Super源さんの音楽ブログ

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「手紙/由紀さおり」 - 1970年度年間6位! 第12回日本レコード大賞 歌唱賞受賞曲!

今日は、由紀さおりの「手紙」のご紹介です。

手紙 由紀さおり ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

由紀 さおり(ゆき さおり、本名・旧芸名:安田 章子(やすだ あきこ)、1948年11月13日 -)は、群馬県桐生市出身の歌手、タレント、女優、ナレーターです。
姉は、歌手の安田祥子(やすだ しょうこ)。

由紀 さおりは、少女時代から姉と共に本名の「安田章子」の名前で童謡歌手として活躍していましたが、1965年にキングレコードから本名名義で「ヒッチハイク娘」で歌手デビューをします。

が、ヒットに恵まれず、童謡歌手時代からの仕事であるCM曲や、テレビ・ラジオ主題歌の吹き込み、また、「大人の世界を歌えるように」という修行の意味合いもあって、キャバレー・ナイトクラブへの出演を行ないながら、雌伏の時を過ごします。

1969年、東芝音楽工業(現・ユニバーサル ミュージック EMI Records Japanレーベル)から再デビュー作となった「夜明けのスキャット」を発売。
 

「夜明けのスキャット/由紀さおり」 - 150万枚のミリオンセラーを達成したヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、由紀さおりの「夜明けのスキャット」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。由紀 さおり(ゆき さおり、本名・旧芸名:安田 章子(やすだ あきこ)、1948年11月13日 -


この曲は、もともとTBSラジオの深夜ラジオ番組「夜のバラード」のオープニングとして制作されたもので、当初はレコード化の予定はありませんでした
が、リスナーからの問い合わせが相次ぎ、シングルの発売が企画されます。

発売後、この曲は大ヒットとなり、最終的には、150万枚のミリオンセラーを達成。
同年の暮れには、「第20回NHK紅白歌合戦」で、念願だったNHK紅白歌合戦初出場を果たします(以降1978年・第29回まで10年連続出場)。

そして、翌年の1970年7月5日には、続けてシングル「手紙」を発売。
この曲も、6週連続1位、1970年度年間6位となる大ヒットとなり、「第12回日本レコード大賞」の「歌唱賞」を受賞します。

今日はその、「手紙」をどうぞ。
 
手紙/由紀さおり

この曲の歌詞はこちら

この曲は、当時約70万枚を売り上げました。
由紀さおりは、この曲で1970年暮れの『第12回日本レコード大賞』において歌唱賞を受賞。
同年大晦日に行なわれた『第21回NHK紅白歌合戦』においてもこの曲を歌唱。

前年の第20回に続き2年連続出場を果たし、以降1970年代の紅白常連歌手となります。

後年、日本テレビ系の「速報!歌の大辞テン」でこの曲がランクインした際、由紀さおりがVTRでゲスト出演して、「(風変わりな「夜明けのスキャット」のヒットにより)当時、自分はキワモノ的な存在だったので、この曲がヒットしてホッとしたのを覚えている」という趣旨のコメントをしています。

なお、この曲の出だしの「死んでもあなたと」の部分ですが、オリジナル版レコードでは、「しーんでもーあなたーとー」と歌っていますが、1990年代頃から、「しーんでもーあなたとー」と、歌い方を変えています(変更箇所は、他にも数ヶ所あり)。

どうも、歌い方にどこか違和感があると思ったら、これだったのですね。【><】
オリジナルになじんでいるわたしの耳には、少しせわしなく聞こえます。
何度も聴いているうちに、また耳がなじんでくるのかも知れませんが、この曲には、前の歌い方の方が合っているように思います。

※オリジナルの歌い方は、以下で聞けます(探しました。 (^^;)。



「土曜日のタマネギ/斉藤由貴」- オリコン週間6位を記録したヒット曲!

今日は、斉藤由貴の「土曜日のタマネギ」のご紹介です。

土曜日のタマネギ 斉藤由貴 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

斉藤由貴(さいとう ゆき、本名:小井由貴)いさらい ゆき)(旧姓:斉藤、1966年9月10日 -)は、神奈川県横浜市南区出身の女優、歌手です。

斉藤由貴は、1984年に第3回ミスマガジン(講談社)グランプリを受賞し、1985年に「卒業」で歌手デビューをします。
女優としては、『スケバン刑事』(フジテレビ)で連続テレビドラマ初主演し、また、相米慎二監督『雪の断章 -情熱-』(東宝)で映画デビューをします。

1986年、4月からNHK連続テレビ小説「はね駒(はねこんま)」のヒロインに抜擢され、その平均視聴率が40%を超えます。
このことにより、「斉藤由貴」の名は全国に知れ渡ります。

また、テレビアニメ『めぞん一刻』(フジテレビ)の主題歌に、「悲しみよこんにちは」が起用され、歌番組にも多く出演。
 同年12月には、『第37回NHK紅白歌合戦』(NHK)に同曲で初出場します。

今日は、そんな斉藤由貴の、1986年5月に発売された6枚目のシングルである「土曜日のバルコニー」、じゃなかった「土曜日のタマネギ」をどうぞ。
 土曜日のタマネギ/斉藤由貴

指パッチンが印象的な曲です。
この曲の作詞は谷山浩子、作曲は亀井登志夫、編曲は武部聡志(たけべ さとし)で、亀井登志夫と武部聡志は、このシングルのコーラスの録音にも加わっています(コーラスは、当時はアマチュアだった久保田利伸を加えた計3人)。

この曲は、アルバム「ガラスの鼓動」からのシングル・カットで、12インチ・シングルとして発売されました。本編はアカペラとなっています。
オリコンチャートにおいて、最高順位週間6位を記録しています。

アカペラ・コーラスには、デビューシングルの発売を翌月に控えていた久保田利伸、亀井登志夫、武部聡志、崎谷健次郎、谷山浩子、さらに担当ディレクターでもある元甲斐バンドの長岡和弘が参加しています。

なお、同ジャケット・カップリングのCDシングルは、通常のバージョン(アルバム・バージョン)が収録されています。

ちなみに、武部聡志というのは、ユーミンを筆頭に数多くのJ-POPのアレンジを担当している辣腕アレンジャーで、J-POPのCDをお持ちの方であれば、きっと10枚に1枚、いや、5枚に1枚はその名前を目にしたことがあるかと思います。

斉藤由貴の近況

1994年12月に結婚。
その後、1999年11月に長女、2000年10月に長男、2010年12月に次女を出産。
現在は、3児の母となっています。

2008年3月8日に、PARCO劇場にて、単独では結婚以来13年ぶりのコンサートを開催。
その翌日、追加公演を行ないました。

2011年2月には、デビュー25周年を機に制作されたニューアルバム「何もかも変わるとしても」を発売(先行販売は2010年)。
これに合わせて、5日連続のコンサートをPARCO劇場で開催しました。

また、同年5月10日には、福岡 Yahoo! JAPAN ドームで行なわれた、パ・リーグ公式戦福岡ソフトバンクホークス対オリックス・バファローズの試合前のセレモニーで、「国歌独唱」を行ないました。

「愛のコンチェルト(Concerto Pour Une Jeune Fille Nommee "Je T'Aime)/リチャード・クレイダーマン」 - 1981年シーボン化粧品広告

今日は、リチャード・クレイダーマンの「愛のコンチェルト」のご紹介です。

愛のコンチェルト リチャード・クレイダーマン ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

リチャード・クレイダーマン(リシャール・クレデルマン)(Richard Clayderman、1953年12月28日 -)はフランスのパリ郊外のロマンヴィルで生まれたピアニストです。
本名はフィリップ・ロベール・ルイ・パジェス(Philippe Pages)で、幼少時よりピアノに親しみ、5歳で作曲を始め、学校の教科書よりも楽譜の方がよく読めたと伝えられています。

リチャード・クレイダーマンは、16歳でコンセルバトワールを首席で卒業します。
その後、最終的にポピュラー音楽の道を選び、初めはスタジオ・ミュージシャンや、有名歌手のバック・オーケストラのピアニストを務めていました。
そんな折、クレイダーマンの評判を聞きつけたプロデューサーから、オーディションの誘いを受けます。

そのオーディションは、ポール・ドゥ・センヌヴィル(英語版)とオリヴィエ・トゥッサン(英語版)が行なっていた、当時音楽が過激化へと向かう中、あえてシンプルで美しいメロディーの普遍性を訴える新しいキャラクターによるピアニストを探すというもので、選ばれた暁には、芸名が「リチャード・クレイダーマン」、デビュー曲は「Ballade pour Adeline」(渚のアデリーヌ)とあらかじめ決まっていたといいます。

そして、そのオーディションで集まった約20人の中から、ピアノのテクニック、音楽性、そして容姿のいずれにおいても優れていたのがクレイダーマンで、1976年にセンヌヴィルが設立した新しいレコード会社「デルファン」から、「渚のアデリーヌ」にてレコードデビューすることになります。

デビュー当初、リチャード・クレイダーマンはフランスではあまり注目されませんでしたが、その後西ドイツのテレビドラマの主題歌に使われたことから、全西独シングル・ヒット・チャートの第1位に輝き、これをきっかけにスペイン周辺の国々でもヒットし、いわば逆輸入の形で母国フランスでもヒットすることになります。

今日は、そんなリチャード・クレイダーマンの発売した多くの曲の中から、「愛のコンチェルト」をどうぞ。
 
愛のコンチェルト(Concerto Pour Une Jeune Fille Nommee "Je T'Aime)/リチャード・クレイダーマン(Richard Clayderman)

のせつなさと、哀しみと激しさ。
洗練された情感のあるピアノ演奏と、それを盛り上げるストリングスオーケストラ。
何度も聴きたくなる、とても素敵な楽曲です。(* ̄。 ̄*)
The impatience, sadness, and intensity of love.
The piano performance is sophisticated and emotional, and the string orchestra enhances it.
This is a wonderful song that you will want to listen to again and again.(* ̄。 ̄*)

現在の日本で、リチャード・クレイダーマンの曲として最もよく知られているのは、デビュー曲の『渚のアデリーヌ』でしょう。
が実は、日本で最初にその名を広めたのは、1981年のシーボン化粧品の広告で流れたこの曲なのです。
当時、この広告は頻繁に流れたので、たとえ曲のタイトルを知らなくても、曲を聴けば「ああ、あの化粧品の曲だ」とわかるほどでした。

なお、同じくリチャード・クレイダーマンの演奏する曲の中で、この「愛のコンチェルト」と雰囲気の似た「星空のピアニスト」という楽曲があります。
こちらもお勧めです。

お時間が許せば、こちらも是非お聴きになってみてください。(^^)
 

「星空のピアニスト/リチャード・クレイダーマン」 - 名曲のご紹介 |Super源さんの音楽ブログ


今日は、リチャード・クレイダーマンの「星空のピアニスト(Lyphard Melody)」のご紹介です。写真は、こちらからお借りしました。 リチャード・クレイダーマン(リシャール・クレデルマン