Super源さんの音楽ブログ

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「案山子(かかし)/さだまさし」 - オリコン15位を記録するヒットとなった代表曲!

今日は、さだまさしの「案山子(かかし)」のご紹介です。

案山子 さだまさし ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

(本名:佐田雅志(さだまさし、同じ)、1952年4月10日 -)は、長崎県長崎市出身のシンガーソングライター、タレント、小説家です。愛称は「まっさん」。

さだ まさしは、1972年に、高校時代からの音楽仲間だった友人の吉田正美(現・吉田政美)とフォークデュオ「グレープ」を結成し、メジャーデビューをします。
最初は、まったく売れませんでしたが、やがて「精霊流し」のヒットで、その名が全国的に知られるようになります。

グレープを解散してソロシンガーになってからも、「雨やどり」、「関白宣言」、「親父の一番長い日」、「道化師のソネット」、「防人の詩」、「北の国から~遥かなる大地より~」など、たくさんのヒット曲を生み出します。
中でも、雨やどりがきっかけで知り合って恋に落ち、結婚にまで至る2人の姿をコミカルに歌った「雨やどり」は、オリコンシングルチャート1位となる大ヒットとなります。

また、小説家としても活動し、「解夏(げげ)」「眉山(びざん)」などの著作を出版しています。

今日は、そんなさだまさしの、1977年11月25日に発売されたシングルである「案山子」をどうぞ。
 
案山子(かかし)/さだまさし

この曲の歌詞はこちら

曲は、都会で一人暮らしをする弟(あるいは妹)に、故郷にいる兄がメッセージを送るというものです。
さだまさしによれば、この曲は、大分から福岡へ、弟と一緒に列車で移動する際に、窓から見た景色がきっかけとなってできたものだといいます。

その日は雪が降っていて、車窓から雪の中に案山子がぽつんと立っているのを見たさだまさしは、「かわいそうにな、雪の中に立ってて」と話しかけました。
弟は、鈍い反応しかしませんでしたが、さだまさしはその風景と、自身が経験した都会での1人暮らし、そして弟の台湾留学中の思い出などが重なって、この曲を思いついたということです。

聴いていると、ほんわかと心の温まる曲です。
最近は、こういう感じの曲が少なくなりましたね。

It's a song that really warms your heart when you listen to it.
There are fewer songs like this these days.

何故タイトルが「案山子」なのか、最初は謎ですが、曲を最後まで聴いていくと、あぁなるほど、と納得します。
案山子がシンボルとして、印象的に使われている佳曲だと思います。

またこの曲は、オリコン15位を記録するヒットとなり、「雨やどり」「道化師のソネット」「親父の一番長い日」「関白宣言」などとともに、さだまさしの代表作のひとつとされています。
「雨やどり/さだまさし」 - オリコン1位を獲得したヒット曲! 雨宿りがきっかけで結婚に至る過程を描いたコミカルソング|Super源さんの音楽ブログ

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以前、さだまさしの「道化師のソネット」をご紹介しました。 「道化師のソネット/さだまさし」 - 映画『翔べイカロスの翼』主題歌 オリコン2位を獲得した代表曲!|Super源さんの音楽ブロ


案山子といえば、カラスはしばしば、田んぼの中に立っている案山子を、偽者だと見破ってしまいますね。
時には、案山子の肩の部分に、カラスがちょこんと止まっていることも…。【><】
でも、これは一体何故なのでしょうか?

そのわけを知りたい方は、以下のサイトへGo!
 

カラスは、何故かかしの正体を見破ってしまう?-その意外な理由


田んぼの真ん中に、闖入者(ちんにゅうしゃ)を睥睨(へいげい)するように立っているかかし。が、しばしばその近くには、羽を休めている数匹のカラスがいることも。カラスは、何故かかしの正体を見破ってしまうのでしょうか?カラスは、何故かかしの正体を見破ってしまう?かかしには、たいてい人間の古着が着せられます。この古着には、当然人間の臭いが染みついています。カラスが、立てたばかりのかかしに近づかないのは、これ...


きっと、目からうろこですよ。(*^^)v

「化粧/桜田淳子」 - アルバム「20才になれば」に収録されている名曲

今日は、桜田淳子の「化粧」のご紹介です。

化粧 桜田淳子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

桜田淳子(さくらだじゅんこ、1958年(昭和33年)4月14日 -)は、秋田県秋田市出身の元女優、歌手です。

桜田淳子は、1972年7月19日、中学2年生の時に、日本テレビの人気オーディション番組『スター誕生!』の秋田県民会館で行なわれたテレビ予選で、牧葉ユミの「見知らぬ世界」を歌い、番組史上最高得点となる573点で合格したのがデビューのきっかけです。

そして、その翌年の1973年2月25日には、ビクター音楽産業よりデビュー。デビュー曲「天使も夢みる」は12.1万枚を売上げ、オリコンチャートでも12位になるなど、幸先の良いスタートを切ります。

また、2枚目のシングル「天使の初恋」まで歌う時に被っていたキャスケットも、桜田淳子ののトレードマークとなり、「エンジェルハット」と呼ばれて話題になります。

この時点で、既に人気アイドルの仲間入りを果たしていた桜田淳子ですが、その後、同じ『スター誕生!』出身で、同世代の森昌子・山口百恵と共に「花の中三トリオ」と呼ばれるようになり、この名称は、3年後の「高三トリオ」まで続きます。

そして、3枚目のシングル「わたしの青い鳥」のヒットで、「第15回日本レコード大賞新人賞」、「第4回日本歌謡大賞放送音楽新人賞」を受賞。
さらに、その年の大晦日には「第15回日本レコード大賞」の最優秀新人賞にも輝きます。

今日は、そんな桜田淳子の、1981年1月に発売された、通算33枚目のシングルである「化粧」をどうぞ。
 
化粧/桜田淳子

この曲の歌詞はこちら

この曲は、中島みゆきの同名曲のカバーです。
オリジナルは、1978年4月に発売された中島みゆきのアルバム「愛していると云ってくれ」に収録されています。

というより、一聴して中島みゆきの作品だと分かる曲ですね。(^^;
このメロディー、この節回しが、もうどう聴いても、中島みゆきです。(爆)

この曲は、中島みゆきのオリジナルから半年後の1978年10月に発売された桜田淳子のアルバム「20才になれば」に収録された曲です。
このアルバムは、全曲が中島の作詞・作曲によるもので、中島みゆきのオリジナルのカバーが「化粧」を含めて7曲、シングル発売された桜田淳子への提供曲が、表題曲を含めて3曲収録されています。

桜田淳子の近況

2006年11月24日に、14年間の沈黙を破り、エッセイ集『アイスルジュンバン』(集英社)を出版。
子育てのこと、近所づきあい、学校の先生との触れ合いなどについてユーモアを交えながら綴っています。

2007年に、歌手時代に発表した全19枚のオリジナルアルバムがCDで復刻。
購入特典のメッセージ入りCD「声の手紙」(非売品)の中では、かつてのオリジナル作品3曲を間に挟む形で語り、およそ10数年ぶりに肉声を披露しています。

2008年には、過去のライブアルバム9枚もCD化。
これに、1979年にNHKで放送された『ビッグショー/桜田淳子 明日への序曲』のDVDを加えた『桜田淳子BOXスーパー・ライブ・コレクション』が発売されています。

2013年5月28日に、サンミュージック代表取締役会長:相澤秀禎の通夜に参列。
16年半ぶりに、公の場所に現れます。

同年10月23日には、デビュー40周年を記念し、本人自薦のベストアルバムにTV映像集を加えた『Thanks 40 ~青い鳥たちへ』を発売。
また同年11月26日には、銀座博品館劇場にて「Thanks 40スペシャル~ファン感謝DAY」を開催。
約21年ぶりにファンとの交流を果たしました。

「オードシエル(天の水)/岡村孝子」 - アルバム「Eau Du Ciel(天の水)」のタイトル曲

今日は、岡村孝子の「オードシエル(天の水)」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

岡村 孝子(おかむら たかこ、1962年1月29日 - )は、愛知県岡崎市出身のシンガーソングライターです。
父親は、岡崎市議会議長を務めた岡村秀夫。

岡村孝子は、椙山女学園大学在学中に同級生・加藤晴子とともにデュオ「あみん」を結成します。1982年に、ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)でグランプリを受賞した「待つわ」がヒットしますが、1983年にその活動を休止します。

が、その後ソロ活動を求める声があり、上京して、ソロとして1985年にファンハウス(現在のアリオラジャパン)より、「風は海から」でデビューをします。

岡村孝子のブレイクのきっかけとなったのは、翌年の1986年に歌った、来生たかおの「はぐれそうな天使」で、この曲はホンダ・トゥデイのコマーシャルに起用され、一気に人気が高まります。

今日は、そんな岡村孝子の、1989年6月24日に発売された通算5枚目のオリジナルアルバム「Eau Du Ciel(天の水)」(オー・ド・シエル てんのみず)から、タイトル曲である「Eau Du Ciel(天の水)」をどうぞ。
 
オードシエル(天の水)/岡村孝子

アルバム「Eau Du Ciel(天の水)」は、神聖さをイメージさせる白一色の衣装と、瞳を閉じたジャケット写真が特徴のひとつで、 前作の「SOLEIL」に続き、2作連続でオリコンのアルバム・ヒットチャートで第1位を獲得。
1989年のオリコン年間アルバムヒットチャートでは、第12位にランクされています。

また、発売から1週間後の1989年7月1日には、収録曲の「青い風」が11枚目のシングルとしてリカットされます。
同アルバムの他の収録曲である「愛がほしい」は、日本テレビ系「知ってるつもり?!」の初代エンディング・テーマとして使われ、12枚目のシングル「天使たちの時~Time of the Angels~」のカップリング曲にも採用されています。

岡村孝子の近況

2002年に、ベスト・アルバム「DO MY BEST」を発表後、宮城県仙台市からコンサート活動を再開。
コンサート最終日の渋谷公会堂では、当日の1日限りで「あみん」を再結成。
「天晴な青空」と「待つわ」の当時ヒットした2曲を披露。

2003年に、アルバム「TEAR DROPS」を発売。
エッセイ「Happyをさがして」の連載を、「産経新聞」大阪版夕刊で開始。
このエッセイは、2005年に単行本の書籍としても刊行されました。

2005年に、NHK「夢・音楽館」で、あこがれだったさだまさしと初共演。
ソロ時代は一切音楽番組の出演を断っていましたが、さだまさしとの共演ということで了承。
2005年にNHK-BSプレミアムの番組で岡村孝子コンサートを放送直後、視聴者からDVD発売や再放送等の声が大きくなります。

そして、この共演が縁となり、2006年にはさだまさしとのコラボレーションによるシングル「銀色の少女」が発表されます。
さらに、コーラスとして参加した加藤晴子との再共演も実現します。

2007年、あみんとしての活動を再開。
同年12月31日に「第58回NHK紅白歌合戦」へ紅組で出場。デビュー曲の「待つわ」を披露します。

2011年、所属レーベルをヤマハミュージックコミュニケーションズへ移籍。
同年9月に、約5年ぶり、かつ移籍後第1弾のソロデビュー25周年記念アルバム「勇気」を発売します。