Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「アクアマリンのままでいて/カルロス・トシキ&オメガトライブ」 - 浅野温子・浅野ゆう子W主演のテレビドラマ「抱きしめたい!」主題歌

今日は、オメガトライブの「アクアマリンのままでいて」のご紹介です。

アクアマリンのままでいて カルロス・トシキ&オメガトライブ ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

オメガトライブは、主に1980年代に日本で活躍したバンドです。
プロデューサー藤田浩一の指揮のもと、作曲家林哲司並びに和泉常寛、アレンジャー新川博などの制作陣を中心としたプロジェクトの総称で、ボーカルは杉山清貴、カルロス・トシキ、新井正人と変遷しました。

オメガトライブの音楽の特徴は、夏、海、リゾートをテーマとしたもので、「サザンオールスターズ」や「TUBE」などとともに、サマーソングのヒット曲バンドとして知られています。

今日は、そんな彼らの、1988年8月10日に発売されたヒット曲、「アクアマリンのままでいて」をどうぞ。
 
アクアマリンのままでいて/カルロス・トシキ&オメガトライブ

この曲の歌詞はこちら

この曲は、フジテレビ系列の「木曜劇場」で、1988年7月7日から9月22日まで放送された、浅野温子・浅野ゆう子W主演のテレビドラマ、「抱きしめたい!」の主題歌として使われました。

ちょっぴり哀愁を感じる夏の歌という感じですね。
メインボーカルのカルロス・トシキは、サザンオールスターズの桑田佳祐とはまたちょっと違った意味で、1度聴いたら忘れられない、独特の声と歌い方が特徴の歌手ですが、こちらの方が俄然聴きやすいですね。(^^;
It's like a summer song with a bit of melancholy.
The main vocalist, Carlos Toshiki, is a singer with a unique voice and singing style that is hard to forget once you hear it, in a different way from Keisuke Kuwata of Southern All Stars.
But this one is much easier to listen to. (^^;

ちょっとハスキーで優しい歌声と、たどたどしい日本語ながら一生懸命歌っている姿も好感がもてます。
His voice is a little husky and gentle, and he sings in a faltering Japanese, but I like the way he tries hard to sing.

2000年に放送された日本テレビ系のスペシャルバラエティ番組「あの人は今!?」に、カルロスが緊急来日し、12年ぶりにテレビ出演しました。
その際、大ヒットの「君は1000%」とこの「アクアマリンのままでいて」を、メドレーで歌唱しました。

カルロス・トシキのオフィシャルサイトはこちら。
https://www.carlostoshiki.com/

Twitterはこちら。
https://twitter.com/Chuckybaby1986

「夏のヒロイン/河合奈保子」 - オリコン週間7位を記録したヒット曲

今日は、河合奈保子の「夏のヒロイン」のご紹介です。

夏のヒロイン 河合奈保子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

河合奈保子(かわい なおこ、出生名:河合 奈保子(かわい なほこ)1963年7月24日 -)は、大阪市住之江区出身の歌手、シンガーソングライター、女優です。
娘は、歌手のkaho

河合 奈保子は、1980年代に活躍した歌手・アイドルの一人です。
代表曲には、「エスカレーション」「スマイル・フォー・ミー」「夏のヒロイン」「けんかをやめて」(オリコンチャートシングル売上記録順)などがあります。
 

「エスカレーション/河合奈保子」 - 映画「居酒屋兆治」劇中歌 35万枚近くを売り上げた最大のヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


以前、河合奈保子の「ハーフムーン・セレナーデ」をご紹介しました。 「ハーフムーン・セレナーデ/河合奈保子」 - オリコン週間6位を記録したヒット曲|Super源さんの音楽ブログ以前、河



「スマイル・フォー・ミー/河合奈保子」 - 「第23回日本レコード大賞」ゴールデン・アイドル賞受賞曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、河合奈保子の「スマイル・フォー・ミー」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。河合奈保子(かわい なおこ、出生名:河合 奈保子(かわい なほこ)1963年7月24日 -)は


河合 奈保子の、その明るい笑顔と、天真爛漫で素直な性格は、当時幅広い世代に愛され、またスタイル抜群な彼女は、雑誌のグラビアやアイドル水泳大会を度々飾り、写真集は2012年の現在もなお古書市場において根強い人気を保っています。

また、歌以外にも、ピアノ・ギター・マンドリン・シンセサイザーを演奏し、自作曲(作詞作曲)も発表しています。

くわえて、彼女は中西裕の漫画「あしたのナオコちゃん」のモデルにもなっています。

今日は、そんな彼女の曲の中から、1982年6月10日に発売された通算9枚目のシングルである「夏のヒロイン」をどうぞ。
 
夏のヒロイン/河合奈保子

この曲の歌詞はこちら

この曲は、オリコンで週間7位、1982年度年間60位を記録しました。
河合 奈保子はこの曲で、1982年年末に行なわれた「第33回NHK紅白歌合戦」へ、2年連続で2回目の出場を果たしました。
また、河合奈保子がアイドル歌手としてデビューしてからずっと、シングル(A面)を手掛けてきた作詞・竜真知子、作曲・馬飼野康二コンビの楽曲は、これが最後となりました。

この後は、シンガーソングライターの竹内まりや、作詞・来生えつこ 作曲・来生たかおコンビ、そして作詞・売野雅勇、作曲・筒美京平コンビなどの作品に変わっていきます。

河合奈保子にまつわるエピソード

・小学生の頃の夢は、保母さんになることだった。
1984年9月20日のザ・ベストテンで、タイムカプセル用に録音された当時のテープが公開され、「近所の小さい子がお姉ちゃんと慕ってくれるのが嬉しい。だから保母さんになりたい。」と、将来の夢を語っている様子が放送されました。

・「オメガトライブ」のメンバーだった西原俊次も河合奈保子ファンの一人で、「ザ・ベストテン」では彼女と会えたことが一番印象に残ったと述べています(1985年12月26日放送分)。

・笑福亭鶴瓶が、サインをねだる熱心なファンの少女にサインをしたとき、「可愛い子だなあ」と思い、印象に残ったといいます。
実は、その少女がデビュー前の河合奈保子だったと後に語っています(『鶴瓶のぐるぐるぐるめ』1984年)。

・巨人の元斎藤雅樹投手が、高校時代から河合奈保子の熱烈なファンでした。
が、なかなかサインを手に入れることができず、日本橋三越のサイン会でようやく入手できたそうです。

「もうひとつの土曜日/浜田省吾」 - アルバム「WE ARE STILL ON THE ROAD」に収録されている名曲

今日は、浜田 省吾の「もうひとつの土曜日(WE ARE STILL ON THE ROAD)」のご紹介です。

もうひとつの土曜日 浜田省吾 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

浜田 省吾(はまだ しょうご)は、1952年12月29日生まれ、 広島県竹原市出身のシンガーソングライター、ロックミュージシャンです。

浜田 省吾は、1975年、愛奴(あいど)というバンドを結成し、「二人の夏」でドラムス※としてプロ・デビューしたのですがうまく行かず、1976年に「路地裏の少年」でソロ・デビューをします。


「路地裏の少年/浜田 省吾」 - サングラスがトレードマークである浜田省吾のデビュー曲 |Super源さんの音楽ブログ


今日は、浜田 省吾の「路地裏の少年」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。 浜田 省吾(はまだ しょうご)は、1952年12月29日生まれ、 広島県竹原市出身のシンガーソングライタ


ソロ初ライブは同年4月5日、「渋谷屋根裏」で、ロック志向の本人にとっては不本意ながら、予算の都合上、生ギター1本のスタイルで全国ライブ巡業を開始。
直後に、矢沢永吉のフィルムコンサートの前座を務めます。

また、アイドル歌手時代の竹内まりやとジョイント・コンサートも行なったり、地方のバンドと合体してステージをこなしたりと、歌わせてもらえる所ならどこでも、レコード店の店頭はもちろん、スーパーマーケットの催し、果てはバーのカウンターの中でも歌います。

ソロ活動を行う浜田に、前バンド仲間の町支寛二が合流し、同年12月に愛奴は解散しています。

ちなみに、デビュー時から、サングラスが彼のトレードマークです。

今日は、そんな浜田省吾の、2002年に発売されたアルバム「WE ARE STILL ON THE ROAD」の中から「もうひとつの土曜日」をどうぞ。
 
もうひとつの土曜日(WE ARE STILL ON THE ROAD)/浜田省吾

この曲の歌詞はこちら


いやー、いい曲ですねー。(^o^)
実は私は、この曲を先日初めて聴いたのですが、一聴して気に入ってしまいました。(^.^)

浜田省吾にまつわるエピソードあれこれ

・同じ事務所の後輩であるスピッツとも交流があり、1995年のシングル「我が心のマリア/恋は魔法さ」で共演しています。
まだほとんど売れていなかったデビュー時から、スピッツの音楽性を高く評価しており、「ロビンソン」で彼らがブレイクしたときには「自分のことのように嬉しい」と述べています。

なお、このアルバムには、以下の曲が収録されています。

アルバム「WE ARE STILL ON THE ROAD」の収録曲

1.“Blue Sky”(Instrumental)
2.路地裏の少年
3.“There's No Business Like Show Business”
4.A NEW STYLE WAR
5.MONEY
6.LOVE HAS NO PRIDE
7.君の名を呼ぶ
8.Part of “Midnight Cab”
9.モノクロームの虹
10.さよならゲーム
11.Part of “God's Little Helper”
12.Prologue of “LET SUMMER ROCK '99”
13.勝利への道
14.星の指輪
15.J.BOY
16.もうひとつの土曜日
17.ON THE ROAD
18.終りなき疾走
19.悲しみは雪のように
20.演奏旅行
21.“Blu Sky”(Instrumental)

浜田省吾のエピソードあれこれ

・俳優の時任三郎とは、1980年代からの交友があり、1985年に「WALKING IN THE RAIN」という楽曲を提供しています。
2005年には、「I am a father」のプロモーション・ビデオに時任三郎が出演しています。

・田原俊彦は、デビュー前に「MIND SCREEN」を聴いて浜田省吾のファンになり、デビュー後にこのアルバムに収録された「ダンシング・レディ」をテレビで歌ったことがあります。
また、「明星」1987年1月号で対談もしています。

・元航空幕僚長の田母神俊雄は、「もうひとつの土曜日」がカラオケの十八番だということです。

・明石家さんまを、自身のラジオ番組のゲストに呼んだ際には、「瀬田のスポーツジムで見たさんまのマナーが悪い」と、面と向かって説教を始め、「ボクがゲストやから」と笑いで済まそうとするさんまを無視して説教を続け、さんまを黙らせてしまったことがあります。