてもなお活躍しましたが、2003年夏にファンのつどいにて引退を宣言し、故郷の広島に帰郷します。
引退した理由としては、難聴が進行し、バンドの演奏の音が聞き取りづらくなったことが理由であると伝えられています。
なお、曲名に同じく”ルンバ”がつく名曲としては、西田佐知子の「コーヒールンバ」があります。
もしもお時間が許せば、こちらも是非お聴きになってみてください。(^^)
「コーヒールンバ/西田佐知子」 - 1961年にメガヒットしたカバー曲|Super源さんの音楽ブログ
今日は、西田 佐知子の「コーヒールンバ」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。西田 佐知子(にしだ さちこ、本名:関口 佐智子。1939年1月9日 - )は、大阪府大阪市城東区出