Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「プリティー・プリティー/石野真子」 - オリコン26位を記録したヒット曲

今日は、石野 真子の「プリティー・プリティー」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

石野 真子(いしの まこ、本名:同じ 1961年1月31日 -) は、兵庫県神崎郡神崎町(現: 神河町)生まれ、芦屋市育ちの女優、歌手です。女優のいしのようこ(旧表記・石野陽子)は実妹。

石野 真子は、日本テレビの「スター誕生!」から文字通り誕生した歌手で、1978年3月25日に、「狼なんか怖くない」でデビューをします。
 

「狼なんか怖くない/石野 真子」 - オリコンで17位を記録したデビュー曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、石野 真子の「狼なんか怖くない」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。石野 真子(いしの まこ、本名:同じ 1961年1月31日 -) は、兵庫県神崎郡神崎町(現: 神河町


当時、アイドルにはキャッチフレーズをつける慣習のようなものがあり、石野真子につけられたのは「100万ドルの微笑」でした。
また、八重歯とタレ目であることもチャームポイントにしていました(八重歯の方は、その後矯正)。

その後は、「わたしの首領<ドン>」「失恋記念日」「日曜日はストレンジャー」「プリティー・プリティー」「ワンダー・ブギ」と、ヒットを飛ばしていきます。

そして、デビューから2年後の1980年1月1日には、8枚目のシングル「春ラ!ラ!ラ!」を発売。
この曲は、石野真子自己最大のヒット曲となります。

今日は、そんな石野真子の、1979年4月5日日に発売された通算5枚目のシングルである「プリティー・プリティー」をどうぞ。
 
プリティー・プリティー/石野真子

この曲の歌詞はこちら

この曲は、前作「日曜日はストレンジャー」と同じく、阿久悠が作詞を、筒美京平が作曲をそれぞれ手掛けています。
オリコンチャートにおいては、最高順位26位を記録するヒット曲となりました。

また、この曲のステージ衣装には2種類あり、ひとつはマーガレットの花を胸もと一面にあしらったデザインの、かなり丈の短い黄色いワンピース(ミニスカート)と、もうひとつは、「MAKO」と書かれた白のセーラー帽子に白いセーラー服+白のミニスカートでした。

2008年3月26日に発売された、歌手デビュー30周年記念CD-BOX『Mako Pack -Premium- 30th Anniversary Special Edition』に、シングルEPのA・B面曲が共に最新デジタル・リマスタリング音源で収録されました。
石野真子は、この曲の2番の歌詞で、「踊ってごらんよ」の箇所を「踊って見せろよ」と間違えることがあり、上記のCD-BOX収録のDVDで確認すると、バックコーラス嬢の歌詞と違うことが分かります。

「若葉のささやき/天地真理」 - 48.1万枚を売り上げた1973年のヒット曲

今日は、天地 真理の「若葉のささやき」のご紹介です。

若葉のささやき 天地真理 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

天地 真理(あまち まり、1951年11月5日 -)は、埼玉県大宮市(現さいたま市)出身の女性歌手です。

天地 真理は、小学5年生の頃、母親に買ってもらった88鍵のアップライト・ピアノに親しみ、演奏の腕を上げていきます。
そして、1964年、国立音楽大学附属中学校に入学。
1967年、国立音楽大学附属高等学校に進学。当初はピアノ科に入るも、のち声楽科へ転科します。

1970年3月、国立音楽大学附属高等学校声楽科を卒業し、同年7月、TBS系視聴者参加番組「ヤング720」に出演。またこの年の12月、渡辺プロダクションへの所属が内定します。

1970年代前半、天真爛漫な笑顔で、国民的アイドルとなり、後に続くアイドル歌手の基本スタイルを確立します。
デビュー曲は、1971年に発売された「水色の恋」。
 

「水色の恋/天地 真理」 - 管理人一押し! 43.2万枚の売上げを記録した、天地真理のデビュー曲にしてヒット曲!この後も 11枚目のシングルまでヒット曲を連発!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、天地 真理の「水色の恋」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。天地 真理(あまち まり、1951年11月5日 -)は、埼玉県大宮市(現さいたま市)出身の女性歌手です。


その後、「ちいさな恋」「ひとりじゃないの」「虹をわたって」「ふたりの日曜日」「若葉のささやき」「恋する夏の日」「空いっぱいの幸せ」「恋人たちの港」「恋と海とTシャツと」「想い出のセレナーデ」と、次々に大ヒット曲を放っていきます。

キャッチフレーズは「(あなたの心の隣にいるソニーの)白雪姫」。なお、デビュー当初には「可愛いアヒルちゃん」という愛称も用いられました。

さて、今日はそんな天地真理の、1973年3月21日に発売された通算6枚目のシングルである「若葉のささやき」をどうぞ。
 
若葉のささやき/天地真理

この曲の歌詞はこちら

天地真理は、この曲でオリコン1位を獲得。
新曲発表会で10万人以上のファンが集まったことが話題になります。

また、オリコン10位以内には、1973年(昭和48年)4月2日に4位で初登場。
その翌週、週間オリコン1位を5週連続で獲得し、11週にわたってオリコン10位以内にランクイン、100位以内に17週にわたってランクインします。

売上げ枚数は、オリコン集計で48.1万枚。1973年(昭和48年)年間オリコンでは、9位を記録するなど、1973年(昭和48年)の歌謡界を代表する作品のひとつとなります。

天地真理の近況

2016年10月1日のデビュー45周年に向けて、「天地真理クラシック音楽祭」、「天地真理スクリーンコンサート」「天地真理主演映画の上映会」などが、天地真理ファンクラブ事務局主催で頻繁に行なわれています。

また、ファンクラブ会員限定イベントとして、「真理ちゃんと京都でお茶会」が毎年春に開催されており、秋のデビュー記念日頃には「天地真理クラシック音楽祭」を開催し、天地真理のオリジナル作品をポップスの演奏家や、クラシックの編成等、様々な演奏形態で披露されています。

今年秋の歌手生活45周年では、天地真理を讃える「(仮称)天地真理デビュー45周年祝賀会」をファンクラブ会員限定で開催予定で、45周年記念作品「秋にあなたと」も完成し、「国民的歌手・天地真理」の再評価に向けたプロデュースが、より強く発信され、かつてのファンが徐々に戻りつつあり、応援の輪が広がって来ています。

また、2015年2月からは、facebookにて、天地真理からメッセージが一方的ながら発信されています。

「シルエット・ロマンス/大橋純子」 - 48万枚を売上げた、恋愛小説「シルエット・ロマンス」のイメージソング

今日は、大橋 純子の「シルエット・ロマンス」のご紹介です。

シルエット・ロマンス 大橋純子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

大橋 純子(おおはし じゅんこ、1950年4月26日 -)は、北海道夕張市出身の歌手です。

大橋 純子は、1974年に上京し、ヤマハ音楽振興会でアルバイトをしながら、その仲間とバンドで活動を開始します。
が、その日本人離れした歌唱力と音楽性が関係者の耳に止まり、レコード会社のオーディションを受けて合格。
そして、アルバム「フィーリングナウ」でソロデビューをします。

1976年に、2作目のアルバム「ペイパームーン」のタイトル曲が、最初のヒットとなります。

1977年に、「大橋純子&美乃家セントラル・ステイション」(ギタリストは後の一風堂の土屋昌巳)名義でバンド活動。
「シンプル・ラブ」がヒットします。

1978年に、「たそがれマイ・ラブ」がTBS系ドラマ主題歌「獅子のごとく」に採用されてヒット。
この曲は、大橋純子自身最大のヒットとなり、同年末に行なわれた「第20回日本レコード大賞」金賞(大賞ノミネート)を獲得。
その後、「サファリナイト」もヒットします。

そして、1979年には、大晦日に行なわれた「第30回NHK紅白歌合戦」へ「ビューティフル・ミー」で初出場を果たします。

1981年11月には、「シルエット・ロマンス」を発売。
この曲は、同年の「第24回日本レコード大賞」で、最優秀歌唱賞を受賞します。

今日はその、1981年11月5日に発売された大橋 純子の通算18枚目のシングルである「シルエット・ロマンス」をどうぞ。
 
大橋純子 / シルエット・ロマンス

この曲の歌詞はこちら

「シルエット・ロマンス」(Silhouette Romance)というのは、恋愛小説の新書のレーベルで、この曲はそのイメージソングとして制作された楽曲です。

この曲は、発売当初の売れ行きは低調でしたが、翌年に入ってからじわじわと売れ始め、5月24日付のオリコンで最高位の7位を記録し、その後もロングヒットを続けます。
累計売上は48万枚で、またTBS系の音楽番組「ザ・ベストテン」でも、1978年の「たそがれマイ・ラブ」以来4年ぶりにランクインを果たしました。

大橋純子はこの曲で、1982年に開催された第24回日本レコード大賞の最優秀歌唱賞を受賞。
北島三郎と田中邦衛が特別ゲストとして祝福に訪れ、両者に見守られる中、熱唱しました。

なお、「和歌山毒物カレー事件」で逮捕された林眞須美(はやし ますみ)は、2006年に著書「死刑判決は『シルエット・ロマンス』を聴きながら 林眞須美 家族との書簡集」を出版。

この書籍のタイトルは、林眞須美の4人の子供が、ラジオ番組に「ママの大好きな曲」として「シルエット・ロマンス」をリクエストし、拘置所でその放送を聴いた林が声を出して泣いたエピソードが由来となっています。

また、「シルエット・ロマンス」の作曲者である来生たかおは、2009年に行なわれた自身のコンサートで、この本のことを話題に取り上げた後、この曲を披露しました。