Super源さんの音楽ブログ

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「ロードショー/石川 優子」 - 全盛期に発売された完成度の高い楽曲! 石川優子の曲の中で管理人一押しの名曲!

今日は、石川 優子の「ロードショー」のご紹介です。

ロードショー 石川 優子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

石川 優子(いしかわ ゆうこ、本名:田中優子、旧姓:石川 1958年10月3日 -)は、大阪府大東市深野出身のシンガーソングライターです。

石川優子 可愛い イメージ
写真はこちらからお借りしました。

石川 優子は、中学3年でギターをはじめ、高校時代は女性デュオの「スリーピー」、高校3年から短大にかけてはバンドの「ファンタスティック」などに参加して活躍します。

1978年、ヤマハ第16回ポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)つま恋本選会にCHAGE and ASKA(チャゲ アンド アスカ)、円広志(まどか ひろし)、大友裕子(おおとも ゆうこ)、クリスタルキングらとともに出場し、「夜の雨」を歌って注目されます。

そして、1979年3月に「沈丁花」で歌手デビュー。同年7月には石川優子自身が作詞・作曲した2枚目のシングル、「レット・ミー・フライ」、11月には3枚目のシングル「クリスタル モーニング」を発売。この曲は、本人出演の「コルゲントローチ」CM曲となり、大ヒットをします。

1981年には、通算7枚目のシングルとして発売された「シンデレラ サマー」が同年のJAL沖縄キャンペーンソングとなって大ヒット。美しい声とアイドル並の可愛い容姿もあいまって、作詞・作曲もこなす実力派歌手として世間に認知されます。
 

「シンデレラ サマー/石川 優子」 - 1981年JAL沖縄キャンペーンソング|Super源さんの音楽ブログ


今日は、石川 優子の「シンデレラ サマー」のご紹介です。写真は、こちらからお借りしました。 石川 優子(いしかわ ゆうこ、本名:田中優子、旧姓:石川 1958年10月3日 -)は、大阪府大東


今日は、そんな石川 優子の2008年10月22日に発売された、通算6枚目のオリジナルアルバム「FULL SAIL(フルセイル)」の中から、「ロードショー」をどうぞ。
 
ロードショー/石川 優子

いい曲ですねー。(^O^)
「ロードショー」は、スペクターサウンド(ウォールオブサウンド)に石川優子のクリスタルボイスが乗った曲なのですが、これが実に心地よく、歌詞がまた素晴らしいのです。

「ロードショー」の歌詞の内容は?

「ロードショー」の歌詞の内容は、偶然会ってしまった昔の恋人に強がる自分と、一方ではそんな自分自身を責めてささやく自分という、いわば一人二役を交互に歌い上げる構成の曲になっています。
そして、特筆すべきは、その展開といい、つなぎといい、曲全体がストーリー性溢(あふ)れる、ドラマ仕立ての実に見事な作品に仕上がっていることです。

一言でいって、もう何とも切ない楽曲です。【><】
私は、この曲を聴くたびに、涙が出てきます。(;;)

In a word, a very painfull tune.
And everytime I listen to this, tears roll out of my eyes.(;;)

「フルセイル」と「ニュアンス」は、石川優子の全盛期に発売されたピカ一の作品

石川 優子は、現役時代に、計17枚のアルバムを発売していますが、中でもこの「フルセイル」と、この次に発売された「ニュアンス」は、彼女の全盛期に発売された、完成度の高い、ピカ一の作品と私は確信します。
この時期の彼女は、本当に、輝いていました。

Yuko Ishikawa released a total of 17 albums during her active career, and I believe that "Full Sail" and "Nuance," which was released after "Full Sail," are the best and most complete albums released during her prime.
She was really shining during this period.

みなさんも、これらのアルバムをどこかで見ましたら、是非手にとってみてください。
If you see one of these albums anywhere, please pick it up.


ゆうちゃん



石川優子は、自分で歌う曲ばかりでなく、他の歌手への楽曲提供もしているよ


しんちゃん



他の歌手って、例えば誰?

ゆうちゃん


河合奈保子、早見優、さらには冨永みーな、デューク・エイセスなんかだな


しんちゃん



へえーっ
石川優子って、いろいろなジャンルの曲を書いているんだね
なおこの曲は、ももいろクローバーz の「ロードショー」とは同名異曲です。

石川優子のその後

1990年7月、石川優子は浜松、東京、京都、大阪でのファイナルコンサート「愛を眠らせないで」でのコンサートを最後に、歌手を引退します。
引退後、ニューヨークに海外留学し、1994年に元マネージャーと結婚。
同年、香西かおり、益子直美、荻野目洋子らに楽曲を提供します。

1996年、男児を出産、一児の母となりますが、その後も断続的ながらDJや映画評論などの仕事を続けていきます。
同年に、西武ライオンズ応援歌として「吠えろライオンズ」(作詞・作曲:石川優子)を提供。
成田洋明とライオンズ応援合唱団が歌唱し、現在でも必ず7回の攻撃時に流されています。
2020年には、この曲を広瀬香美がカバーしています。

2009年3月発売のChageのアルバム「Many Happy Returns」に、「ふたりの愛ランド2009」を収録。25年ぶりにデュエットでこの曲のレコーディングを行ないます。

2016年春、ポプコン出身者が集まるライブ「僕らのポプコンエイジ」において、1990年以来26年ぶりに復帰。

本人曰(いわ)く、趣味はプロレス観戦で、好きな選手は寺西勇、スタン・ハンセンとのことで、また大相撲では、青葉山のファンを公言し、雑誌で対談を行ないました。
プロ野球埼玉西武ライオンズ(発表当時西武ライオンズ)の応援歌「吠えろライオンズ」の作詞作曲を手掛け、1996年以降のシーズンでは、この曲は現在でも7回の攻撃時に球場に流れています。

「愛は不死鳥/布施明」 - 布施明が若手から中堅へ入ろうとする時期の代表的なヒット曲 「第21回NHK紅白歌合戦」で着用した不死鳥をイメージする衣装は今でも語り草に

今日は、布施 明の「愛は不死鳥」のご紹介です。

愛は不死鳥 布施 明 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

布施 明(ふせ あきら、本名:布施晃、1947年12月18日 -)は、東京都三鷹市出身の歌手、俳優です。妻は、歌手の森川由加里。横浜市立大学学長を務めた布施勉は実兄。

布施 明は、1965年に「君に涙とほほえみを」でデビューをします。
伸びやかな声の持ち主として知られる歌手で、「恋」「愛の園」「霧の摩周湖」「愛は不死鳥」「積木の部屋」「恋のサバイバル」「カルチェラタンの雪」などのヒット曲があります。
 

「霧の摩周湖(きりのましゅうこ)/布施 明」 - 「君に涙とほほえみを」でデビューした布施明の代表曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、布施 明の「霧の摩周湖(きりのましゅうこ)」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。布施 明(ふせ あきら、本名:布施晃、1947年12月18日 -)は、東京都三鷹市出身の


1975年に、「シクラメンのかほり」がヒットし、第17回日本レコード大賞・第6回日本歌謡大賞・FNS歌謡祭での最優秀グランプリなど、多数の賞を受賞します。
アイドルとして熱狂的な人気を集めながらも、歌唱力の評価は非常に高く、クラシック番組「オーケストラがやってきた」にメインゲスト出演し、シューベルトの歌曲に挑戦したこともあります。

1980年には、ハリウッド女優、オリヴィア・ハッセーと結婚して話題を呼びます。
同年、アメリカに渡り、歌手活動やミュージカルなどでも活躍します。1983年に2人の間に息子Maxが生まれ、1989年に離婚して日本に帰国しますが、当時の日本では考えられない額の慰謝料、養育費が話題となります。

また、俳優の仕事としては、1969年にはTBSテレビのドラマ「S・Hは恋のイニシャル」の主演をつとめるほか、映画「ラヂオの時間」、ミュージカル「オケピ!」、テレビドラマ「男の選びかた」「ウソコイ」「WATER BOYS」「仮面ライダー響鬼」(かめんライダーヒビキ)などに出演します。

今日は、そんな布施 明の、1970年4月20日に発売された通算20枚目のシングルである、「愛は不死鳥」をどうぞ。
この曲の歌詞はこちら

この曲は、デビュー6年目を迎え、布施明が若手から中堅へ入ろうとする時期の代表的なヒット曲の
ひとつです。

この曲の作詞は川内康範(かわうち こうはん)、作曲は平尾昌晃(ひらお まさあき)です。のびやかな声に、切なさが加わって、何ともいいようのない味を出していますね。(v_v)シンミリ。

サテー! ワタシハ コレカラ 音楽制作 ダーイ!(^o^)/
ドコガ シンミリ ダイ!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

この「愛は不死鳥」は、デビュー6年目となった布施明が、若手歌手から中堅歌手へと変わりつつある時期の、代表的なヒット曲のひとつといわれています。

確かに、若々しさと落ち着きが同居したような曲づくりと歌い方になっていますね。

しかしながら、私は、どちらかといえば、デビュー間もなかった頃の、あまりクセのない、青くささはわずかに残るものの、若さとハリを合わせもった布施明の声の方が好きですね。
「若い明日」とか、「霧の摩周湖」を歌っていた頃です。(^^)

が、このあたりは好みの分かれるところでしょう。

布施明は、この曲で1970年の「第21回NHK紅白歌合戦」に4度目の出場を果たします。
そして、そのときに着用した不死鳥をイメージする衣装は、今でも語り草になっています。

愛は不死鳥 布施明 イメージ衣装
写真は、こちらからお借りしました。

実はこれが、紅白歌合戦で、歌手が衣装で観客を魅せるきっかけをつくった出来事なのです。
布施明、偉大です。

あっ!(゚o゚)偉大なのは、これを考えた人か。
ソレヲ イッチャー、オシマイ ヨ。(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)寅サン カイ!

ちなみに、この曲の作詞者である川内康範は、1950年代から1960年代にかけて、多くの映画の原作脚本を手がけた人物でもあります。
1958年(昭和33年)に原作と脚本を手がけたテレビドラマ・『月光仮面』や、監修として携わったテレビアニメ『まんが日本昔ばなし』などは有名です。

作詞家としては、「誰よりも君を愛す」、「君こそわが命」、「骨まで愛して」、「恍惚(こうこつ)のブルース」、「花と蝶」、「伊勢佐木町(いせざきちょう)ブルース」、「おふくろさん」などの数多くのヒット曲を、世に送り出しています。

「トラブル・メーカー/南野 陽子」 - JR西日本のリゾート列車のCMソングに使われた名曲

今日は、南野 陽子の「トラブル・メーカー」のご紹介です。

南野 陽子 トラブル・メーカー ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

南野 陽子(みなみの ようこ、本名同じ、1967年6月23日 - )は、兵庫県伊丹市出身の女優、タレント、歌手です。愛称は、ナンノ。

南野 陽子は、1985年6月23日に「恥ずかしすぎて」で歌手デビューをします。
そして、同年の11月からフジテレビ系ドラマ「スケバン刑事」シリーズ第2作「スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説」で主役を演じ、一躍ブレイク。トップアイドルの座を獲得します。

同時に、1986年3月に発売された、同ドラマの主題歌「悲しみモニュメント」が、初のオリコンチャートトップ10入りとなります。

また、1987年2月公開の映画「スケバン刑事」では、主演に抜擢され、主題歌の「楽園のDoor」は初のオリコンチャート第1位を獲得します。

その後も、「話しかけたかった」「パンドラの恋人」「はいからさんが通る」「吐息でネット」「あなたを愛したい」「秋からも、そばにいて」「涙はどこへいったの」「トラブル・メーカー」など、ヒット曲を連発します。
くわえて、フジカラー、グリコ、JR西日本など多数の企業のイメージキャラクターに起用されてCMに出演。かくして、南野 陽子は中山美穂、工藤静香、浅香唯と共に、女性アイドル四天王の一人として活躍することになります。

今日は、そんな南野 陽子の、1989年6月21日に発売された、通算15枚目のシングルである「トラブル・メーカー」をどうぞ。
 
トラブル・メーカー/南野 陽子

この曲の歌詞はこちら

この曲は、JR西日本のリゾート列車のCMソングに、またカップリング曲の「瞳のなかの未来」はNHK総合アニメーション「青いブリンク」オープニングテーマとなり、南野陽子自身初の両A面シングルとして発売されたものです。

また、「トラブル・メーカー」は、作詞:南野陽子、作曲:木戸泰弘で、南野陽子がシングル曲で初めて作詞を手がけた作品となっています。

なおこの曲は、相川七瀬の6枚目のシングルである「トラブルメイカー」とは同名異曲です。