Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「アテンション・プリーズ/能瀬慶子」 - 38700人の応募を勝ち抜き芸能界デビューしたの能瀬慶子の、歌手としてのデビュー曲

今日は、能瀬慶子の「アテンション・プリーズ」のご紹介です。(^^)

アテンション・プリーズ 能瀬慶子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

能瀬 慶子(のせ けいこ、現:吉田慶子(よしだ けいこ) 1963年(昭和38年)3月16日 -)は、千葉県生まれ、東京都文京区育ちの元アイドルです。

能瀬 慶子は、1978年(昭和53年)の高校在学中に、「第3回ホリプロタレントスカウトキャラバン」で、38700人の応募を勝ち抜いて優勝します。
そして、同年に映画出演を果たし、翌年の1979年(昭和54年)に、「アテンションプリーズ」で、歌手デビューをします。

同年にはまた、「赤い激突」以来約1年ぶりに復活した、赤いシリーズ第8作「赤い嵐」にヒロインとして出演。
記憶喪失の少女・小池しのぶの役を演じ、二重人格による豹変(ひょうへん)ぶりが、当時評判となります。

また、記憶喪失時の「ここはどこ、私は誰?」という演技は、その後お笑い芸人などによってしばしばパロディのネタにされました。

今日は、そんな能瀬 慶子のデビュー曲である、「アテンションプリーズ」をどうぞ。


アテンション・プリーズ/能瀬慶子

当時確かに、「ここはどこ、私は誰?」というのがはやりましたね。(--)(__) ウンウン。
が、そのネタ元が、何と、能瀬 慶子だったとは!おお!(゚o゚)

私Super源さん、今日初めて知りました。【><】

ネタ元といえば、その後はやった「一気!一気!」という一気飲みの掛け声は、1984年にトンネルズが発売した同名のシングルでしたし…。
 

ど根性ガエル」の歌を歌っていたのは、お笑いコンビ「とんねるず」だった?


作者、吉沢やすみ氏による、シャツに張りついたピョン吉と、そのシャツを着たヒロシがドタバタ劇を繰り広げる国民的ギャグ漫画「ど根性ガエル」。この漫画のオープニング、エンディングテーマともに歌っていたのは、お笑いコンビの「とんねるず」でした。


いやはや、このようにブームをつくってしまう芸能人の影響力というのは、今も昔も大きいものがありますね。(^^)

「赤い風船/浅田 美代子」 - 50万枚近くを売り上げたデビュー曲 仰天エピソードも3つ紹介!

今日は、浅田 美代子の「赤い風船」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

浅田 美代子(あさだ みよこ、本名:同じ、1956年2月15日 -) は、東京都港区出身の女優、タレント、元アイドル歌手です。
浅田 美代子の特徴は、その親近感とキュートな表情です。
愛称は、「美代ちゃん」「美代子さん」。

浅田美代子
浅田美代子 写真 テニスコートで
写真はこちらからお借りしました。

浅田 美代子は、1973年(昭和48年)2月14日に、テレビドラマ「時間ですよ」のお手伝い役でデビューをします。

当時、このドラマが国民的な高視聴率番組だったことも加わり、浅田美代子はたちまち人気を集めます。

また、劇中歌でデビュー曲の「赤い風船」は、1年で50万枚近くを売り上げ、オリコンの年間セールス10位の大ヒットとなり、1973年の「第15回日本レコード大賞」で新人賞を受賞します。

浅田 美代子はその後も、「寺内貫太郎一家」や「時間ですよ・昭和元年」などの人気ドラマに出演するとともに、映画にも出演。映画、歌ともにヒットすることになります。

今日は、そんな浅田 美代子の、1973年4月21日に発売されたデビュー曲である「赤い風船」をどうぞ。
 
赤い風船/浅田 美代子

この曲の歌詞はこちら

この曲は、「現代の童謡」をコンセプトに作られた楽曲と伝えられています。

というよりこの曲、作曲が筒美京平だったんですね。おお!(゚o゚)
と、いまさらながら驚いているSuper源さんです。

というのは、この曲もそうだとすると、おそらく私の頭の中に入っている名曲の7割くらいは、氏の曲ではないかと考えられるからです。

(゚o゚)(゚o゚)(゚o゚)
(゚o゚)ヾ(^^;)オイオイ、大丈夫カイ?

(゚o゚)
(゚o゚)
(゚o゚)

コラコラ、イイカゲンニ セイヤー!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)ギャーッ!

きっと私は、氏の黄金時代に、青春時代を過ごしたということなのでしょうね。(^^)

浅田美代子の仰天エピソード3選

浅田美代子には、天然ボケのところがあります。
今日は、その中から驚きのエピソードを3つ厳選してご紹介します。

1.日曜日は何曜日?

かつて、明石家さんまと話をしていたときのこと、

「金曜日って何曜日だったっけ?」

という、通常ではありえない質問を、明石家さんまにしたことがあります。
が、さんまはこの質問を面白がって、

「火曜日ちゃいまっか?」

と、ジョークで返すと、浅田美代子は、

「そうだった、そうだった!」

と納得してしまったといいます。

このエピソードは、後に明石家さんまのコント・ライブの第12回公演のサブタイトルとしして使われています。

2.カードキーだと思った物は.…?

また、あるとき、浅田美代子がホテルに行ったときのこと。部屋に入ろうとして、カードキーを入れますが、何度やってもドアが開きません。
そこで、ちゃんと確認したところ、 手に持っていたのは、カードキーではなく、なんと、テレホンカードだったといいます。

3.テレビドラマで骨折?

最後にもうひとつ、極めつきのやつを行きます。
これ、スゴい話ですよ。

あるとき、浅田美代子がテレビドラマを見ていると、アクションシーンで出演者が足を痛めるシーンがありました。すると、何か自分も足が痛いような気がしたので、それを理由に病院に行ってみたところ、なんと、足ではなく、手の指を骨折していたといいます。

こうなると、もう何が何だか分かりませんね。【><】

参考にしたサイト
面白すぎる!!「浅田美代子」の天然ボケエピソード集
https://matome.naver.jp/odai/2145109055082385401

「ナオミの夢(Ani Holem Al Naomi)/ヘドバとダビデ」 - 藤原紀香主演テレビドラマ「ナオミ」の主題歌

今日は、ヘドバとダビデの「ナオミの夢(Ani Holem Al Naomi)」のご紹介です。

ナオミの夢 ヘドバとダビデ ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

ヘドバとダビデ(HEDVA & DAVID)は、イスラエルの歌手グループです。

ヘドバとダビデの2人は、イスラエル軍の音楽隊で知り合い、退役後の1965年にデュオグループとしてプロデビューをします。

1970年に、世界47ヶ国の代表が出場する「第1回東京国際歌謡音楽祭(翌年から世界歌謡祭に改称)」にイスラエル代表として出場し、ヘブライ語の歌詞の曲『ANI HOLEM AL NAOMI(I Dream of Naomi)』を歌って、グランプリを受賞します。

グランプリを受賞したことで、レコード会社がこの曲の発売を決め、帰国直前の2人を引き止めて、ほとんど意味を教えずに日本語の歌詞を覚えさせ、1週間そこそこでレコーディング。
B面に、本国で歌っているヘブライ語のバージョンを入れることを条件に、翌年の1971年1月にはレコードを発売。
この曲は、大ヒットすることになります。

今日は、1971年1月25日に発売された、その「ナオミの夢」をどうぞ。
 この曲の歌詞はこちら
ヘブライ語の歌詞はこちら

この曲はもともと、イスラエルのコーヒーのCMソングとして作られたものです。
本国ではヒットしなかったものの、日本語バージョンがレコードとして発売されたことで、オリコンチャートで4週連続1位を獲得。67万枚のヒットとなりました。

ちなみに、「ナオミ」というのは、旧約聖書にも登場する欧米ではポピュラーな女性の名前で、ヘブライ語で「幸せ」や「和み」を意味します。

またこの曲は後に、藤原紀香(ふじわら のりか)主演のテレビドラマ「ナオミ」の主題歌としても使われた他、矢島美容室のアルバム「おかゆいところはございませんか?」にもカバー盤が収録されました。

ヘドバとダビデのその後

ヘドバとダビデの2人はその後、時折懐かしの歌番組のゲストとして出演することもありましたが、ダビデは、1999年に麻薬中毒で急死したという一報が日本にも伝えられました。

歌手として、一世を風靡(ふうび)した時代が忘れられず、さまざまな商売にも手を出したものの、うまくいかなかったと伝えられています。

参考にしたサイト
【1971年4月】ナオミの夢/ヘドバとダビデ 急きょ日本語でレコーディングで大ヒット ― スポニチ
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/yomimono/music/anokoro/04/kiji/K20110428000708560.html


【追記】
ところで、今この曲を再度聴いていて、

アレッ?(?_?)この曲、どこかで聴いたことがあるぞ?

(@_@)ウーン
5秒後…。あっ、(゚o゚)分かった!

敏いとうとハッピー&ブルーの「星降る街角」だ!(・ ・)/☆パチン!


星降る街角 敏いとう と ハッピー&ブルー

どうでしょうか?
これはもう、(〇o〇)パチリ、じゃなかった、パクリといってもいいのでは?

ナニ、パチリッ テ!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

これら2曲の発売年等のデータを調べたところ、以下の通りでした。

1.ナオミの夢 1971年1月25日 作詞:TirazahAlar、作曲:DavidKrivos
2.星降る街角 1972年10月25日 作詞・作曲:日高 仁

「星降る街角」が、「ナオミの夢」の、きっかり1年9ヶ月後に発売されているところも何かアヤシイひらがな、もとい感じですね。(@_@)ウーン