Super源さんの音楽ブログ

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「みかん/大竹しのぶ」 - IMALUは明石家さんまとの娘 のちに大物女優へと成長する大竹しのぶのデビュー曲

今日は、大竹しのぶの「みかん」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

大竹しのぶ(おおたけ しのぶ 本名同じ)は、1957年7月17日、東京都品川区生まれの女優、タレントです。IMALUは明石家さんまとの娘。

1973年、フォーリーブスの北公次主演のテレビドラマ『ボクは女学生』にて、北公次の相手役が一般公募されたのですが、彼女はこの応募に合格し、芸能界デビューを果たします。

1974年、浦山桐郎・監督の「青の門」の織江役の一般公募に応じ、1500人の中から選ばれます。
同年、NHK連続テレビ小説「水色の時」の主役オーディションにも合格します。

この「水色の時」の主題歌「白い風よ」は、桜田淳子が歌っています。

「白い風よ/桜田淳子」 - NHK 朝の連続テレビ小説『水色の時』主題歌|Super源さんの音楽ブログ

「白い風よ/桜田淳子」 - NHK 朝の連続テレビ小説『水色の時』主題歌|Super源さんの音楽ブログ


今日は、桜田淳子の「白い風よ」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。桜田淳子(さくらだじゅんこ、1958年(昭和33年)4月14日 -)は、秋田県秋田市出身の元女優、歌手です。


大竹しのぶはその後、多くのテレビドラマ、映画、芝居、バラエティー、舞台出演等をこなし、大物女優へと成長していきます。

今日ご紹介する「みかん」は、1976年に発表された彼女のデビュー作で、この曲は5年後の1981年、杉田かおるがシングル「鳥の詩」のB面でカバーすることになります。

さて、それでは早速「みかん」をどうぞ。

みかん/大竹しのぶ

この曲の歌詞はこちら


♪あなたの部屋が寂しすぎたから みかんをひとつ 置いて来ました 食べないで下さい 食べないで下さい♪

で始まる、切なくも、どこかほっこりする曲ですね。(^^)

大竹しのぶの若い時の歌です。
ちまたでは、大竹しのぶは歌はヘタだといわれているようですが、音程が正確で、間の取りかたもよく、なかなかうまいのではないかと私は思います。
歌っているときの表情もよいです。
何より、歌詞のメッセージが、彼女の歌唱を通して、ひしひしと伝わってきます。

ちなみに、大竹しのぶの従曽祖伯父(曽祖父のいとこ)に、政治家の大竹貫一がいます。
また、母方の祖父に自由宗教家でクリスチャンである吉川一水が、甥にJリーグ・藤枝MYFC所属(元FC町田ゼルビア)の大竹隆人がいます。

大竹しのぶの近況

・2003年公開の映画『阿修羅のごとく』で、桃井かおりと初共演を果たしています。
・2011年秋の褒章において、紫綬褒章を受章しました。
・2016年11月24日、第67回NHK紅白歌合戦に初出場することが発表されました。

【みかんって?】
みかんって?

そうそう、みかんといえば、食べる前、つまり皮をむく前に、甘いかどうかを一瞬で見分ける方法があるのをご存知ですか?
詳しくは、以下のサイトへGo!( ^-^)/
 
「甘いみかん」と「酸っぱいみかん」はどこが違う? - 一瞬で見分ける裏技

「甘いみかん」と「酸っぱいみかん」はどこが違う? - 一瞬で見分ける裏技


冬になって、寒さが厳しくなってくると、コタツに入って食べたくなるのがみかん。そのみかんですが、同じ箱に入っていたみかんなのに、ときどき、特に甘いみかんに当たることがありますよね?実は、偶然に頼らずに、お店に並べられたたくさんのみかんの中から、甘いみかんを一瞬で見分ける裏技があります。しかも、誰でもできる簡単な方法です!この記事を読めば、もうあなたは、2度と酸っぱいみかんを買ってがっかりすることはな...


これはもう、知らないとソンしますよ。
いや、ホント。(゚ー゚)(。_。)ウン。

「涙の分かれ道/ディオンヌ・ワーウィック」 - グラミー賞を受賞した1979年のヒット曲

今日は、ディオンヌ・ワーウィックの「涙の分かれ道(I'll Never Love This Way Again)」のご紹介です。

涙の分かれ道 ディオンヌ・ワーウィック ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

ディオンヌ・ワーウィック(Dionne Warwick、1940年12月12日 - 本名 Marie Dionne Warrick マリー・ディオンヌ・ワーリック)は、アメリカのニュージャージー州(New Jersey East Orange)出身の黒人女性歌手です。
バート・バカラック作品の歌い手として、またホイットニー・ヒューストンの従姉妹としても知られています。

ディオンヌ・ワーウィックは、ハートフォード音楽大学に在学中、作曲家のバート・バカラックと出会い、大学卒業後、歌手として本格的に活動を始め、1963年にデビューします。

翌年の1964年、「ウォーク・オン・バイ」のヒットで脚光を浴び、3年後の1967年に「小さな願い(I Say a Little Prayer)」のヒットを放ってからは、「サンホセへの道(Do You Know The Way To San Jos)」、「恋よさようなら(I'll Never Fall in Love Again)」など、現在もスタンダードとして親しまれているバカラック=ハル・デビッド作品で続けざまにヒットを放ちます。
 
「サンホセへの道/ディオンヌ・ワーウィック」 - 1968年の女性ベスト・ポップ・ヴォーカル賞受賞曲 歌詞の意味は?|Super源さんの音楽ブログ

「サンホセへの道/ディオンヌ・ワーウィック」 - 1968年の女性ベスト・ポップ・ヴォーカル賞受賞曲 歌詞の意味は?|Super源さんの音楽ブログ


今日は、「ディオンヌ・ワーウィック」の「サンホセへの道(Do You Know The Way To San Jose)」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。ディオンヌ・ワーウ


1970年代においては、1974年にスピナーズとの共演で「ゼン・ケイム・ユー(Then Came You)」がNo.1になりますが、その後はしばらく不振が続きます。
が、1979年にバリー・マニロウのプロデュースによる楽曲「涙の分かれ道(I'll Never Love This Way Again)」が久々のヒットとなり、この曲はグラミー賞(女性ベスト・ポップ・ヴォーカル賞)を受賞します。

それでは、今日はその「涙の分かれ道(I'll Never Love This Way Again)」をどうぞ。
 
涙の分かれ道(I'll Never Love This Way Again)/ディオンヌ・ワーウィック(Dionne Warwick)

この曲の歌詞はこちら

いやー、いい曲ですねー。(^o^)
タイトルの「I'll Never Love This Way Again」というのは、翻訳すると「こんな風に愛することは、もう二度とない」となります。

素晴らしい歌詞に、素晴らしい曲。
そして、素晴らしい歌唱!
まさに、名曲だと思います。

その後1980年代においては、1982年にバリー・ギブ制作による「ハートブレイカー(Heartbreaker)」がヒット。
 
「ハートブレイカー(Heartbreaker)/ディオンヌ・ワーウィック」 - ノルウェーのアルバム・チャートで10週連続1位を獲得したヒット曲|Super源さんの音楽ブログ

「ハートブレイカー(Heartbreaker)/ディオンヌ・ワーウィック」 - ノルウェーのアルバム・チャートで10週連続1位を獲得したヒット曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、ディオンヌ・ワーウィックの「ハートブレイカー(Heartbreaker)」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。ディオンヌ・ワーウィック(Dionne Warwick、1


そして、1986年には、バカラック&キャロル・ベイヤー・セイガーのライティングコンビによるグラディス・ナイト、エルトン・ジョン、スティーヴィー・ワンダーとの共演作「愛のハーモニー」が大ヒットします。

2007年には、自身のヒット曲をカバーしたCD「マイ・フレンズ・アンド・ミー~バート・バカラックへの想い」を発売。
グロリア・エステファン、グラディス・ナイト、オリビア・ニュートン・ジョン、シンディ・ローパーらと共演しました。

2008年には、ゴスペル集「Why We Sing」を発売。
ゲストは、妹のDee Dee、他 BeBe Winance 等で、ゴスペル集の発売は、1969年の「Soulful」についで2度目となります。

そうそう、涙といえば、感情の種類によって味が変わるということをご存知ですか?

イワシ区、じゃなかった、詳しくは以下のサイトへGo!( ^-^)/
 

涙は、感情の種類によって味が変化するって本当?


人は、悲しいときだけではなく、うれしいときにも笑ったときにも涙を流すことがあります。が、実は涙の成分は、そのときの感情によってそれぞれ異なるといいます。喜び、悔しさ、怒りを感じたときに出る涙は、量が少なく、塩化ナトリウムを多く含むので、塩辛くなります。感動したときに出る涙は、水分が多いため、サラサラとして味が薄く、あまり塩辛くなりません。【「たまごっち」に涙】...


ドコニ アルン ダヨ、ソノ イワシ区」ッテ。(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O) ウギャッ!

「Maybe(メイビー)/The Chantels」 - ビルボードホット100とビルボードR&Bチャート2位を記録したヒット曲!

今日は、The Chantels(ザ・シャンテルズ)の「Maybe(メイビー)」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

The Chantels(ザ・シャンテルズ)は、1950年代の初めに、アメリカ、ニューヨーク州・ニューヨーク市ブロンクスで結成された、アフリカ系アメリカ人のガールDoowop(ドゥーワップ *)グループです。

The Chantels(ザ・シャンテルズ)は、1957年に 「He’s Gone(ヒーズ・ゴーン)」 でデビューをします。
全米ポップ・チャートは71位でしたが、翌年の1958年発売のセカンド・シングル 「Maybe(メイビー)」 は、ポップ・チャート15位、R&Bチャートでは2位を記録します。

彼らの音楽性は、当時の幾つかのグループとは異なり、クラシック音楽やラテン讃美歌の影響下にありました。
リード・シンガーのアーリーン・スミスは、古典的な訓練を受けたといわれています。

今日は、そんな彼らの、1958年のヒット曲であるその「Maybe(メイビー)」をどうぞ。
 
Maybe(メイビー)/The Chantels(ザ・シャンテルズ)

この曲の歌詞はこちら

この曲は、1957年10月16日に、バレットがピアノを弾くドゥーワップスタイルで最初に録音され、1957年12月に発売されました。

その翌年の1958年1月にチャートを上り、15位を記録しました。
ビルボードホット100 およびビルボードR&B チャートの2位となり、その後、ザ・シャンテルズは、

「間違いなく、ガールグループサウンドの最初の真のきらめき」

と表現されました。

この曲は、ジャニスジョプリン、スリーディグリーなど、多くのアーティストによってカバーされています。
最近では、韓国の女の子トリオ、TheBarberettesによってカバーされています。

* Doowop(ドゥーワップは、ポピュラー音楽における合唱のスタイルの一種。
1950年代半ばから1960年代初頭のアメリカで隆盛し、数多くのコーラス・グループが生まれた。
フランク・ザッパやルー・リード、ジョージ・クリントン、鈴木雅之、山下達郎らは、熱心なドゥーワップ・ファンとして知られている。

そうそう、山下達郎といえば、俳句の季語になっているのですが、ご存知でしたか?

ええ?!(゚o゚)そんなバナナ!

と思われた方は、以下のサイトへGo! (^_^)/~
 

「山下達郎」「ユーミン」「サザン」は、俳句の季語になっている?


「山下達郎」は夏と冬、「ユーミン」は冬、「サザン」は夏の季語として使えることをご存じですか?えっ! ウソ?と思えるような話ですが、これは本当です。句会「東京ヘップバーン」が「山下達郎」と「ユーミン」を季語に提案俳句の季語については、認定する特別の機関があるわけではなく、誰もが同じ季節を思い浮かべることができる言葉であれば問題ありません。「山下達郎」「ユーミン」「サザン」を季語とすることを提案したの...



「じゃかあしい! 四の五の言ってないで、このバナナ光線を受けてみよ!」

ゲッ!(゚O゚; 何か突然、変なおじさんが出てきましたね。(^^;

ニゲチャオーット...((((( ((;^^)