Super源さんの音楽ブログ

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「バレンタイン・キッス/国生さゆり」 - おニャン子クラブ大ブームの中、約30万枚の売上げを記録したヒット!

今日は、国生さゆりの「バレンタイン・キッス」のご紹介です。

バレンタイン・キッス 国生さゆり ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

国生 さゆり(こくしょう さゆり、1966年(昭和41年)12月22日 -)は、鹿児島県鹿屋市の女優・タレント・歌手です。

国生 さゆりは、1985年(昭和60年)4月に、おニャン子クラブ会員番号8番として、「夕やけニャンニャン」開始とともにデビューをします。
そして、翌年の1986年(昭和61年)に、シングル曲の「バレンタイン・キッス」でソロデビュー。

国生 さゆりは、学生時代は陸上部のキャプテンを務めていたことに加えて、「夕やけニャンニャン」開始時には既に学生ではなかったことから、夕方5時放送開始の番組には日中のリハーサルから連日参加し、陸上部のキャプテン時代とリハーサルで得た体験を交えつつ、自発的に歳下の学生メンバーに指導するなど、自然とおニャン子クラブのリーダー格となっていきます。

しかしながら、この頃のおニャン子クラブは、「セーラー服を脱がさないで」をフロントで歌う4人-新田恵利、中島美春、福永恵規、内海和子-にスポットが当てられている感じだったため、その後ろで、その他大勢の1人として踊っている国生さゆりがおニャン子クラブの一員であることは、世間一般ではまだまだ認知されていませんでした。

が、デビュー後1年たった1986年に、ようやくそんな国生さゆりにも運がめぐってきます。
2月1日に、国生さゆりwithおニャン子クラブ(国生のサブボーカルとして、白石麻子・渡辺美奈代がつく)名義のもと、「バレンタイン・キッス」でソロデビューすることになったのです。

当時のおニャン子クラブ大ブームの中、この曲は約30万枚のヒットとなり、現在でもバレンタインシーズンには定番の曲となっています。

それでは、今日はそんな国生さゆりの、1986年2月1日に発売された、その「バレンタイン・キッス」をどうぞ。
バレンタイン・キッス/国生さゆり

この曲の歌詞はこちら

国生さゆりといえば、やっぱりこの曲ですねー。(^o^)
(゚ー゚)(。_。)ウンウン ← (^^; ヒトリ デ 納得 シテル。

この曲は、フジテレビ『月曜ドラマランド』エンディングテーマとして使われ、第1回 日本ゴールドディスク大賞 The Best Single of The Year を受賞しました。

ちなみに、国生さゆりの本名の正式な表記は「國生さゆり」で、NHKに出演する際などはこちらが使われる場合もあります。
この「さゆり」という名前の由来は、父親が吉永小百合のファンだったことから名づけられました。

なお、同年発売された曲には、以下のようなものがあります。

雨のプラネタリウム/原田知世
木枯しに抱かれて/小泉今日子
深呼吸して/渡辺満里奈
MAY(メイ)/斉藤由貴
WAKU WAKUさせて(ワクワクさせて)/中山美穂

以上、あいうえお順(井上順ではありません【><】)。

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