Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「グッバイ・ダイアリー/水越けいこ」 - 「しあわせをありがとう」でソロデビューした水越けいこの1982年に発売されたシングル

今日は、水越けいこの「グッバイ・ダイアリー」のご紹介です。

グッバイ・ダイアリー 水越けいこジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

水越けいこ(みずこし けいこ、1954年2月4日 -)は、山梨県出身のシンガーソングライター、作曲家です。

水越けいこは、女性デュオユニット、姫だるまを経て、1978年に「しあわせをありがとう」でデビューをします。

主な活動期は、1970年代中期 - 1992年、そして1997年 - 現在で、その間発売されたシングル盤は31枚、そしてアルバムが21枚。また、当時歌手以外の活動として、夜のヒットスタジオ(フジテレビ)、ドリフ大爆笑(フジテレビ)、紅白歌のベストテン(日本テレビ)、レッツゴーヤング(NHK)、ヤングおー!おー!(MBS)などに出演しています。

今日ご紹介する「グッバイ・ダイアリー」は、1982年12月に発売された曲で、作詞は来生えつこ、作曲は水越恵子です。

それでは早速、「グッバイ・ダイアリー」をどうぞ。
 
グッバイ・ダイアリー/水越恵子

この曲の歌詞はこちら

イヤー、素敵ナ オトナノ 曲。イーデス ネー。(^O^)
””( ・。・) (^.^ )ナニナニ、 イーデス・ハンソン?
古杉!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)!

前述の通り、「しあわせをありがとう」でデビューした山下達郎、じゃなかった水越けいこですが、今日ご紹介した「グッバイ・ダイアリー」をはじめとして、「ほほにキスして」や「Too far away(トゥー・ファー・アウェイ)」、「シングル・ガール」、「ワンナイト」、「32階のバー」など、名曲が多いです。
 

「ほほにキスして/水越けいこ」 - オリコン33位を記録! 1979年に発売されたヒット曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、水越けいこの「ほほにキスして」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。水越けいこ(みずこし けいこ、1954年2月4日 -)は、山梨県出身のシンガーソングライター、作曲家で



「Too far away(トゥー・ファー・アウェイ)/水越 けいこ」 - 管理人一押し! 「しあわせをありがとう」でソロデビューした水越恵子の代表曲|Super源さんの音楽ブログ


以前、水越けいこの「頬にキスして」をご紹介しました。 「ほほにキスして/水越けいこ」 - オリコン33位を記録! 1979年に発売されたヒット曲|Super源さんの音楽ブログ今日は、水


おお!(゚o゚)山下達郎! \(^o^)/ サイコウ!
マチガエ タノ!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

また水越けいこは、以下のアーティストに楽曲提供をしています。

・伊藤つかさ「ピエロのオルゴール」「私の騎士(ナイト)はいつも突然」(作詞・作曲)
・クラッシュギャルズ「ALL FOR LOVE」「さよならのコンチェルト」(作詞・作曲)
・香坂みゆき「二十才のサヨナラ」「星のじゅうたん」「東京が好き」(作詞・作曲)、「42nd st.」(作詞)
・十朱幸代「想い出のスィング」(作詞・作曲)
・原田知世「夢七曜」(作曲)
・マーク(堀内護)「ブラインドをあけると」(作詞)

なお、水越けいこのオフィシャルブログは以下になります。
ファンの方は、以下のサイへGo! (^O^)/

水越けいこオフィシャルブログ
https://ameblo.jp/keiko-mizukoshi/

ン?(?_?) (^.^ )ネエネエ、 キョウハ 圧力 タカク ナイ?
ソレヲ 言ウ ナラ 「テ・ン・ショ・ン」!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)キャイーン!

「LOVE IS ALL(ラブ イズ オール)/徳永英明」 - 月桂冠CMソング

今日は、徳永英明の「LOVE IS ALL(ラブ イズ オール)」のご紹介です。

LOVE IS ALL 徳永英明 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

徳永英明(とくなが ひであき、本名同じ、1961年2月27日 -)は、兵庫県伊丹市出身のシンガーソングライター、作曲家、俳優です。

徳永 英明は、19歳の時に上京し、アルバイトをしながらミュージシャンを目指します。
そして、6年後の1986年1月21日、アルバム「Girl(ガール)」、シングル「Rainy Blue(レイニーブルー)」でRadio Cityレコードよりデビューを果たします。

翌年の8月、富士フイルム「フジカラー」のCMソングとなったシングル「輝きながら…」が大ヒット。
徳永英明は、この曲でブレイクします。
 

「輝きながら・・・/徳永英明」 - 徳永英明のブレイク曲! 南野陽子出演、1987年の「フジカラースーパーHR」CMソング 山口県長門市仙崎にはこの曲の歌碑が|Super源さんの音楽ブログ


今日は、「徳永英明」の「輝きながら・・・」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。徳永英明(とくなが ひであき、本名:同じ、1961年2月27日 -)は、兵庫県伊丹市出身のシンガーソ


この曲が収録されたアルバム「BIRDS(バーズ)」は、マイケルジャクソンの2週連続1位の記録を抜き、オリコンチャート1位を獲得します。

今日は、そんな徳永英明の、1991年9月5日に発売された通算12枚目のシングルである「LOVE IS ALL」をどうぞ。
 
LOVE IS ALL/徳永英明

この曲の歌詞はこちら

この曲を聴いて、あれっ? どこかで聴いたことのある曲だな、と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか?
この曲は当時、月桂冠のCMソングに使われました。
実は私など、ほとんど「耳タコ」状態になっていたりします。(^o^;

なお、椎名恵も 「LOVE IS ALL」という同じタイトルの曲を歌っていますが、徳永英明のこの曲とは同名異曲です。

徳永英明のエピソードいろいろ

徳永英明は、日常会話では関西弁を話しますが、テレビ番組のインタビューでは九州なまりが時々出ています。

ダウンタウンの松本人志の兄の松本隆博は、中学時代の同級生の友人です。
また、ダウンタウンの浜田雅功の実家の隣が、徳永の親友の実家だったため、徳永が「HEY!HEY!HEY!」へ親友とその妹を連れて浜田と対面させたことがあります。
その親友は相当なヤンキーだったらしく、浜田はそれ以降徳永を「兄やん」と呼ぶようになりました。

徳永英明が2006年に「NHK紅白歌合戦」に初出場した際、リハーサルで出場曲「壊れかけのRadio」の歌う部分を下げるなど、本来の歌い方より崩して歌ったといいます。
そのリハーサルを見ていたSMAPの中居正広(白組司会)に、「徳永さん、なんでそんなことするんですか。ちゃんとCD通りに歌って下さいよ」と言われ、それを聞いた瞬間、「テレビの前の人たちは、この曲をCD通りに歌うことを望んでいるに違いない」とは思いましたが、結局、本番では下げた歌い方で披露されました。

徳永英明は、以前は喫煙していましたが、もやもや病から復帰してからは禁煙しており、できるだけ副流煙も吸わないように努めています。

この、もやもや病というのは、脳血管障害の一種です。
詳しくは、以下の記事をご覧下さい。
 

もやもや病とは? - 脳底部に異常血管網がみられる脳血管障害


「もやもや病(もやもやびょう、Moyamoya disease)」は、脳底部に異常血管網がみられる脳血管障害のことです。脳血管造影の画像において、異常血管網が煙草の煙のように、モヤモヤして見えることからこの病名がついています。もやもや病は、



「12月の雨/荒井由実」 - 映画『スイート・スイート・ゴースト』主題歌&『NHKアーカイブス』テーマ曲

今日は、松任谷 由実の「12月の雨」のご紹介です。

12月の雨 荒井由実 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

松任谷 由実(まつとうや ゆみ、本名:同じ。旧姓:荒井 由実(あらい ゆみ1954年1月19日 -)は、東京都八王子市出身のミュージシャンです。愛称はユーミン(Yuming)。夫はアレンジャーの松任谷正隆。

松任谷 由実は、14歳の時に、プロとしての初めての仕事でスタジオでのピアノ演奏をします。
以後、スタジオで演奏をしながらオリジナルの曲を書き、15歳で作詞家としてデビュー。
1971年には、17歳で作曲家としてデビューをします。
その作品は、彼女を本格的なデビューへと誘った加橋かつみ(元ザ・タイガース)へ提供した「愛は突然に…」です。

1972年7月5日には、「返事はいらない」で荒井由実として歌手デビュー。
翌年の1973年11月に、ファーストアルバム「ひこうき雲」を発売。
当時、TBSラジオの深夜放送番組である「パックインミュージック」金曜日の第2部を担当していたパーソナリティ、林美雄の絶大な支持を受けて知名度が上がり、翌1974年から本格的にステージ活動を開始します。

1975年10月に発売されたシングル「あの日にかえりたい」(TBSドラマ「家庭の秘密」主題歌)は、初のオリコンチャート1位を獲得。1976年のシングル年間ランキング第10位のヒットとなり、第一次ブームを迎えます。

6年後の1981年6月に発売されたシングル「守ってあげたい」は、同年のシングル年間ランキング第10位のヒットとなり、第二次ブームが到来。
その年のアルバム「昨晩お会いしましょう」以降のオリジナルアルバムは、17枚連続でオリコン1位を獲得し、1987年のアルバム「ダイアモンドダストが消えぬまに」以降は、9作連続のミリオンセラーとなります。

今日は、歌手デビュー2年後の1974年10月5日、「荒井由実」時代に発売された通算4枚目のシングルである、「12月の雨」をどうぞ。

この曲の歌詞はこちら

いやー、軽快でいい曲ですねー。(^o^)
この曲は、2枚目のアルバム「ミスリム」からのシングルカットで(同アルバムと同時発売)、シングルのジャケット写真は、イタリアンレストラン「キャンティ」のオーナー所有のグランドピアノの前で撮影されました。

またこの曲は、フジテレビ「おそく起きた朝は…」の初期のオープニングテーマとして使われました。
2000年には映画『スイート・スイート・ゴースト』主題歌に、そして2004年からNHK総合『NHKアーカイブス』のテーマ曲として使われています。

雨音に気づいて~ 遅く起きた朝は~♪ (^O^)

ソンナ 大きな 声デ 歌ワナクテ ヨロシイ。(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

この曲のバックコーラスには、山下達郎、大貫妙子らシュガー・ベイブのメンバーが参加しており、また初めてシュガー・ベイブのメンバーが参加した作品でもあります。

シュガーベイブが「12月の雨」のコーラスに参加するようになったいきさつは?

あるとき、シュガー・ベイブがレコーディングで参加した某歌手のライブで、山下達郎だけがコーラスに参加を依頼され、他には有名な女性コーラス2人が参加予定でした(バックミュージシャンはキャラメル・ママと矢野顕子)。

しかしながら、リハーサルの段取りが悪く、女性2人が本番の直前に降りてしまったため、ライブを見に会場に来ていた大貫妙子と村松邦男が急遽コーラスとして参加するということがありました(大貫妙子と村松邦男は、シュガーベイブのメンバー)。

それをたまたま見に来ていたユーミンが、「あのコーラスは誰?」ということになり、「12月の雨」のレコーディングに呼ばれ、参加することになりました。