「センチメンタルジャーニー/松本伊代」 - ロッテガーナチョコレート CMソング 松本伊代のデビュー曲にして最大のヒット曲!
- 名曲紹介
- 2017年03月31日
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写真は、こちらからお借りしました。
松本 伊代(まつもと いよ、本名:小園 伊代(こぞの いよ) 1965年6月21日 -)は、東京都大田区出身のタレント、歌手、女優です。
夫はタレントのヒロミ、長男はタレントの小園凌央。
松本 伊代は、中学3年生のときに、原宿でスカウトされます。
そして、1981年にTBS系『たのきん全力投球!』の田原俊彦の妹役オーディションに合格し、デビューをします。
同年10月21日には、「センチメンタル・ジャーニー」で、アイドル歌手としてもデビュー。
当時のキャッチコピーは、「瞳そらすな僕の妹」「田原俊彦の妹」。
そして、1982年12月の「第24回日本レコード大賞新人賞」を始めとして、同年に多くの音楽新人賞を受賞します。
その後、『オールナイトフジ』の司会を務めるなど、バラエティ番組でも活動。
1986年からは、川村真澄・林哲司・船山基紀による「恋愛三部作」を発売します。
今日は、そんな松本伊代の、デビュー曲である「センチメンタルジャーニー」をどうぞ。
この曲の歌詞はこちら。
この曲は、ロッテガーナチョコレートのCMソングに使われました。
デビューシングルながら、売り上げは松本伊代自身最大のヒットとなり、さらにこの曲で、松本伊代は翌1982年の第24回日本レコード大賞新人賞を受賞しました。
この曲の歌詞には「伊代はまだ16だから」とありますが、NHKの『レッツゴーヤング』に出演した歳に、この『伊代は』のところが「『わたし』に変更されました。
これは、この曲の発表当時、松本伊代が歌詞通り本当に16歳であり、当時のNHKの基準に照らして、「歌詞が松本伊代の個人宣伝になる」と判断されたためです。
松本伊代のその後と近況
1993年に、番組での共演がきっかけとなり、B21スペシャルのヒロミと結婚。その後、2男の母となります。
2005年には、1982年の同期デビューだった早見優・堀ちえみとともにママドルユニット「キューティー★マミー」を結成。
2009年には、アイドル時代の12枚のオリジナルアルバム+ボーナスCD・DVDをまとめたBOXセット「SWEET 16 BOX」のボーナストラックとして、尾崎亜美作詞・作曲・プロデュースによる19年振りの新曲「私の声を聞いて」を発売。
配信限定ながら、シングルカットもされました。
2012年には、品川ステラボールでデビュー30周年記念コンサートを開催しました。
2017年には、2月11日に名古屋ブルーノートで、芸能生活35周年を記念したワンマンライブを開催しました。
地方におけるワンマンライブとしては、これが約25年ぶりとなるもので、終演後には「これからは気を引き締めて、このような形のライブも続けていきたいです」とコメントするなど、今後の音楽活動にさらなる意欲を示しました。
出典:http://okmusic.jp/#!/news/158191
2021年7月22日に、自身のインスタグラムを更新し、「お知らせ」という題で、「皆様にご報告があります。三週間程前に、お恥ずかしい話なのですが、運動中に無理な体勢をして、背骨を圧迫骨折をしてしまいました」と告白。
そして、「症状は痛みがあり、とにかく安静にしているほかないようで、入院はせず自宅で療養しております」「主治医の先生からは、骨が固まるまでは安静にとお話がありました。部位が背骨ということなので無理せず焦らず治していこうと思います」と現状を投稿しました。
出典:https://www.iza.ne.jp/article/20210722-MQZQQJKMDZGNBKSLHY7RRVQUVM/
火曜レギュラーを務める関西テレビ「よ~いドン!」は、6月13日、20日と3週連続で欠席しており、6日に番組で「ケガによるお休み」と伝えられていました。
なおこの曲は、YUKIが歌った「センチメンタルジャーニー」とは同名異曲です。
「センチメンタルジャーニー/YUKI」 - 「JUDY AND MARY」からソロデビューしたYUKIの、2003年のヒット曲|Super源さんの音楽ブログ
今日は、YUKIの「センチメンタルジャーニー」のご紹介です。YUKI(ユキ 本名:倉持有希(くらもち ゆき)、旧姓、磯谷(いそや、1972年2月17日 -)は、北海道函館市出身の女性歌手です。
松本 伊代のエピソード
・1982年、新人賞レースを争ったことから堀ちえみ、小泉今日子、中森明菜、早見優らと共に「花の82年組」の1人と呼ばれた。・運動が全般的に苦手で、ボールがうまく投げられないなどのエピソードが披露されたこともあった。また、デビュー時は、身長156cmに対して体重は38kgしかなく、体重が軽過ぎて自動ドアが開かないこともあったという。
・1984年12月29日の放送のオールナイトフジでで、自著と称する『伊代の女子大生 まるモテ講座』を宣伝した際、本の内容について質問をされ、「まだ読んでないのですけど」と発言してしまい、その場にいた片岡鶴太郎から「自分で書いた本なのにまだ読んでないとはどういうことか」と突っ込まれたことがある。
この件については、「ゲラの状態で最終チェックはしましたが、製本になった状態を見たのはこの時が初めてだったので、(製本された本を)まだ読んでいないと発言した」と弁明をしたが、後に、この弁明に関しても「嘘です」と白状しており、この本は、すべてゴーストライターによる代筆であったことを認めている。
・ボンカレーのCM「だってらっきょうが転がっちゃう編」の撮影で笑うシーンがあるが、本人が緊張してうまく笑えなかったため、テーブルの下にスタイリストが入って足の裏をくすぐり、笑わせられることになったという撮影裏話がある。
・独特の低い声質が持ち味であるが、デビュー当初はスタッフから60年代に人気を博した海外の女性グループのロネッツのテープを渡され、良く聴いて勉強するようにいわれたと語っている。
やはり、ロネッツのフロントのロニー・スペクターは独特の低いハスキーヴォーカルで、加えて松本伊代のデビュー時の楽曲が60年代調のため、参考になるとスタッフが考えていた模様。
・「マイ・ラグジュアリー・ナイト」のヒットで知られる歌手のしばたはつみははとこで、遠縁にあたる。