Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「ナオミの夢(Ani Holem Al Naomi)/ヘドバとダビデ」 - 藤原紀香主演テレビドラマ「ナオミ」の主題歌

今日は、ヘドバとダビデの「ナオミの夢(Ani Holem Al Naomi)」のご紹介です。

ナオミの夢 ヘドバとダビデ ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

ヘドバとダビデ(HEDVA & DAVID)は、イスラエルの歌手グループです。

ヘドバとダビデの2人は、イスラエル軍の音楽隊で知り合い、退役後の1965年にデュオグループとしてプロデビューをします。

1970年に、世界47ヶ国の代表が出場する「第1回東京国際歌謡音楽祭(翌年から世界歌謡祭に改称)」にイスラエル代表として出場し、ヘブライ語の歌詞の曲『ANI HOLEM AL NAOMI(I Dream of Naomi)』を歌って、グランプリを受賞します。

グランプリを受賞したことで、レコード会社がこの曲の発売を決め、帰国直前の2人を引き止めて、ほとんど意味を教えずに日本語の歌詞を覚えさせ、1週間そこそこでレコーディング。
B面に、本国で歌っているヘブライ語のバージョンを入れることを条件に、翌年の1971年1月にはレコードを発売。
この曲は、大ヒットすることになります。

今日は、1971年1月25日に発売された、その「ナオミの夢」をどうぞ。
 この曲の歌詞はこちら
ヘブライ語の歌詞はこちら

この曲はもともと、イスラエルのコーヒーのCMソングとして作られたものです。
本国ではヒットしなかったものの、日本語バージョンがレコードとして発売されたことで、オリコンチャートで4週連続1位を獲得。67万枚のヒットとなりました。

ちなみに、「ナオミ」というのは、旧約聖書にも登場する欧米ではポピュラーな女性の名前で、ヘブライ語で「幸せ」や「和み」を意味します。

またこの曲は後に、藤原紀香(ふじわら のりか)主演のテレビドラマ「ナオミ」の主題歌としても使われた他、矢島美容室のアルバム「おかゆいところはございませんか?」にもカバー盤が収録されました。

ヘドバとダビデのその後

ヘドバとダビデの2人はその後、時折懐かしの歌番組のゲストとして出演することもありましたが、ダビデは、1999年に麻薬中毒で急死したという一報が日本にも伝えられました。

歌手として、一世を風靡(ふうび)した時代が忘れられず、さまざまな商売にも手を出したものの、うまくいかなかったと伝えられています。

参考にしたサイト
【1971年4月】ナオミの夢/ヘドバとダビデ 急きょ日本語でレコーディングで大ヒット ― スポニチ
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/yomimono/music/anokoro/04/kiji/K20110428000708560.html


【追記】
ところで、今この曲を再度聴いていて、

アレッ?(?_?)この曲、どこかで聴いたことがあるぞ?

(@_@)ウーン
5秒後…。あっ、(゚o゚)分かった!

敏いとうとハッピー&ブルーの「星降る街角」だ!(・ ・)/☆パチン!


星降る街角 敏いとう と ハッピー&ブルー

どうでしょうか?
これはもう、(〇o〇)パチリ、じゃなかった、パクリといってもいいのでは?

ナニ、パチリッ テ!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

これら2曲の発売年等のデータを調べたところ、以下の通りでした。

1.ナオミの夢 1971年1月25日 作詞:TirazahAlar、作曲:DavidKrivos
2.星降る街角 1972年10月25日 作詞・作曲:日高 仁

「星降る街角」が、「ナオミの夢」の、きっかり1年9ヶ月後に発売されているところも何かアヤシイひらがな、もとい感じですね。(@_@)ウーン

「liberte(リベルテ)/岡村孝子」 - 名曲のご紹介

今日は、岡村孝子の「liberte(リベルテ)」のご紹介です。



岡村 孝子(おかむら たかこ、1962年1月29日 - )は、愛知県岡崎市出身のシンガーソングライターです。
父親は、岡崎市議会議長を務めた岡村秀夫。

岡村孝子は、椙山女学園大学在学中に同級生・加藤晴子とともにデュオ「あみん」を結成します。1982年に、ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)でグランプリを受賞した「待つわ」がヒットしますが、1983年にその活動を休止します。

が、その後ソロ活動を求める声があり、上京して、ソロとして1985年にファンハウス(現在のアリオラジャパン)より、「風は海から」でデビューをします。

岡村孝子のブレイクのきっかけとなったのは、翌年の1986年に歌った、来生たかおの「はぐれそうな天使」で、この曲はホンダ・トゥデイのコマーシャルに起用され、一気に人気が高まります。

今日は、そんな岡村孝子の、1987年7月5日に発売されたアルバム「liberte(リベルテ)」から、タイトル曲「リベルテ」をどうぞ。


liberte(リベルテ)/岡村孝子

この曲は、「liberte」とともに同日に発売されたシングル「迷路」のカップリング曲にもなっています。
また、同年12月5日には、これをB面に収録したシングル(「電車」)も発売されています。


さて、突然ですが、ここで俳句を一句。

Windows 日本語で言えば ただの窓。(^^)

(゜゜;)☆バキッ\(--;ナンダイ ソレ ハ!

ただの窓ならばまだ良いのですが、Windows10 になってから、完全な「のぞき窓」になってしまったようで…、(^^;本当に困ったことです。【><】

え?!(゚o゚)これと同じ俳句を、前にもここで見たことがある?
それは、大変失礼しました。m(_._)m (^-^)

「炎/松山千春」 - アルバム「木枯らしに抱かれて」に収録されている名曲

今日は、松山 千春の「炎」のご紹介です。


写真はこちらからお借りしました。

松山 千春(まつやま ちはる、1955年12月16日 -)は北海道足寄郡足寄町出身のフォークシンガーです。

1975年、STVラジオの竹田健二ディレクターに見出され、翌年に同局の「サンデージャンボスペシャル」内の15分コーナー『千春のひとりうた』でメディアデビューをします。
続いて翌1977年の1月25日に、「旅立ち」でレコードデビューを果たします。

翌年の1978年、発売したシングル「季節の中で」が大ヒットしたことでブレイクし、 その後も「窓(1979年)」「恋(1980年)」「長い夜(1981年)」をはじめとする多数のヒット曲を世に送り出し、ニューミュージック界に確固たる地位を築きます。
 

「季節の中で/松山千春」 - グリコアーモンドチョコレートCMソング ミリオンセラーを達成した松山千春のブレイク曲! |Super源さんの音楽ブログ


今日は、松山 千春の「季節の中で」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。松山 千春(まつやま ちはる、1955年12月16日 -)は北海道足寄郡足寄町出身のフォークシンガーです。


今日は、そんな松山千春の、1980年11月21日に発売された通算6枚目のアルバム「木枯らしに抱かれて」の中から、「炎」をどうぞ。
 
炎/松山千春

この曲の歌詞はこちら

なお、同アルバム「木枯らしに抱かれて」の収録曲は、以下の通りです。
SIDE A
1.北風の中(4:20)
2.涙の向こうに(5:01)
3.うぬぼれ(2:33)
4.木枯しに抱かれて(4:47)
5.私の明日には(4:19)

SIDE B
1.炎(4:53)
2.ラブ・ソング(3:18)
3.夕焼け(3:20)
4.子守唄(5:07)
5.悲しい時には(6:25)

松山千春のエピソード

松山千春の知人の一人に、中島みゆきがいます。
2人は、同時期に、ニューミュージックの一時代を築いています。
共通点は、ともに北海道出身ということで、かつては両者の比較を、雑誌、ラジオ等がよく企画していました。

あるとき、さだまさしと松山千春(二人とも髪が薄い)がワカメスープを飲んでいるのを中島みゆきが発見し、『オールナイトニッポン』でネタにしたこともあります。

また、関西ローカルのやしきたかじんの番組内において、松山千春がかつて中島みゆきと男女の仲だったことを匂わせる発言をしたことがありますが、真偽のほどは不明です。

松山千春が、中島みゆきがパーソナリティを務める『オールナイトニッポン』に遊びに来たとき、2人の昔話をしたなかで、中島みゆきが風邪で寝込んでいたときに、松山千春が彼女の自宅に見舞いに行き、中島みゆきの母親と会って話をしたと語っていました。

これについて、中島みゆきは特に否定せず、「そんなこともあったね」と語っています。