Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「接近(アプローチ)/南野 陽子」 - 「時をかける少女」エンディングテーマ オリコンチャート週間6位を記録したヒット曲! この曲には別バージョンも

今日は、南野 陽子の「接近(アプローチ)」のご紹介です。

接近(アプローチ) 南野 陽子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

南野 陽子(みなみの ようこ、本名同じ、1967年6月23日 - )は、兵庫県伊丹市出身の女優、タレント、歌手です。愛称は、ナンノ。

南野 陽子は、1985年6月23日に「恥ずかしすぎて」で歌手デビューをします。
 

「恥ずかしすぎて/南野陽子」 - オリコンで週間57位を記録したデビュー曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、南野 陽子の「恥ずかしすぎて」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。南野 陽子(みなみの ようこ、本名同じ、1967年6月23日 - )は、兵庫県伊丹市出身の女優、タレン


そして、同年の11月からフジテレビ系ドラマ「スケバン刑事」シリーズ第2作「スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説」で主役を演じ、一躍ブレイク。トップアイドルの座を獲得します。

同時に、1986年3月に発売された、同ドラマの主題歌「悲しみモニュメント」が、初のオリコンチャートトップ10入りとなります。

また、1987年2月公開の映画「スケバン刑事」では、主演に抜擢(ばってき)され、主題歌の「楽園のDoor」は初のオリコンチャート第1位を獲得します。
 

「楽園のDoor/南野 陽子」 - 『スケバン刑事』の主題歌|Super源さんの音楽ブログ


今日は、南野陽子の1987年のヒット曲、「楽園のDoor(らくえんのドア)」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。楽園のDoorは、同年1月にリリースされた南野陽子の6枚目のシン


その後も、「話しかけたかった」「パンドラの恋人」「はいからさんが通る」「吐息でネット」「あなたを愛したい」「秋からも、そばにいて」「涙はどこへいったの」「トラブル・メーカー」など、ヒット曲を連発します。

くわえて、フジカラー、グリコ、JR西日本など多数の企業のイメージキャラクターに起用されてCMに出演。かくして、南野 陽子は中山美穂、工藤静香、浅香唯(あさか ゆい)と共に、女性アイドル四天王の一人として活躍することになります。

今日は、そんな南野 陽子の、1986年10月に発売された、通算5枚目のシングルである「接近(アプローチ)」をどうぞ。
 
接近(アプローチ)/南野陽子

この曲の歌詞はこちら

この曲は、オリコンチャートで週間6位、1986年度年間98位を記録しています。

この曲のタイトルは、「接近」と書いて「アプローチ」と読みます。
作詞は「森田記(モリタ シルス)」となっていますが、これは山本譲二、南野陽子などに詞を提供している康珍化のペンネームです、
当初は「恥ずかしすぎて」に続くセカンドシングルとして発売される予定でしたが延期となり、若干歌詞を変えての発売となりました。

また、歌詞の別バージョンが、本人主演のフジテレビ系月曜ドラマランド「時をかける少女」のエンディングテーマとなっており、「NANNO BOX(ナンノ ボックス)」に収録されています。


ゆうちゃん



えっ? この曲に別バージョンなんてあるの?


しんちゃん



あるよ
以下に貼りつけておくから、聴いてみてね
時をかける少女 (南野陽子ドラマ版) エンディング

人気絶頂期の驚きのエピソード

当時、南野 陽子が、スケバン刑事だけでなく、歌手としてもアイドル四天王(中山美穂、工藤静香、浅香唯と南野陽子)といわれるほどの人気だった頃は、想像を絶するほどの忙しさだったといいます。

何と、10か月間自宅に帰れないこともあったというのです。
毎日、事務所か車の中で寝泊りし、下着は自分で洗濯して部屋の中に干していました。
さらには、多忙で食欲もないときは、スタジオや現場に看護師さんがついて、点滴を受けながら仕事をこなしたというのです。

そして、本番が来ると、腕から点滴の針を抜いて出演。また戻ると点滴する、という状態だったそうです。

いやしかし、当時はこんなに過酷(かこく)なときがあったんですね!【><】
が、南野陽子のことなので、きっと「ナンノこれしき!」と頑張ったのでしょうね。(^^)
このプロ根性には、心から敬服(けいふく)します。

参考にしたサイト
【エンタがビタミン♪】腕立て伏せにワイヤーアクション? 南野陽子、「スケバン刑事」の秘密を暴露 | Techinsight
http://japan.techinsight.jp/2010/08/nanno-sukeban-urabanashi.html

「駅/竹内まりや」 - テレビ朝日系「素敵にドキュメント」主題歌

今日は、竹内まりやの「駅」のご紹介です。

駅 竹内まりや ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

竹内 まりや(たけうち まりや、本名:山下まりや(旧姓:竹内) 1955年3月20日 -)は、島根県簸川郡大社町(現出雲市)出身のシンガーソングライター、ミュージシャンです。
自称「シンガーソング専業主婦」。夫は、山下達郎。

生家は、出雲大社正門前に位置する老舗旅館「竹野家」で、4女2男の6人兄弟の三女。
世界で通じるようにとの父の考えから、「まりや」と名づけられました。

竹内 まりやは、1978年11月25日にシングル「戻っておいで・私の時間」、アルバム「BEGINNING(ビギニング)」でデビューをします。
当時、アイドル不在の時期と重なったため、当初はそのルックスもあいまって、アイドル歌手のような役割を担います。

1979年に発売したシングル「SEPTEMBER(セプテンバー)」は、第21回日本レコード大賞新人賞を獲得。
1980年に発売したシングル「不思議なピーチパイ」は、資生堂化粧品CMソングとなり、ヒットします。

その後は、「もう一度/本気でオンリーユー(Let's Get Married)(1984年4月10日)」「マージービートで唄わせて(1984年8月25日)」「元気を出して(1988年11月28日)」「シングル・アゲイン(1989年9月12日)」「告白(1990年9月18日)」」と、ヒットを飛ばしていきます。

当初は、安井かずみ・加藤和彦夫妻や松本隆などが提供する曲を歌っていましたが、これに飽き足らず、自らも作詞・作曲を手がけるようになります。

今日は、そんな竹内まりやの、1987年11月28日発売された通算16枚目のシングル、「AFTER YEARS(アフター イヤーズ)」のB面に収録されていた「駅」をどうぞ。
 
竹内まりや 駅
この曲の歌詞はこちら

この曲は、テレビ朝日系「素敵にドキュメント」の主題歌として使われました。

歌詞の内容は、2年前に別れた恋人を、偶然駅で見かけ、懐かしさと苦い思い出が交差する女性の心理を描いたもので、もともとは、中森明菜への提供曲として書かれたものでした。
が、この竹内まりやのセルフカバー版で、世に広く知られるようになりました。

また、この「AFTER YEARS」は、発売されてから半年後の1988年5月10日に、ジャケット写真を変えて、A面とB面を入れ替えて再発売されました(さらに、それから3年後の1991年3月25日にも再発売されています)。

いやー。(゚o゚)この詩、このメロディー、この声、そしてこの歌唱!
さらに、プロデュースは山下達郎!
これで、素晴らしくないわけがありません。
何度聴いても感動する、素敵な楽曲だと思います。(^-')

「レイニーブルー/徳永英明」 - のちに「輝きながら…」でブレイクする徳永英明のデビュー曲

今日は、徳永英明の「レイニーブルー」のご紹介です。

レイニーブルー 徳永英明 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

徳永英明(とくなが ひであき、本名同じ、1961年2月27日 -)は、兵庫県伊丹市出身のシンガーソングライター、作曲家、俳優です。

徳永 英明は、19歳の時に上京し、アルバイトをしながらミュージシャンを目指します。
そして、6年後の1986年1月21日、アルバム『Girl』、シングル「Rainy Blue」でRadio Cityレコードよりデビューを果たします。

翌年の8月、富士フイルム「フジカラー」のCMソングとなったシングル「輝きながら…」がヒット曲となり、ブレイクします。この曲が収録されたアルバム『BIRDS』は、マイケルジャクソンの2週連続1位の記録を抜き、オリコンチャート1位を獲得します。
 

「輝きながら・・・/徳永英明」 - 徳永英明のブレイク曲! 南野陽子出演、1987年の「フジカラースーパーHR」CMソング 山口県長門市仙崎にはこの曲の歌碑が|Super源さんの音楽ブログ


今日は、「徳永英明」の「輝きながら・・・」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。徳永英明(とくなが ひであき、本名:同じ、1961年2月27日 -)は、兵庫県伊丹市出身のシンガーソ


今日は、そんな徳永英明の、1986年1月21日に発売されたデビュー曲である「レイニーブルー」をどうぞ。
 
レイニーブルー/徳永英明

この曲は、徳永英明がバイト先の軽井沢で知り合った大木誠と共に作り上げた楽曲で、レコード化の際、歌詞が一部変更されています。

元のバージョンは、ライブで歌われることがあり、1990年発売のライブアルバム「徳永英明Live」に収録されています。

この曲は1997年に再アレンジされ、「Rainy Blue~1997 Track~」として再発売されています。

タイトルは、もともと「Rainy Blue」と英字表記でしたが、1997年11月1日に再発売されたときのGracenoteへの登録が「レイニー ブルー」だったことから、近年は「レイニーブルー」とカナカタ表記になっています。

徳永英明のエピソードいろいろ

徳永英明は、日常会話では関西弁を話しますが、テレビ番組のインタビューでは九州なまりが時々出ています。

ダウンタウンの松本人志の兄の松本隆博は、中学時代の同級生の友人です。
また、ダウンタウンの浜田雅功の実家の隣が、徳永の親友の実家だったため、徳永が「HEY!HEY!HEY!」へ親友とその妹を連れて浜田と対面させたことがあります。
その親友は相当なヤンキーだったらしく、浜田はそれ以降徳永を「兄やん」と呼ぶようになりました。

2006年に「NHK紅白歌合戦」に初出場した際、リハーサルで出場曲「壊れかけのRadio」の歌う部分を下げるなど、本来の歌い方より崩して歌ったといいます。
そのリハーサルを見ていたSMAPの中居正広(白組司会)に、「徳永さん、なんでそんなことするんですか。ちゃんとCD通りに歌って下さいよ」と言われ、それを聞いた瞬間、「テレビの前の人たちは、この曲をCD通りに歌うことを望んでいるに違いない」とは思いましたが、結局、本番では下げた歌い方で披露されました。

徳永英明は、以前は喫煙していましたが、もやもや病から復帰してからは禁煙しており、できるだけ副流煙も吸わないように努めています。

この、もやもや病というのは、脳血管障害の一種です。
詳しくは、以下の記事をご覧下さい。
 

もやもや病とは? – 脳底部に異常血管網がみられる脳血管障害


「もやもや病(もやもやびょう、Moyamoya disease)」は、脳底部に異常血管網がみられる脳血管障害のことです。脳血管造影の画像において、異常血管網が煙草の煙のように、モヤモヤして見えることからこの病名がついています。もやもや病は、かつては「ウィリス動脈輪閉塞症(ウィリスどうみゃくりんへいそくしょう)」が正式な呼称でしたが、2002年度(平成14年度)から、「もやもや病」が正式となっています。