Super源さんの音楽ブログ

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「まいったネ今夜/少年隊」 - オリコンチャート1位を獲得したヒット曲!

今日は、少年隊の「まいったネ今夜」のご紹介です。

まいったネ今夜 少年隊 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

少年隊(しょうねんたい)は、ジャニーズ事務所に所属する日本の3人組男性グループです。
愛称は「ショーネン」。

メンバーは、錦織一清(ニッキ:リーダー)、植草克秀(カッちゃん)、東山紀之(ヒガシ)。

現在、少年隊はジャニーズ事務所所属のアイドルグループの中で、最も古株でもあります。

「少年隊」は、もともと彼ら3人を含めても当時まだ20~30人しか居なかったジャニーズJr.に対する総称でした。
が、1981年10月6日からテレビ東京で始まった「ザ・ヤングベストテン」に合わせて、錦織・植草・松原の3名で結成されたグループ「Bチーム」が、後に「ジャニーズ少年隊」となり、翌年の1982年に、松原から東山にメンバーが入れかわって、現在の顔ぶれとなりました。

デビュー曲は、1985年12月12日に発売された、「仮面舞踏会」で、この時のキャッチフレーズは、「日本発、世界行」でした。
 

「仮面舞踏会/少年隊」 - オリコン1位を獲得したデビュー曲にしてヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、少年隊の「仮面舞踏会」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。少年隊(しょうねんたい)は、ジャニーズ事務所に所属する日本の3人組男性グループです。愛称は「ショーネン」。


グループ結成当初は、田原俊彦、近藤真彦のバックダンサーとして歌番組やコンサートに出演するなど、レコードデビュー前から歌謡番組にも単独ユニットとして出演するなどしていました。

今日は、そんな少年隊の、1989年6月19日に発売された通算14枚目のシングルである「まいったネ今夜」をどうぞ。
 
まいったネ今夜/少年隊

この曲の歌詞はこちら

イントロがいいですね。(--)
ウッド・ベースとピアノのからむ「激シブJAZZ歌謡」、おしゃれです。

ホント、まいったね、こりゃ。o(>-<)o

少年隊はこの曲で、1989年末の「第40回NHK紅白歌合戦・第2部」に、4年連続4回目の出場を果たします。
そして、少年隊自身、オリコンチャートで、シングル通算11曲目の首位を獲得。
また、現時点で、少年隊のオリコンチャート1位作品は、同曲が最後となっています。

なお、1989年7月6日に、TBSテレビ「ザ・ベストテン」でもこの曲はデビュー曲である「仮面舞踏会」以来、通算10曲目の1位を獲得します。
が、同日のエンディングで、司会の黒柳徹子が、同年9月末で同番組の放送を終了することを発表。
そのため、この曲が少年隊として最後の同番組ランクイン曲となりました。

「忘れじのグローリア/ミシェル・ポルナレフ」 - 「シェリーに口づけ」「愛の休日」で知られるミシェル・ポルナレフの1973年のヒット曲!

今日は、ミッシェル・ポルナレフの「忘れじのグローリア(Gloria)」のご紹介です。

ミッシェル・ポルナレフ 忘れじのグローリア ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

ミッシェル・ポルナレフ(Michel Polnareff, 1944年7月3日 -)はフランス共和国ロット=エ=ガロンヌ県ネラック出身の男性ポップス・シンガーソングライター、作曲家です。
常に、派手なサングラスをかけているのが特徴で、フランスでは、国民的歌手として人気があります。
日本でも「シェリーに口づけ」、「愛の休日」などのヒット曲で知られています。
 

「シェリーに口づけ/ミシェル・ポルナレフ」 - 40万枚を売り上げたミシェル・ポルナレフのヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、ミッシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ(フランス語:Tout,tout pour ma cherie)」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。ミッシェル・ポルナレフ(



「愛の休日/ミッシェル・ポルナレフ」 - 「シェリーに口づけ」を超えるミッシェル・ポルナレフ最大のヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、ミッシェル・ポルナレフの「愛の休日(Holidays)」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。ミッシェル・ポルナレフ(Michel Polnareff, 1944年7月3


ミッシェル・ポルナレフは、幼少期からピアノやソルフェージュでアカデミックなクラシックの音楽教育を受け、コンセルバトワール(パリ音楽院)に通い、クラスで1番の成績を修めていましたが、その後エルヴィス・プレスリーの曲を聴いてロックンロールに目覚め、ギターを手に家出を決行。
ヨーロッパ放浪の旅の末、パリに戻ります。

そして、有名なレコード会社「Disc'AZ」およびラジオ局「Europe 1」のディレクターであるルシアン・モーリスに出会い、レコード・デビューに至ります。

1966年、4曲入りEP「ノンノン人形(La poupee qui fait non)」でレコードデビュー。
続いて発売されたEP版「愛の願い(Love me, please love me)」も大ヒットし、一躍スターダムに上り詰めます。
同年10月、日本でのレコード発売が決定し、テイチクよりシングル「ノンノン人形」が発売されます。

1971年8月、日本ではCBSソニーよりシングル「シェリーに口づけ(Tout, tout pour ma cherie)」と、同曲を追加収録したファースト・アルバム「愛と青のトルバドゥール/ミッシェル・ポルナレフ 1」が発売されます。
日本での人気はこの時に火がつき、「シェリーに口づけ」がラジオ・チャートでトップ入りし、40万枚を売り上げる大ヒット・シングルとなったことで、実質的にはこの時点がミッシェル・ポルナレフの日本でのデビューとされています。

今日は、そんなミッシェル・ポルナレフの多くのヒット曲の中から、1973年に発売された 「忘れじのグローリア」をどうぞ。
 
忘れじのグローリア(Gloria)/ミッシェル・ポルナレフ(Michel Polnareff)

この曲の歌詞はこちら

1960年代から1970年代初期のフランスでは、4曲入りEP盤でのレコード販売が主流だったため、ポルナレフの曲ではEP盤に収録されながらもアルバム未収録の曲が多数あります。
彼のフランスでのデビュー曲「ノンノン人形」もEP盤でした。

ミッシェル・ポルナレフの近況

・2013年5月7日、本人公認の写真集 "Le Polnabook" がフランスで発売されました。

・2014年1月、過去のテレビ出演映像、ビデオクリップ、インタビュー映像を集めた2枚組DVD "Polnareff Classics Vintage" が発売されます。同年の6月にドキュメンタリー映画 "Quand L'ecran S'allume" が公開され、同映画は9月にベルギーで、10月にはフランスでテレビ放送されました。

・2014年内に新作アルバムを発売する予定とアナウンスされましたが、結局、2014年には発売されませんでした。

・2015年4月、ポルナレフはフランスの金融会社 Cetelem を名誉棄損で告訴。2011年よりCetelemはテレビ放送用のCMのシリーズで、ポルナレフに似せた人物を無許可で登場させていました。
ポルナレフは100万ユーロの損害賠償を求めています。

・フランスの中部の街・モンリュソンにあるミュージアム "MuPop" において、6月21日から12月31日までの間、"PolnaEXPO" と題されたポルナレフ展が開催され、コスチューム、私物、手稿、レコードが展示されました。
6月20日にはポルナレフも現地を訪問しています。

ニッポン放送のラジオ番組「辛坊治郎ズーム そこまで言うか!」の中のコーナーで、タレントのSHELLYが登場するテーマ曲として、「シェリーに口づけ」が使用されていました。
同年12月には、翌年のツアーの日程が発表されました。

・2016年4月30日から、9年振りのツアーを開始。
バック・バンドにはブラッド・コール(音楽監督、キーボード)、ピーター・ソーン(ギター)、トニー・マカパイン(ギター)、レジー・マクブライド(ベース)、カート・ビスケラ(ドラム)らが参加しました。

「さよなら/オフコース」 - オリコンで2位まで上昇したオフコースのブレイク曲!

今日は、オフコース(OFF COURSE)の「さよなら」のご紹介です。

さよなら オフコース ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

オフコースは、小田和正、鈴木康博、地主道夫らが結成したフォーク・グループです。
1970年に「群衆の中で」でプロデビューをします。

メンバーは、小田和正(ボーカル、キーボード)、鈴木康博(ボーカル、ギター)、清水仁(ボーカル、ベース)、大間ジロー(ドラムス)、松尾一彦(ボーカル、ギター、ハーモニカ)。

オフコースの結成は、デビュー7年前の1964年(昭和39年)12月に遡(さかのぼ)ります。
この年、神奈川県横浜市の聖光学院高校に在学中の生徒らが、高校2年のクリスマス・パーティーでバンドの生演奏をしました。
これがきっかけとなり、翌年の文化祭(聖光祭)のステージに立つことを目指し、メンバーの中から小田和正、鈴木康博、地主道夫、須藤尊史の4人でグループが結成され、「オフコース」が誕生しました。
オフコースは、大学時代、自主コンサートを毎年開催するほか、同大学の友人から頼まれて演奏したり、他の大学の文化祭に呼ばれたりと、活発な演奏活動を続けました。

さて、オフコースは、「でももう花はいらない」に見られるように、当初は生ギターを中心とした、フォークソング色の濃い曲を歌っていましたが、結成7年目にあたる1976年に、ギターの松尾一彦、ベースの清水仁、ドラムスの大間ジローが加わり、キーボード、シンセサイザーを含めたバンドサウンドに変わります。
 

「でももう花はいらない/オフコース」 - 管理人一押し! 素朴な伴奏と美しいメロディが心に残る名曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、1969年から1989年まで活動した日本の音楽グループオフコース(OFF COURSE)の、「でももう花はいらない」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。当時、一世を風靡し


そして、結成10年目に発売した「さよなら」の大ヒットで、オフコースは多大なる人気を獲得。
それ以降も、「Yes-No」「時に愛は」「君が、嘘を、ついた」等の数多くのヒット曲を世に送り出し、ついには時代を代表するビッグ・グループとなります。

今日は、そんな彼らの多くのヒット曲の中から、1979年12月1日に発売された通算17枚目のシングルである、その「さよなら」をどうぞ。
 
さよなら/オフコース

この曲の歌詞はこちら

「さよなら」は、発売以後、オリコンで2位まで上昇。
翌週も2位を記録し、これが最高位となります。
この曲は、オリジナル・アルバムには未収録曲で、後にベスト・アルバム「SELECTION 1978-81」にビル・シュネーによるミックスで収録されたほか、ライヴ・ヴァージョンがライヴ・アルバム「LIVE」に収録されています。

「さよなら」制作に秘められた小田和正の想いと後悔

この曲について、小田和正は、「これまで以上に売れることを強く意識して書いた」と語っています。
この想いが功を奏し、このシングルの発売後から、オフコースはニューミュージックの代表的グループとして認知されることになります。

しかしながら、小田和正は、原詞では“僕は思わず 君を抱きしめそうになる”としていたところを、間違えて、“僕は思わず 君を抱きしめたくなる”と間違えて録音してしまったことを悔やんだといいます。