Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

Rss  Admin

「哀愁エクスプレス/佐野量子」 - 「ファースト・レター」で歌手デビューした佐野量子の1988年のヒット曲

今日は、佐野量子の「哀愁エクスプレス」のご紹介です。

哀愁エクスプレス 佐野量子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

佐野 量子(さの りょうこ、1968年8月22日 -)は、静岡県富士宮市出身の元タレント・歌手・女優で、本名は武量子(たけ かずこ、旧姓:佐野)です。

佐野量子 アイドル歌手 女優 写真 イメージ
写真はこちらからお借りしました。

佐野量子は、1984年10月、日本テレビ系ドラマ「気分は名探偵」で女優デビューします。
が、本人は、歌手への憧れも持ち続けていたといいます。

そして、1985年4月21日に、「ファースト・レター」で歌手デビュー。
 

「ファースト・レター/佐野量子」 - 1985年に発売された、佐野量子のデビューシングル!|Super源さんの音楽ブログ


以前、佐野量子(さのりょうこ)の「蒼いピアニシモ」をご紹介しましたが、今日はもう一曲ご紹介したいと思います。 曲名は、「ファースト・レター」です。 写真は、こちらからお借りしました。こ


その後は、所属事務所の方針転換に伴い、バラエティ番組への出演が増えていきます。

同事務所の小堺一機や関根勤と共演する機会が増え、この2人が佐野量子の天然な言動や珍回答を上手く拾ったことで、いわゆるバラドルとしての一面も開花、重宝されるようになっていきます。

佐野 量子の出演したバラエティー番組には、「笑っていいとも」、「おれたちひょうきん族」、「ライオンのごきげんよう」などがあります。
佐野量子はまた、その他映画、ドラマ、CMなどでも活躍しています。

さて、今日はそんな佐野量子の、1988年11月1日に発売された通算12枚目のシングルである「哀愁エクスプレス」をどうぞ。

哀愁エクスプレス 佐野量子 (1989)

この曲の歌詞はこちら

いい曲ですねー。(^o^)
アレンジ、歌詞ともに素敵です。
何より、他の曲もそうですが、佐野量子によく合った曲に仕上がっているのではないかと思います。


ゆうちゃん



「哀愁エクスプレス」、いい曲だよなー!


しんちゃん



同感!
でもオレは、「TOMORROW」の方がもっと好きだな
この曲は、前作「TOMORROW」の4ヶ月後に発売された曲で、作詞は有川正沙子、作曲は 牧野信博です。
 

「TOMORROW/佐野量子」 - 1988年に発売された通産11枚目のシングルで、管理人の一押し曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、「佐野量子」の「TOMORROW(トゥモロー)」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。 佐野 量子(さの りょうこ、1968年8月22日 -)は、静岡県富士宮市出身の元タ


佐野量子の芸名は「りょうこ」ですが、本名は「かずこ」です。
また、アイドル時代の趣味は、アクセサリー収集、スポーツで、特技はピアノでした。

佐野量子は、現在何している?

佐野量子は、1995年にJRA騎手・武豊と結婚して以後、メディアに出演することはありませんでした。
が、2015年10月10日放送の『豊さんと憲武ちゃん! 旅する相棒〜1泊2日京都編〜』で、約20年ぶりに夫婦そろってテレビ番組に登場しました。

このとき、夫婦の自宅が公開され、お城のような豪邸(ごうてい)に住んでいることも話題になりました。

佐野量子夫婦の住む豪邸

この番組は、水谷豊と木梨憲武が、共に交友がある武豊騎手がいる栗東トレセンを訪問し、調教終了後、武豊の京都の豪邸へ行くというものでした。
それまで、夫婦の自宅の撮影はNGでしたが、「水谷豊さんが来るなら」と、妻の佐野量子のOKが出て実現した企画だということです。

というのは、佐野量子の初ドラマ出演が、水谷豊主演の『気分は名探偵』でした。
佐野量子と水谷豊は、そのような縁があったのです。
そこで佐野量子は、水谷豊との30年ぶりの再会を望んでいたというわけなのですね。

西村知美とは現在も親交が

なお、西村知美とはアイドル時代から仲がよく、現在も親交があります。
2014年には、西村知美のブログに、佐野量子とのツーショット写真が掲載されました。

西村知美 佐野量子 ツーショット写真
写真は、こちらからお借りしました。

「星のフラメンコ/西郷輝彦」 - 名曲のご紹介

今日は、西郷輝彦の「星のフラメンコ」のご紹介です。

星のフラメンコ 西郷輝彦 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

西郷 輝彦(さいごう てるひこ、本名:今川 盛揮 1947年2月5日 -)は、鹿児島郡谷山町(現:鹿児島市)の歌手、俳優、タレントです。
芸名は明治維新の三傑の一人西郷隆盛にちなむ。
歌手としては、橋幸夫・舟木一夫と共に「御三家」と呼ばれた(徳川御三家になぞらえて命名された)。

西郷 輝彦は、1964年2月に、「君だけを」でデビューをします。
同曲は60万枚を売り上げ、この曲とともに「十七才のこの胸に」もヒットします。
そして、両曲でその年の第6回日本レコード大賞新人賞を獲得。

西郷 輝彦は、人気歌手としてだけでなく、多くの映画にも主演し、1960年代を代表する青スターでした。

特に、1966年に発売した「星のフラメンコ」は、30万枚を売り上げる大ヒットとなり、何人かの歌手によるカバーのほか、タモリ(曲名は「肉のフラメンコ」)やCMなどにパロディー化もされています、

また、2008年には、フラメンコの本場であるスペイン出身の歌手・ライートが、自身のアルバムでこの曲を英語でカバーしています。

それでは今日は、1966年07月01日に発売された、西郷 輝彦の通算26枚目のシングルである、その「星のフラメンコ」をどうぞ。

いやー、ノリのいい曲ですねー。(^O^)
もしも宇宙空間でこの曲を歌ったら、さぞかし気持ちがいいことでしょうね。(^^)

ドウイウ 発想 ダイ、ソレハ。((( ~_~)  (^ . ^)

西郷 輝彦は、1975年からは時代劇にも進出。
特に、国民的時代劇であるTBS「ナショナル劇場」の「水戸黄門第6部」の第1話にゲストとして招かれて出演したことがきっかけで、同枠の時代劇「江戸を斬る」の主演・遠山金四郎役に抜擢(ばってき)されます。

同時代劇で京都映画祭新人賞を受賞し、第4シリーズの初回において最高視聴率36.7%を獲得するなどの人気シリーズとなり、俳優としての地位を確立します。

また、あらゆる面でその後の人生に大きな影響を与えた森繁久弥(もりしげ ひさや)に師事し、舞台「暖簾(のれん)」「孤愁の岸(こしゅうのきし) ※」「屋根の上のヴァイオリン弾き」などに出演する森繁ファミリーの一員でもありました。

さらには、NHK大河「独眼竜政宗」の片倉景綱役や、時代劇「水戸黄門」の松平頼常役、「江戸を斬る」の遠山金四郎役など、主に時代劇俳優として活躍する一方、近年ではタレントとしてもみのもんたの「午後は○○おもいッきりテレビ」などに出演しています。

※「孤愁の岸」のオリジナルは、昭和37年(1962年)に刊行された杉本苑子の歴史小説。江戸時代の濃尾平野の治水事業を題材にした作品で、同年、第48回直木賞受賞。

「 ふたりの愛ランド/石川優子とチャゲ」 - JAL沖縄キャンペーン&マクドナルドCM 累計45万枚の売上げを記録したヒット曲

今日は、石川優子とチャゲの「ふたりの愛ランド」のご紹介です。

 ふたりの愛ランド 石川優子とチャゲ ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

石川 優子(いしかわ ゆうこ、本名:田中優子、旧姓:石川 1958年10月3日 -)は、大阪府大東市深野出身のシンガーソングライターです。

石川 優子は、中学3年でギターをはじめ、高校時代は女性デュオの「スリーピー」、高校3年から短大にかけてはバンドの「ファンタスティック」などに参加して活躍します。

1978年、ヤマハ第16回ポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)つま恋本選会にCHAGE and ASKA(チャゲ アンド アスカ)、円広志(まどか ひろし)、大友裕子(おおとも ゆうこ)、クリスタルキングらとともに出場し、「夜の雨」を歌って注目されます。

そして、1979年3月に「沈丁花」で歌手デビューし、同年7月には石川優子自身が作詞・作曲した2枚目のシングル、「レット・ミー・フライ」、11月には3枚目のシングル「クリスタル モーニング」を発売。
この曲は、本人出演の「コルゲントローチ」CM曲となり、大ヒットをします。


ゆうちゃん



「コルゲントローチ」のCMって、どんなの?

しんちゃん



動画を下に張りつけておくよ
「コルゲントローチ」CM 1979年 石川優子

1981年には、通算7枚目のシングルとして発売された「シンデレラ サマー」が、同年のJAL沖縄キャンペーンソングとなって大ヒット。
美しい声とアイドル並の容姿を持ちながら、作詞・作曲もこなす実力派歌手として認知されます。

1984年には、CHAGEとのデュエットが実現。
CHAGEが作曲した「ふたりの愛ランド」がJAL沖縄キャンペーンソングに決まったことで、「石川優子とチャゲ」というアーティスト名で、その夏最大のヒットを飛ばします(「ザ・ベストテン」には11週連続登場。最高2位)。

なお、このCMに出演していた女優は、津山要(つやまかなめ 本名:本田要、東京都墨田区本所出身 1962年9月1日 - )で、1981年に、600人余りの中から日本航空の沖縄キャンペーンガール第1号に選ばれました。
そして、同年放送の日本テレビ系列・金曜劇場のテレビドラマ『私はタフな女』で女優デビューをしています。

津山要 日本航空沖縄キャンペーンガール第1号
出典:https://aucfree.com/items/d1039964312

さて今日は、1984年4月21日に発売された、石川優子とチャゲ(現:Chage)とのコラボレーションソングである、その「ふたりの愛ランド」をどうぞ。
 
13 ふたりの愛ランド 投稿者 jinta36

この曲の歌詞はこちら

♪夏夏 夏夏 ココナッツ アイアイアイアイアイランド♪ )^o^(

いやー。いいですねー。(^O^)
夏の太陽と潮風の香りがする、爽やかで素敵な曲です。(^-')

この「ふたりの愛ランド」は、2021年にはマクドナルドのCM - マクドナルドでハワイなう!バーガー篇(15秒) - に起用されました。
 
【マクドナルド】ハワイなう! 15秒 CM

「 ふたりの愛ランド」にまつわるエピソード

「ふたりの愛ランド」で、目立たない存在だったチャゲにチャンス到来!

当時、チャゲ&飛鳥(現:CHAGE and ASKA)の発売するシングルA面は、すべて飛鳥(現:ASKA)がメインボーカルをとっていました。
そのため、チャゲは、シンガーソングライターとして単独でもやっていけるほどの実力を持ちながらも、自身がメインボーカルを務める楽曲は常にB面にとどまっており、彼が目立つ機会は皆無といっていいほどでした。

そんな折、JALのCMソングとして、2人の所属するレコード会社であるヤマハに依頼があり、そこでチャゲの作った「ふたりの愛ランド」に白羽の矢が立ちました。
ついに、チャゲにチャンス到来です!

石川優子と組むようになった経緯(いきさつ)

しかしながら、この曲は「チャゲ&飛鳥」がいつも歌っている曲とはあまりにも曲調が異なっており、本人もシャレのつもりで書いたものだったため、ヤマハの制作プロデューサー・山里剛が、この曲を飛鳥とではなく、前年にJALのキャンペーンソングを担当した石川優子と組むことを提案し、それが採用されました。

また、チャゲはこの曲を、男女のデュエットで歌うことを想定せず、自分の歌いやすいキーで作曲していたため、石川優子とデュエットを組む際には、キー合わせに苦心したといいます。

結果、この曲は累計で45万枚を売上げました。