Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「各駅停車/猫」 - 「人生なんてそんなものさ」でデビューした猫の1974年のヒット曲 ユニークなバンド名の由来も紹介

今日は、猫の「各停車」のご紹介です。

各駅停車 猫 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

(ねこ)は、1970年代に活躍した日本のフォークロックバンドです。
代表曲には、「雪」「地下鉄にのって」「各駅停車」「僕のエピローグ」などがあります。

「猫」のメンバーは、以下の2人です。

常富喜雄(つねとみ・のぶお)ボーカル・ギター
日暮風太(ひぐらし ふうた)ボーカル・ギター・ピアノ

旧メンバー

田口清
内山修
新井武士
石山恵三
大久保一久
御守孝明
木栄二
ノグチアツシ

」は、1971年10月に、早稲田大学のカレッジフォークグループ「ザ・リガニーズ」のメンバーだった常富喜雄、内山修と、「ジ・アマリーズ」のボーカルだった田口清によって結成されました。
そして、1972年3月9日に、「人生なんてそんなものさ」でデビューをします。

その後、吉田拓郎の作詞作曲・プロデュースによる「雪」「地下鉄にのって」、オリジナル楽曲の「昼下がりの街」「各駅停車」「僕のエピローグ」などがヒットします。

今日は、そんな「猫」の、1974年3月21日に発売された通算6枚目のシングルである「各駅停車」をどうぞ。
 各駅停車/猫

この曲の歌詞はこちら

この曲の作詞は喜多條忠(きたじょう まこと)、 作曲は石山恵三(いしやま けいぞう)、 編曲は瀬尾一三(せお いちぞう)です。
ブラスアレンジが、カッコいいですね。(^^)

「各駅停車」は、もともとアルバム収録曲だった

実は、「各駅停車」は、もともと1973年に発売されたアルバム「猫・あなたへ」に収録されていた曲です。
作曲の石山恵三は、高校時代、高中正義とロックトリオエスケープを結成した人で、1972年から「猫」に参加しています。
石山は、この曲がシングルカットされたことで、高い評価を受けました。

「ニューミュージック」は「猫」を紹介するために作られた言葉だった?

ちなみに、「ニューミュージック」という音楽ジャンルがありますが、これは、当時の音楽誌が、このバンドを紹介するのに「ニューミュージック」と紹介したのが語源だという説があります。


ゆうちゃん



うーん
どうなんだろうね、この説


しんちゃん



「ニューミュージック」というジャンルは、吉田拓郎や井上陽水、荒井由実などが登場すると、既存(きそん)の枠では分類できなくなって作られたという説が一般的だよね


ゆうちゃん



そうだな
彼らの音楽は、「フォークソング」でもなく「ロック」でもないからね


しんちゃん



でも、確かに「猫」の音楽は「ニューミュージック」としか紹介しようがないかもね

「猫」はその後、アルバム「エとピローグ」を発売して解散

「猫」の後期の作品には、アソシエイションを意識した「僕の庭」などがあります。
ソフト・ロック的なアプローチに取り組みましたが、アルバム「エとピローグ」の発売後、1975年に解散。
メンバーの大久保一久はその後、伊勢正三とともに「風」を結成して活躍します。

「猫」というバンド名の由来は?

また、この「猫という」ユニークなバンド名は、「ザ・ビートルズ」「ザ・タイガース」「ザ・スパイダース」など、当時のバンドに多かった「動物・生き物系」をつけようとしたがなかなか決まらず、「猫でも犬でもいいだろう...」ということから「猫」に決まったといいます。

「呼んだかニャン?」
呼んだ? 猫 天井裏に 現る
写真は、こちらからお借りしました。

確かに、彼らのバンドは、その曲もさることながら、もうバンド名からして、何というか柔軟性に富んだ、既成の枠にとらわれないものを感じますね。
なので、「ニューミュージック」語源説には、私は何か納豆、じゃなかった、納得のいくものを感じます。

「猫」の近況

・1982年 - 6月18日、渋谷Egg-manでの山田パンダ&山本コータロー「旧友再会フォーエバーヤングコンサート」にて、一夜限りの再結成。
・1985年 - オールナイト・ライブ「吉田拓郎 ONE LAST NGHIT in つま恋」にて、一夜限りの再々結成。
・1991年 - オリジナルメンバーの田口清が、42歳の若さで他界。
・2000年 - 南こうせつの番組「フォーク大集合」(NHK-BS2)にて一夜限りの再々々結成。
・2004年秋 - 田口清の十三回忌法要で、メンバーが集まったことがきっかけで、約30年の沈黙を破り、再結成。
・2005年9月 - オリジナルアルバム「猫 5」(ネコ・ファイブ) を発売。
ゲストに伊勢正三を迎え、原宿Blue Jay Westで発売記念ライブを行なう。
・2008年3月 - 「猫 5」(ネコ・ファイブ) FLME盤を発売。
・2014年 - 2014年末よりニューアルバム「猫 6」(ネコ・ロク)の録音を開始する。
・2015年 - 11月21日(土)に浅草KURAWOODにて「猫 6」アルバム発売記念ライブが開催される。
・2017年 - 11月より新たにノグチアツシが正式メンバーとなり、全国ツアーを行なう。
・2020年 - 1月より新たにノグチアツシに替り日暮風太が正式メンバーとなり、猫としてニューアルバム「NEKO 7」(ネコ・セブン)の録音を開始。このアルバムは4月中旬に発売。
・2021年1月 - 元メンバーの石山恵三が他界(享年68歳)。
・2021年9月 - 元メンバーの大久保一久が他界(享年71歳)。

「見つめてあげたい/渡辺満里奈」 - 「深呼吸して」でデビューした渡辺満里奈の1988年のヒット曲

今日は、渡辺満里奈の「見つめてあげたい」のご紹介です。

みつめてあげたい 渡辺満里奈 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

渡辺 満里奈(わたなべ まりな、1970年11月18日 - )は、東京都大田区出身のタレント、司会者、女優、歌手です。
満里奈という名前は、ヨット好きだった父が、マリーナからとって命名したということです。

渡辺 満里奈は、1984年のミス・セブンティーンコンテストに応募し、東京地区予選にてCBSソニーにスカウトされます。
そして、1986年3月27日、おニャン子クラブ会員番号36番としてデビュー。
在籍中の1986年10月に発売されたソロデビュー曲「深呼吸して」は、当時のオリコン初登場1位最年少記録(15歳11ヶ月)を樹立します。
 

「深呼吸して/渡辺満里奈」 - オリコン1位を獲得したデビュー曲|Super源さんの音楽ブログ


以前、渡辺満里奈の「カレンダー」をご紹介しました。 「カレンダー/渡辺満里奈」 - 管理人一押し! オリコン11位を記録した1989年のヒット曲|Super源さんの音楽ブログ今日は、渡


おニャン子クラブの解散後も、歌手としてアイドル番組やバラエティーなどに出演。
当初は、アイドルとして事務所の意向に沿った衣装や楽曲で出演していましたが、徐々に自らの意見を加味し、自分の個性に合った曲や衣装などを表現するようになっていきます。

そしてその後、以前から妹分のように目を掛けてくれていたとんねるずの冠番組『とんねるずのみなさんのおかげです』の「仮面ノリダー」のレギュラー出演者に抜擢され、お笑いの資質も見出されました。

今日は、そんな渡辺満里奈の、1988年3月12日に発売された通算6枚目のシングルである「見つめてあげたい」をどうぞ。
 
見つめてあげたい/渡辺満里奈

この曲の歌詞はこちら

この曲は、オリコンチャートで13位を記録しています。

渡辺 満里奈の近況

2000年代からは、ファッション、旅行、健康など彼女の趣味・経験による書籍を多く出版しています。
特に、台湾通として知られており、台湾政府観光局のイメージキャラクターにも選ばれました。
2016年現在は、ピラティス・メソッドの実践で、健康的な体型を維持しています。

2005年4月5日、テレビ朝日の番組『銭形金太郎』で、共演した名倉との婚約を発表。
同年5月5日に婚姻届を提出。同年10月23日に東京プリンスホテルにて結婚披露宴を行ないました。

2007年12月9日、男児を出産。
結婚、出産後は、2008年から雑誌『LEE』における手芸に関する連載、2009年よりオーガニック綿を用いた子供服中心のブランド「gris-gris」の立ち上げなどの活動も行っています。
また、ホメオパシーにも傾倒するようになっており、講演に参加するなどしています。

「夏休みだけのサイドシート」も名曲

渡辺満里奈といえば、「夏休みだけのサイドシート」も名曲です。
もしもお時間があれば、こちらもお聴きになってみてください。
 
「夏休みだけのサイドシート/渡辺満里奈」 - 管理人一押し! 週間1位を記録したヒット曲! 1980年代に本名ではなく芸名で歌っていた歌手13人も調査!|Super源さんの音楽ブログ

「夏休みだけのサイドシート/渡辺満里奈」 - 管理人一押し! 週間1位を記録したヒット曲! 1980年代に本名ではなく芸名で歌っていた歌手13人も調査!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、渡辺満里奈の「夏休みだけのサイドシート」のご紹介です。 渡辺 満里奈(わたなべ まりな、1970年11月18日 - )は、東京都大田区出身のタレント、司会者、女優、歌手です。渡辺



「恋人試験/松本ちえこ」 - 資生堂バスボン CMソング 60歳という早すぎる死とその死因は?

今日は、松本 ちえこの「恋人試験」のご紹介です。

恋人試験 松本ちえこ ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

松本 ちえこ(まつもと ちえこ、本名:松本 千枝子1959年11月12日 - 2019年11月17日)は東京都出身のタレント、女優です。

松本 ちえこは、友達と歌番組の見学に行った際にスカウトされます。
テレビ局の人から、「冗談でいいから番組で今度桜田淳子ちゃんの歌をうたってみてくれない?」と持ちかけられ、OKしたことがデビューの発端となります。

そして、1974年にアイドル歌手と「ボーイフレンド」でデビューをします。

が、デビュー当時は平凡や明星などの白黒ページに取り上げられることはあっても、歌手としてはあまりパッとしない存在でした。
そのため、本人も事務所も、アイドルとしての成功は、半ばあきらめかけていました。
そのため、2曲目の「まぶしい彼」発売後は、1年あまりブランクがあります。

そして、1976年に活動を再開。
再開直後に、資生堂バスボンのCMでブレイク。
同年発売のシングル「恋人試験」は、歌詞が話題になりました。

資生堂バスボン CM 松本ちえこ
写真は、こちらからお借りしました。

今日は、そんな松本ちえこの、1976年8月25日に発売された通算4枚目のシングルである「恋人試験」をどうぞ。
 
恋人試験/松本ちえこ

この曲の歌詞はこちら

何か、アンケート用紙が歌になったような、独特のインパクトのある歌詞が特徴の曲で、当時、この曲と松本ちえこという名前が、強烈にセットで記憶されたことを私は思い出します。(--)トオイ メ

「恋太試験」は、オリコンチャートにおいて最高5位、売り上げ枚数は27、7万枚を記録し、また、当時特別に発売されたシングルカセットやレコード出荷枚数を合計すると、総数は41万枚を超える大ヒットとなります。

資生堂「バスボン」のCMに出演していたのはこの曲の発売前からで、のちにCMで人気となり、この曲にも恵まれました。
CMで使用されたのは「バスボンのうた」と題して、販促用ソノシートレコードとして一部に配布されました。

松本ちえこは、この曲の発売後、アイドルから女優へ転向



しかしながら、松本ちえこはこの曲を発売した翌年の1977年に、“妊娠疑惑騒動”が持ち上がったことで、アイドルからの転身を余儀なくされ、その後は、にっかつロマンポルノに出演するなど、歌手業から女優業へと活動の場を移すことになります。

そして、1995年には、南フランスのプロヴァンス地方で撮影したヘアヌード写真集を出版。
撮影の初日には、ヌーディストビーチに行き、日光浴で全身を小麦色にしてから撮影に臨みました。

何というか、ある意味波乱万丈の人生といったところですね。

松本ちえこのその後~懐古番組出演から突然死まで



2000年12月に、放送の日本テレビ「あの人は今!?20世紀アイドル伝説の108人」で、VTRにて娘の桃子(当時10歳)とテレビ初出演して紹介され、松本ちえこはスタジオ生出演で当時のエピソードと「恋人試験」を披露します。
その時、エピソードのひとつとして、当時バスボンガールだったCM時の男性5人のうちの1人が、モデル活動をしていたデビュー前の山下真司(やました しんじ)高澤桃子(たかざわ ももこ)とたびたび歌謡番組やバラエティー番組で共演。また、親子で「恋人試験」をデュオします。

晩年は女優として活動。2010年以降も、雑誌の取材等に特集されることが多くあり、また、親族が経営している会社に籍を置き、芸能関係の仕事は過去を懐かしむ番組の出演依頼があったら受ける程度だったといいます。

そんな中、2019年11月17日の朝、松本ちえこは大動脈瘤破裂(だいどうみゃくりゅうはれつ)のため死去。享年(きょうねん)60歳でした。

松本ちえこの死因は大動脈瘤破

突然死 死因
前述したように、松本ちえこの死因は大動脈瘤破裂です。
訃報は、当時以下のように伝えられました。
 
 資生堂『バスボン』石鹸のCMで一躍人気を得た女優・松本ちえこさんが11月17日に亡くなっていたことがわかった。享年60。

 関係者によると、死因は大動脈瘤破裂。前日までは普段と変わらない生活を送っており、同居していた娘・高澤桃子さんが、17日の朝に亡くなった状態の松本さんを発見したという。
松本さんは、バラエティー番組『前武のヤングアップ』(テレビ朝日系)をきっかけに、'74年『ボーイフレンド』で歌手デビュー。'76年に出演した資生堂『バスボン』石けんのCMで大ブレイクした。

(中略)

 '14年まで所属していた芸能事務所『アイティ企画』に問い合わせると、

「現在の連絡先を知らないので、事実確認ができず何もお答えができません。事務所を辞めてからは東京にいないと聞いていたため、スタッフは亡くなっていたことも知りませんでした」

 とのこと。

 昨今は、親族が経営している会社に籍を置き、芸能関係の仕事は過去を懐かしむ番組の出演依頼があったら受ける程度だったという。突然この世を去り、残された家族の悲しみは計り知れない。

 なお、都内の斎場にてお通夜と告別式は済んでいる。
出典:https://www.jprime.jp/articles/-/16710?display=b

大動脈瘤破裂という病気は、ほとんどの場合、自覚症状がなく、突然やってくる病気です。
大動脈の血管の壁がコブのようになり、大動脈瘤が破裂すると、出血により突然死に至ってしまうのです。

大動脈瘤破裂の主な原因は、動脈硬化の進行といわれています。
高血圧、糖尿病、肥満・喫煙などが関係しています。
発症年齢は、70歳代が多く、胸部レントゲン写真や腹部の触診で確認をし、破裂前であれば薬物治療や人工血管への置き換え手術などの治療法が存在します。

しかしながら、松本ちえこの場合も、自覚症状がなかったため、突然死となってしまったのです。

西城秀樹(享年63歳)が亡くなったときにも感じましたが、60歳じゃ、まだまだ早いですよね。(@_@)ウーン