Super源さんの音楽ブログ

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「 ふたりの愛ランド/石川優子とチャゲ」 - JAL沖縄キャンペーン&マクドナルドCM 累計45万枚の売上げを記録したヒット曲

今日は、石川優子とチャゲの「ふたりの愛ランド」のご紹介です。

 ふたりの愛ランド 石川優子とチャゲ ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

石川 優子(いしかわ ゆうこ、本名:田中優子、旧姓:石川 1958年10月3日 -)は、大阪府大東市深野出身のシンガーソングライターです。

石川 優子は、中学3年でギターをはじめ、高校時代は女性デュオの「スリーピー」、高校3年から短大にかけてはバンドの「ファンタスティック」などに参加して活躍します。

1978年、ヤマハ第16回ポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)つま恋本選会にCHAGE and ASKA(チャゲ アンド アスカ)、円広志(まどか ひろし)、大友裕子(おおとも ゆうこ)、クリスタルキングらとともに出場し、「夜の雨」を歌って注目されます。

そして、1979年3月に「沈丁花」で歌手デビューし、同年7月には石川優子自身が作詞・作曲した2枚目のシングル、「レット・ミー・フライ」、11月には3枚目のシングル「クリスタル モーニング」を発売。
この曲は、本人出演の「コルゲントローチ」CM曲となり、大ヒットをします。


ゆうちゃん



「コルゲントローチ」のCMって、どんなの?

しんちゃん



動画を下に張りつけておくよ
「コルゲントローチ」CM 1979年 石川優子

1981年には、通算7枚目のシングルとして発売された「シンデレラ サマー」が、同年のJAL沖縄キャンペーンソングとなって大ヒット。
美しい声とアイドル並の容姿を持ちながら、作詞・作曲もこなす実力派歌手として認知されます。

1984年には、CHAGEとのデュエットが実現。
CHAGEが作曲した「ふたりの愛ランド」がJAL沖縄キャンペーンソングに決まったことで、「石川優子とチャゲ」というアーティスト名で、その夏最大のヒットを飛ばします(「ザ・ベストテン」には11週連続登場。最高2位)。

なお、このCMに出演していた女優は、津山要(つやまかなめ 本名:本田要、東京都墨田区本所出身 1962年9月1日 - )で、1981年に、600人余りの中から日本航空の沖縄キャンペーンガール第1号に選ばれました。
そして、同年放送の日本テレビ系列・金曜劇場のテレビドラマ『私はタフな女』で女優デビューをしています。

津山要 日本航空沖縄キャンペーンガール第1号
出典:https://aucfree.com/items/d1039964312

さて今日は、1984年4月21日に発売された、石川優子とチャゲ(現:Chage)とのコラボレーションソングである、その「ふたりの愛ランド」をどうぞ。
 
13 ふたりの愛ランド 投稿者 jinta36

この曲の歌詞はこちら

♪夏夏 夏夏 ココナッツ アイアイアイアイアイランド♪ )^o^(

いやー。いいですねー。(^O^)
夏の太陽と潮風の香りがする、爽やかで素敵な曲です。(^-')

この「ふたりの愛ランド」は、2021年にはマクドナルドのCM - マクドナルドでハワイなう!バーガー篇(15秒) - に起用されました。
 
【マクドナルド】ハワイなう! 15秒 CM

「 ふたりの愛ランド」にまつわるエピソード

「ふたりの愛ランド」で、目立たない存在だったチャゲにチャンス到来!

当時、チャゲ&飛鳥(現:CHAGE and ASKA)の発売するシングルA面は、すべて飛鳥(現:ASKA)がメインボーカルをとっていました。
そのため、チャゲは、シンガーソングライターとして単独でもやっていけるほどの実力を持ちながらも、自身がメインボーカルを務める楽曲は常にB面にとどまっており、彼が目立つ機会は皆無といっていいほどでした。

そんな折、JALのCMソングとして、2人の所属するレコード会社であるヤマハに依頼があり、そこでチャゲの作った「ふたりの愛ランド」に白羽の矢が立ちました。
ついに、チャゲにチャンス到来です!

石川優子と組むようになった経緯(いきさつ)

しかしながら、この曲は「チャゲ&飛鳥」がいつも歌っている曲とはあまりにも曲調が異なっており、本人もシャレのつもりで書いたものだったため、ヤマハの制作プロデューサー・山里剛が、この曲を飛鳥とではなく、前年にJALのキャンペーンソングを担当した石川優子と組むことを提案し、それが採用されました。

また、チャゲはこの曲を、男女のデュエットで歌うことを想定せず、自分の歌いやすいキーで作曲していたため、石川優子とデュエットを組む際には、キー合わせに苦心したといいます。

結果、この曲は累計で45万枚を売上げました。

「ムーンライト・ジルバ/やまがた すみこ」 - アルバム「FLYING」に収録されている名曲

今日は、やまがた すみこの「ムーンライト・ジルバ」のご紹介です。

ムーンライト・ジルバ やまがた すみこ ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

やまがた すみこ(旧本名 : 山県寿美子、1956年10月11日 -) は、東京都北区出身のフォーク、歌謡曲等のシンガーソングライター、スタジオミュージシャンです。
作詞作曲者としての名義は「山県すみ子」で、他に「モモ」名義の録音もあります。夫は井上鑑(いのうえ あきら)。

やまがた すみこは、小学校6年生の頃から作詞作曲を始め、上野学園高校1年生在学中(1972年)にTBS系の視聴者参加番組「家族そろって歌合戦」に出場し、中学生の時の自作曲「夏になったら」を歌い優勝します。
これをきっかけに、日本コロムビアからスカウトされ、翌年の1973年2月に「風に吹かれていこう」で歌手デビューをします。

ファーストアルバム「やまがたすみこフォークアルバム第一集 風、空、そして愛」(1973年3月)では、本田路津子風のカレッジフォークのスタイルを取り、自作曲の他に森山良子などの曲をカバーしていましたが、その後は次第に「ニューミュージック」色が強くなっていきます。

1977年7月25日に発売されたアルバム「FLYING(フライング)」においては、自作曲が減り、代わって松本隆、鈴木茂、細野晴臣、佐藤健、伊藤銀次らが曲づくりに参加しています。

1985年には、つくば科学万博「住友館」のテーマ曲「空に会おうよ」(作曲・編曲:坂本龍一、作詞:矢野顕子)を「モモ」と言う名前で歌っていました。

今日は、そんなやまがた すみこの、1977年07月01日に発売された通算9枚目のシングルである「ムーンライト・ジルバ」をどうぞ。
 
この曲の歌詞はこちら

この曲は、同月末に発売された、前述の「FLYING(フライング)」にも収録されています。

やまがた すみこは、テレビ媒体においては、TBS系TVドラマ「おさななじみ」のテーマ曲「あの日のことは」(1973年)、アニメーション「南の虹のルーシー」のテーマ曲「虹になりたい」「森へおいで」(1982年)で知られています。

『おさななじみ』のドラマ中では、ギターを持つやまがたすみこが登場して、居間や窓辺で「夏になったら」「風に吹かれていこう」「あの日のことは」などの曲を歌う場面もあり、林寛子と「この広い野原いっぱい」を合唱する場面もあります。
単なるフォーク歌手というよりも、一種美少女アイドル寄りの時期もありました。

また、1974年には、NHK教育テレビ(現:Eテレ)の学校放送番組「うたって・ゴー」で、歌のお姉さんとして出演したこともあります。

ちなみに、同年に発売された名曲としては、他にイルカの「雨の物語」、さだまさしの「かかし」、岡田奈々の「らぶ・すてっぷ・じゃんぷ」、キャンディーズの「わな」などがあります。

「白いパラソル/松田聖子」 - 「ザ・ベストテン」で初登場1位を達成したヒット曲!

今日は、松田 聖子の「白いパラソル」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

松田 聖子(まつだ せいこ、出生名:蒲池法子(かまち のりこ) 1962年3月10日 -)は、福岡県久留米市荒木町出身の歌手、女優、タレントです。

松田聖子は、1980年に「裸足の季節」で歌手デビュー。
この曲はCMタイアップで火がつき、その後続けざまに「青い珊瑚礁」、「風は秋色」、「チェリーブラッサム」、「夏の扉」、「白いパラソル」、「風立ちぬ」、「赤いスイートピー」とヒットを飛ばしていきます。
 

「チェリーブラッサム/松田聖子」 - オリコン週間1位を獲得したヒット曲! 曲の制作秘話も紹介|Super源さんの音楽ブログ


今日は、松田 聖子の「チェリーブラッサム」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。松田 聖子(まつだ せいこ、出生名:蒲池法子(かまち のりこ) 1962年3月10日 -)は、福岡



「風立ちぬ/松田聖子」 - 第23回日本レコード大賞受賞曲! グリコ・ポッキーのCMソング|Super源さんの音楽ブログ


今日は、松田 聖子の「風立ちぬ」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。松田 聖子(まつだ せいこ、出生名:蒲池法子(かまち のりこ) 1962年3月10日 -)は、福岡県久留米市


また、当時、トレードマークであったヘアスタイルの「聖子ちゃんカット」や、新しいアイドルとしての生き方に関しても多くの話題を集めた松田聖子は、間違いなく1980年代を代表するアイドル歌手のひとりといってよいでしょう。

今日は、1981年7月21日に発売された、松田聖子の通算6枚目のシングルである「白いパラソル」をどうぞ。
 
白いパラソル/松田聖子

この曲の歌詞はこちら
この曲のオリコンチャートの最高順位は、以下の通りです。

・週間1位
・1981年8月度月間1位
・1981年9月度月間5位
・1981年度年間23位
この曲は、松本隆作詞による最初のシングルで、「ザ・ベストテン」において、初登場でなおかつ1位を達成しました。

その際、松田聖子は、番組企画のご褒美として、大阪・エキスポランドにて、ベストテン追っかけマン(毎日放送:青木和雄アナウンサー)と2人で、ジェットコースター〝ダイダラザウルス〟に乗り込み、この曲を歌唱しました。

歌詞に出てくる「ディンギー」(1人乗りのヨット)について、松田聖子は何であるか知らず、松本隆に確認したのは1年後のことでした。

歌詞は「風を切るディンギーでさらってもいいのよ」と続いていますが、松本隆は後年、

「よく考えたら、一人乗りのヨットだったら、さらっても一緒に乗れないんだよなあ」「でも、詞なんだから。そういう細かいことを考えていたら、書けなくなってしまう」

と語っています。

なおこの曲は、2004年に紙ジャケット仕様の完全生産限定盤12cmCDとして、再発売されています。