Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「ルームライト/由紀さおり」 - オリコン23位を獲得したヒット曲

今日は、由紀さおりの「ルームライト」のご紹介です。

ルームライト ジャケット画
写真は、こちらからお借りしました。

由紀 さおり(ゆき さおり、本名・旧芸名:安田 章子(やすだ あきこ)、1948年11月13日 -)は、群馬県桐生市出身の歌手、タレント、女優、ナレーターです。
姉は、歌手の安田祥子(やすだ しょうこ)。姉とシンガー・ソング・コメディアン(正しくはシンギング・コメディエンヌ)を自称。

由紀 さおりは、少女時代から姉と共に本名の「安田章子」の名前で童謡歌手として活躍していましたが、1965年にキングレコードから本名名義で「ヒッチハイク娘」で歌手デビューをします。

が、ヒットに恵まれず、童謡歌手時代からの仕事であるCM曲や、テレビ・ラジオ主題歌の吹き込み、また、「大人の世界を歌えるように」という修行の意味合いもあって、キャバレー・ナイトクラブへの出演を行ないながら、雌伏の時を過ごします。

1969年、東芝音楽工業(現・ユニバーサル ミュージック EMI Records Japanレーベル)から再デビュー作となった「夜明けのスキャット」を発売。
 

「夜明けのスキャット/由紀さおり」 - 150万枚のミリオンセラーを達成したヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、由紀さおりの「夜明けのスキャット」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。由紀 さおり(ゆき さおり、本名・旧芸名:安田 章子(やすだ あきこ)、1948年11月13日 -


この曲は大ヒットとなり、最終的には、150万枚のミリオンセラーを達成。
同年の暮れには、「第20回NHK紅白歌合戦」で、念願だったNHK紅白歌合戦初出場を果たします(以降1978年・第29回まで10年連続出場)。

そして、翌年の1970年7月5日には、続けてシングル「手紙」を発売。
この曲も、6週連続1位、1970年度年間6位となる大ヒットとなり、「第12回日本レコード大賞」の「歌唱賞」を受賞します。

今日は、そんな由紀さおりの1973年03月01日に発馬された、通算15枚目のシングルである「ルームライト」をどうぞ。
 
ルームライト/由紀さおり

この曲の歌詞はこちら

この曲の作詞は岡本おさみ、作曲は吉田拓郎です。
このコンビは、翌年に発売された森進一の『襟裳岬』をはじめとして、数多くのヒット曲を生んでいます。

この曲の吉田拓郎による由紀さおりへの曲の提供は、ニューミュージック系ミュージシャンによる歌謡曲歌手への楽曲提供の端緒といわれていますが、同年5月23日、ツアー中に吉田拓郎が逮捕されるという事件(通称:金沢事件)が起こったため、この騒動によって、吉田拓郎の提供楽曲だったこの楽曲も放送自粛の処置がとられたため、大きなヒットにはなりませんでした(オリコン23位止まり)。

不倫の関係? 今一分からない、この詞の2人の関係

いやしかし、難しい詩ですね。【><】
まず、この2人の関係が、今一分かりません。
どうやら不倫の関係のようですが、そろそろ終わろうとしているのでしょうか?
もしそうなら、何故、いっしょにタクシーで帰るのでしょうか?

♪あなたが私の手を軽くにぎってくれる頃♪
別れ際に手を握るのですから、少なくともまだダメにはなっていないと思うのですが、かといって、2人の幸せな未来も見えないですね。

♪あなたが運転手に道を教え始めたから♪
私が黙っているから、「あなた(相手の男性)」が道を教えるわけですよね。
そして、教えることが分かっているから、私は黙っている。
そして、「あなた」と別れるときには、いつもこの場面が繰り返される…。
これは、切ないですね。【><】

「私」は、少しでも長くあなたと一緒にいたい。 できることなら明日の朝まで。
でも、あなたは事務的に運転手に道を教えている…。
時間にすれば、わずか数分のシーンを切り取っただけの描写なのに、切なく哀しいです。

♪もう送られることにも 慣れてしまった♪
ここが効いていますね。
この最後のフレーズが、なんともいえない哀愁を誘います。(+_;)

「ルームライト」に似たメロディーの曲がある?

ところで、

「♪道を・教え・はじめ・たから」

の歌詞の部分ですが、この部分、どこかで聞いたことがあるようなメロディーになっているのですが、どなたかお気づきの方はいらっしゃいますか?(・o・)え?

正解は、森進一の「襟裳岬」です。

やはり、最初の方の、

「♪燃やし・はじめてる・らしい」

の部分と、ほぼ同じですね。(^^)
 
「襟裳岬(えりもみさき)/森進一」 - オリコン週間6位を記録したヒット曲! この曲のヒットでえりも町にこの歌の歌碑が|Super源さんの音楽ブログ

「襟裳岬(えりもみさき)/森進一」 - オリコン週間6位を記録したヒット曲! この曲のヒットでえりも町にこの歌の歌碑が|Super源さんの音楽ブログ


以前、森進一の「ゆらぎ」をご紹介しましたが、今日はもう一曲ご紹介したいと思います。曲名は、「襟裳岬(えりもみさき)」です。 写真はこちらからお借りしました。今日は、何故か一日中、この曲が


実はこの2曲、作曲者がどちらも吉田拓郎なのです。

w(゚゜)w エエーッ←(^^;オドロキ 杉。

ちなみに、このシングルの発売から4年後の1977年に発売された吉田拓郎のアルバム『ぷらいべえと』に、この曲のセルフカバー版が収録されています。


おっと!(゚o゚)そろそろ夕飯の時間だ。
何か、今日は私らしくなく、真面目に(?)記事を書いてしまった。(爆)

参考にしたサイト
ルームライト 由紀さおり | 70年代歌謡曲 愛の空間史
http://www.emitefil.com/column/music/room/roomlight.html

「紅い花白い花/やまがたすみこ」 - フォーク・アルバム第1集・風・空・そして愛から収録曲

今日は、やまがた すみこの「紅い花 白い花」のご紹介です。

やまがた すみこ「紅い花 白い花」 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

やまがた すみこ(旧本名 : 山県寿美子、1956年10月11日 -) は、東京都北区出身のフォーク、歌謡曲等のシンガーソングライター、スタジオミュージシャンです。
作詞作曲者としての名義は「山県すみ子」で、他に「モモ」名義の録音もあります。夫は井上鑑(いのうえ あきら)。

やまがた すみこは、小学校6年生の頃から作詞作曲を始め、上野学園高校1年生在学中(1972年)にTBS系の視聴者参加番組「家族そろって歌合戦」に出場し、中学生の時の自作曲「夏になったら」を歌って優勝します。
これをきっかけに、日本コロムビアからスカウトされ、翌年の1973年2月に「風に吹かれていこう」で歌手デビューをします。

最初に発売されたアルバムは本田路津子風のカレッジフォークのスタイルを取っており、自作曲の他に森山良子などの曲をカバーしていました。
が、その後は次第に「ニューミュージック」色が強まっていきます。

1973年12月に発売されたシングル「日立ミュージック・イン・ハイフォニックのテーマ/白い船白い鳥」(高田敏子詞、山本直純曲)では、誕生年が1960年生まれとあります。
ニッポン放送の番組のテーマ曲で、毎週やまがたすみこの歌声が流れていました。

1977年初内の「FLYING(フライング)」では、自作曲が減り、代わって松本隆、鈴木茂、細野晴臣、佐藤健、伊藤銀次らが曲づくりに加わっています。

1985年には、つくば科学万博「住友館」のテーマ曲「空に会おうよ」(作曲・編曲:坂本龍一、作詞:矢野顕子)を「モモ」と言う名前で歌っていました。

今日は、そんなやまがた すみこの、1973年03月25日に発売された、やまがたすみこフォーク・アルバム第1集・風・空・そして愛から、「赤い花白い花」をどうぞ。
 
紅い花白い花/やまがたすみこ

この曲の歌詞はこちら

この曲は、銅版画家の中林三恵(なかばやし みえ)が作詞・作曲した楽曲で、フォークグループ赤い鳥をはじめ、多くのアーティストにより歌われて世に広まり、フォークソングの名曲として愛唱されています。

やまがた すみこは、テレビでは、TBS系TVドラマ「おさななじみ」のテーマ曲「あの日のことは」(1973年)、アニメーション「南の虹のルーシー」のテーマ曲「虹になりたい」「森へおいで」(1982年)で知られています。

ドラマ「おさななじみ」においては、ギターを持ったやまがたすみこが登場して、居間や窓辺で「夏になったら」「風に吹かれていこう」「あの日のことは」などの曲を歌う場面もあり、フォーク歌手というよりも、美少女アイドルといった時期もありました。

やまがたすみこといえば、「ペパーミント・モーニング」もおススメです。
お時間が許せば、こちらも是非お聴きになってみてください。(^^)
 

「ペパーミント・モーニング/やまがた すみこ」 - 管理人一押し! アルバム「FLYING」に収録されている名曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、やまがた すみこの「ペパーミント・モーニング」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。やまがた すみこ(旧本名 : 山県寿美子、1956年10月11日 -) は、東京都北区



「Single Girl(シングルガール)/水越けいこ」 - 代表曲「Too far away」で知られる水越けいこの1981年に発売されたシングル

今日は、水越けい」の「Single Girl(シングルガール)」のご紹介です。

シングルガール 水越けいこ ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

水越けいこ(みずこし けいこ、1954年2月4日 -)は、山梨県出身のシンガーソングライター、作曲家です。

水越けいこは、女性デュオユニット「姫だるま」、田中星児とのデュエット「空よ雲よ小さな風よ」を経て、1978年「しあわせをありがとう」でソロデビューをします。
発売された楽曲には、他に「ほほにキスして」「めぐり逢いすれ違い」などがあります。
 

「ほほにキスして/水越けいこ」 - オリコン33位を記録! 1979年に発売されたヒット曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、水越けいこの「ほほにキスして」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。水越けいこ(みずこし けいこ、1954年2月4日 -)は、山梨県出身のシンガーソングライター、作曲家で


「Too far away」は、アルバム収録曲ですが、谷村新司や安倍なつみなど、多くの歌手がカバーし、水越の代表曲のひとつとなっている曲です。
1980年代以降はテレビ出演を減らし、ライブとアルバム製作を中心に活動しました。
 

「Too far away(トゥー・ファー・アウェイ)/水越 けいこ」 - 管理人一押し! 「しあわせをありがとう」でソロデビューした水越恵子の代表曲|Super源さんの音楽ブログ


以前、水越けいこの「頬にキスして」をご紹介しました。 「ほほにキスして/水越けいこ」 - オリコン33位を記録! 1979年に発売されたヒット曲|Super源さんの音楽ブログ今日は、水


水越けいこの主な活動期は、1970年代中期 - 1992年、そして1997年 - 現在で、その間発売されたシングル盤は31枚、そして、アルバムが21枚です。

また、当時歌手以外の活動として、夜のヒットスタジオ(フジテレビ)、紅白歌のベストテン(日本テレビ)、ドリフ大爆笑(フジテレビ)、レッツゴーヤング(NHK)、ヤングおー!おー!(MBS)などに出演しています。

今日は、そんな水越けいこの、1981年4月に発売された通算7枚目のシングルである、「Single Girl(シングルガール)」をどうぞ。
 
Single Girl(シングルガール)/水越けいこ

この曲の歌詞はこちら

水越恵子は、1974年4月14日放送の「スター誕生!(日本テレビ)」の第133回テレビ予選(山梨県民会館)で合格し、同年8月11日、放送第11回の決戦大会に出場しますが、スカウトされずに失格となったことがあります(この番組では、合格しても、スカウトされなければデビューできません)。

そして、この回で合格し、デビューしたのが、岩崎宏美と黒木真由美でした。

なお、水越けいこは、出産を機に一時活動を休止していましたが、1997年に「You are my life」を発売するなど、現在コンサートや講演などで活躍しています。

水越恵子のオフィシャルブログはこちら。

水越けいこオフィシャルブログ
https://ameblo.jp/keiko-mizukoshi/