Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「SUN(サン)/星野 源」 - 名曲のご紹介

今日は、星野 源の「SUN(サン)」のご紹介です。

SUN 星野 源 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

星野 源(ほしの げん、1981年1月28日 - )は、埼玉県蕨市(さいたまけんわらびし)の俳優、ミュージシャン、文筆家、映像ディレクターです。
愛称は、「源ちゃん」。

インストゥルメンタルバンド「SAKEROCK(サケロック)」のリーダーとして、主にギターとマリンバを担当。
ライターとしても、多数の連載を抱えているアーティストです。

星野 源は、中学1年生から、演劇活動と音楽活動を同時並行で開始します。
「ニンゲン御破算(ニンゲンごはさん)」の参加をきっかけに、大人計画事務所所属となります。

2000年10月、音楽バンド「SAKEROCK」を結成。

2007年、「テレビブロス」9月1日号から、「細野晴臣と星野源の地平線の相談」を連載開始。

映像制作ユニット「山田一郎」(星野源、山岸聖太、大原大次郎)を主宰し、制作したSAKEROCKのMV「ホニャララ」が、2009年SPACE SHOWER Music Video AwardsのBEST CONCEPTUAL VIDEO賞を受賞します。

2010年、細野晴臣の薦めもありソロデビュー。
1stアルバム「ばかのうた」を、ビクター内の細野晴臣主宰のレーベル「デイジーワールド」から発売。
CDショップ大賞第3回 入選。

2011年10月、ソロ名義での2命枚目のアルバム「エピソード」が、オリコン・ウィークリーチャート(2011年10月10日付)で5位を獲得し、第4回CDショップ大賞準大賞を受賞します。

今日は、そんな星野 源の、2015年5月27日に発売された通算8枚目のシングルである「SUN(サン)」をどうぞ。


SUN/星野 源

約1年ぶりとなった「SUN」は、フジテレビ系水10ドラマ「心がポキッとね」の主題歌のオファーを受け、台本を読み込んで書き下ろしたものです。
星野源にとって、初の連続ドラマ主題歌となります。

この曲は、7インチアナログ盤も同時発売され、こちらはCDとは収録曲が異なり、A面には「SUN」、B面には「SUN(Instrumental)」が収録された全2曲入りとなっています。


時折、このブログに「星野 源」のキーワードで検索して来られる方がいます。
が、私はこのアーティストを知らないため、長い間黙殺(もくさつ)してきたのですが、このたびとても気になり、YouTubeに行って聴いてみたところ…、

おお!(゚o゚)
なかなか良いではありませんか。(^^)v
10数曲聴き、この「SUN」がツボだったので、今日はこの曲のご紹介と相成りました。

シュガー・ベイブの「ダウンタウン」を彷彿(ほうふつ)とさせる軽快な曲で、聴いていると体が動きます。(^^)
あと、「crazy crazy」、そして「夢の外へ」もいいですね。

それで、今気がついたのですが、アーティストの名前が星野「源」で、タイトルが、「SUN」。
合わせると、、、「源・さん」。

おお!(゚o゚) 何と、ダジャレになっているではあーりませんか。(O_o)ビックリー!!!

ということで、今日は、源さんの、源さんによる、源さんの曲のご紹介でした。(^O^)/

「手紙/由紀さおり」 - 1970年度年間6位! 第12回日本レコード大賞 歌唱賞受賞曲!

今日は、由紀さおりの「手紙」のご紹介です。

手紙 由紀さおり ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

由紀 さおり(ゆき さおり、本名・旧芸名:安田 章子(やすだ あきこ)、1948年11月13日 -)は、群馬県桐生市出身の歌手、タレント、女優、ナレーターです。
姉は、歌手の安田祥子(やすだ しょうこ)。

由紀 さおりは、少女時代から姉と共に本名の「安田章子」の名前で童謡歌手として活躍していましたが、1965年にキングレコードから本名名義で「ヒッチハイク娘」で歌手デビューをします。

が、ヒットに恵まれず、童謡歌手時代からの仕事であるCM曲や、テレビ・ラジオ主題歌の吹き込み、また、「大人の世界を歌えるように」という修行の意味合いもあって、キャバレー・ナイトクラブへの出演を行ないながら、雌伏の時を過ごします。

1969年、東芝音楽工業(現・ユニバーサル ミュージック EMI Records Japanレーベル)から再デビュー作となった「夜明けのスキャット」を発売。
 

「夜明けのスキャット/由紀さおり」 - 150万枚のミリオンセラーを達成したヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、由紀さおりの「夜明けのスキャット」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。由紀 さおり(ゆき さおり、本名・旧芸名:安田 章子(やすだ あきこ)、1948年11月13日 -


この曲は、もともとTBSラジオの深夜ラジオ番組「夜のバラード」のオープニングとして制作されたもので、当初はレコード化の予定はありませんでした
が、リスナーからの問い合わせが相次ぎ、シングルの発売が企画されます。

発売後、この曲は大ヒットとなり、最終的には、150万枚のミリオンセラーを達成。
同年の暮れには、「第20回NHK紅白歌合戦」で、念願だったNHK紅白歌合戦初出場を果たします(以降1978年・第29回まで10年連続出場)。

そして、翌年の1970年7月5日には、続けてシングル「手紙」を発売。
この曲も、6週連続1位、1970年度年間6位となる大ヒットとなり、「第12回日本レコード大賞」の「歌唱賞」を受賞します。

今日はその、「手紙」をどうぞ。
 
手紙/由紀さおり

この曲の歌詞はこちら

この曲は、当時約70万枚を売り上げました。
由紀さおりは、この曲で1970年暮れの『第12回日本レコード大賞』において歌唱賞を受賞。
同年大晦日に行なわれた『第21回NHK紅白歌合戦』においてもこの曲を歌唱。

前年の第20回に続き2年連続出場を果たし、以降1970年代の紅白常連歌手となります。

後年、日本テレビ系の「速報!歌の大辞テン」でこの曲がランクインした際、由紀さおりがVTRでゲスト出演して、「(風変わりな「夜明けのスキャット」のヒットにより)当時、自分はキワモノ的な存在だったので、この曲がヒットしてホッとしたのを覚えている」という趣旨のコメントをしています。

なお、この曲の出だしの「死んでもあなたと」の部分ですが、オリジナル版レコードでは、「しーんでもーあなたーとー」と歌っていますが、1990年代頃から、「しーんでもーあなたとー」と、歌い方を変えています(変更箇所は、他にも数ヶ所あり)。

どうも、歌い方にどこか違和感があると思ったら、これだったのですね。【><】
オリジナルになじんでいるわたしの耳には、少しせわしなく聞こえます。
何度も聴いているうちに、また耳がなじんでくるのかも知れませんが、この曲には、前の歌い方の方が合っているように思います。

※オリジナルの歌い方は、以下で聞けます(探しました。 (^^;)。



「土曜日のタマネギ/斉藤由貴」- オリコン週間6位を記録したヒット曲!

今日は、斉藤由貴の「土曜日のタマネギ」のご紹介です。

土曜日のタマネギ 斉藤由貴 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

斉藤由貴(さいとう ゆき、本名:小井由貴)いさらい ゆき)(旧姓:斉藤、1966年9月10日 -)は、神奈川県横浜市南区出身の女優、歌手です。

斉藤由貴は、1984年に第3回ミスマガジン(講談社)グランプリを受賞し、1985年に「卒業」で歌手デビューをします。
女優としては、『スケバン刑事』(フジテレビ)で連続テレビドラマ初主演し、また、相米慎二監督『雪の断章 -情熱-』(東宝)で映画デビューをします。

1986年、4月からNHK連続テレビ小説「はね駒(はねこんま)」のヒロインに抜擢され、その平均視聴率が40%を超えます。
このことにより、「斉藤由貴」の名は全国に知れ渡ります。

また、テレビアニメ『めぞん一刻』(フジテレビ)の主題歌に、「悲しみよこんにちは」が起用され、歌番組にも多く出演。
 同年12月には、『第37回NHK紅白歌合戦』(NHK)に同曲で初出場します。

今日は、そんな斉藤由貴の、1986年5月に発売された6枚目のシングルである「土曜日のバルコニー」、じゃなかった「土曜日のタマネギ」をどうぞ。
 土曜日のタマネギ/斉藤由貴

指パッチンが印象的な曲です。
この曲の作詞は谷山浩子、作曲は亀井登志夫、編曲は武部聡志(たけべ さとし)で、亀井登志夫と武部聡志は、このシングルのコーラスの録音にも加わっています(コーラスは、当時はアマチュアだった久保田利伸を加えた計3人)。

この曲は、アルバム「ガラスの鼓動」からのシングル・カットで、12インチ・シングルとして発売されました。本編はアカペラとなっています。
オリコンチャートにおいて、最高順位週間6位を記録しています。

アカペラ・コーラスには、デビューシングルの発売を翌月に控えていた久保田利伸、亀井登志夫、武部聡志、崎谷健次郎、谷山浩子、さらに担当ディレクターでもある元甲斐バンドの長岡和弘が参加しています。

なお、同ジャケット・カップリングのCDシングルは、通常のバージョン(アルバム・バージョン)が収録されています。

ちなみに、武部聡志というのは、ユーミンを筆頭に数多くのJ-POPのアレンジを担当している辣腕アレンジャーで、J-POPのCDをお持ちの方であれば、きっと10枚に1枚、いや、5枚に1枚はその名前を目にしたことがあるかと思います。

斉藤由貴の近況

1994年12月に結婚。
その後、1999年11月に長女、2000年10月に長男、2010年12月に次女を出産。
現在は、3児の母となっています。

2008年3月8日に、PARCO劇場にて、単独では結婚以来13年ぶりのコンサートを開催。
その翌日、追加公演を行ないました。

2011年2月には、デビュー25周年を機に制作されたニューアルバム「何もかも変わるとしても」を発売(先行販売は2010年)。
これに合わせて、5日連続のコンサートをPARCO劇場で開催しました。

また、同年5月10日には、福岡 Yahoo! JAPAN ドームで行なわれた、パ・リーグ公式戦福岡ソフトバンクホークス対オリックス・バファローズの試合前のセレモニーで、「国歌独唱」を行ないました。