Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「若草の招待状/新田恵理」 - アニメ「世界名作劇場『愛の若草物語』」のオープニングテーマ(第1話~第14話)

今日は、新田 恵利の「若草の招待状」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

新田 恵利(にった・えり、1968年3月17日 -)は、埼玉県上福岡市(現・ふじみ野市)出身の歌手、タレントです。

新田 恵利は、高校三年生の時に、1985年4月におニャン子クラブ会員番号4番としてテビュー。フジテレビの「夕やけニャンニャン」に出演します。

がすぐに、自分は芸能界には向いていないと思い、番組スタッフに辞めたいと申し出ますが、「週刊文春喫煙事件」で5人のメンバー(1番・奥田美香、2番・榎田道子、3番・吉野佳代子、7番・友田麻美子、10番・佐藤真由美)が脱退したため、出演を継続することとなります。

同年の7月に、おニャン子クラブのデビュー曲「セーラー服を脱がさないで」でフロントメンバーに選ばれ、以降、おニャン子クラブの「顔」として人気を博します。

そして、人気者になった新田 恵利は、高校卒業後もタレント活動を続けたいという意志を固め、芸能事務所「ボンド企画」に所属し、芸能界に残ることとなります。

1986年1月1日に、シングル「冬のオペラグラス」でソロデビュー。
この曲は、オリコン初登場で1位となり、30万枚以上の売り上げを記録します。
 

「冬のオペラグラス/新田恵理」 - おニャン子クラブの「顔」として人気を博した新田恵利のソロデビュー曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、新田 恵利の「冬のオペラグラス」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。新田 恵利(にった・えり、1968年3月17日 -)は、埼玉県上福岡市(現・ふじみ野市)出身の歌手、


新田 恵利の、目が「ヘ」の字になるような笑顔は「100万ドル」と評され、シングルのジャケットをあしらったノベルティ「新田トランプ」が破格の値段で取引されました。

それでは今日は、そんな新田恵利の、1987年2月14日に発売された通算5枚目のシングルである「若草の招待状」をどうぞ。
若草の招待状/新田恵利

いやー、いい曲ですねー。(^o^)
この曲は、フジテレビ系として使われました(エンディングテーマは、同じく新田恵利の「夕陽と風とメロディ」)。

新田 恵利の近況

・2002年、期間限定で復活したおニャン子クラブに参加。
このころから。布川敏和、堀ちえみなどのように「当時の裏話を語る80年代アイドル」としてテレビ出演する機会も増える。
また、同時期から夫婦で神奈川県逗子市に居住し、逗子や近隣の鎌倉市を案内するテレビ番組の企画にも出演するようになる。

・2007年、福岡県嘉麻市にたけし軍団の井手らっきょが中心となって発足した誕生した硬式野球クラブ「嘉麻市バーニングヒーローズ」の応援団を務める。

・2010年、サントリー「ボス 贅沢微糖」テレビCM第8弾「贅沢銀行」篇でおニャン子クラブの限定復活に参加。
同時期から当時犬猿の仲だったといわれる国生さゆりともテレビ番組で共演する機会が増え、7月9日、有楽町のディスコ「クラブディアナ」で同じステージに立ち、新ユニット結成を約束した。

・同じく2010年より、手製のアクセサリーやテディベアなどを販売するインターネットショップ「EriS」を展開。

・2011年7月、初の小説『アイドルとつきあう方法』を出版。

・2016年6月15日、2013年に出演したテレビ番組で発見した脳動脈瘤の手術を行ない、6月18日に退院。
翌日には仕事復帰。

「ひまわり娘/伊藤 咲子」 - 後に「木枯しの二人」が大ヒットする、伊藤咲子のデビュー曲 伊藤咲子と岩崎宏美は、どちらが歌唱力が上?

今日は、伊藤 咲子の「ひまわり娘」のご紹介です。

ひまわり娘 伊藤 咲子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

伊藤 咲子(いとう さきこ、本名:千葉咲子、1958年4月2日 -)は、東京都出身の女性歌手です。

伊藤 咲子は、1973年 15歳の時にオーディション番組「スター誕生!」で優勝し、これをきっかけに芸能界へ入ります。
そして、翌年の1974年に、 「ひまわり娘」で、アイドル歌手としてデビュー。

同年末には、「木枯しの二人」を発売。
この曲は、翌年の1975年、オリコン年間ヒットチャートで36位にランクイン。
自身最大のヒット曲となります。
 

「木枯らしの二人/伊藤 咲子」 - 1975年オリコン年間チャートで36位にランクイン! 伊藤咲子最大のヒット曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、伊藤 咲子の「木枯らしの二人」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。伊藤 咲子(いとう さきこ、本名:千葉咲子、1958年4月2日 -)は、東京都出身の女性歌手です。


また、翌年の1976年には、 「きみ可愛いね」で「第27回NHK紅白歌合戦初」出場を果たします。
 

「きみ可愛いね/伊藤 咲子」 - 第27回NHK紅白歌合戦初出場を果たした伊藤咲子のヒット曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、伊藤 咲子の「きみ可愛いね」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。伊藤 咲子(いとう さきこ、本名:千葉咲子、1958年4月2日 -)は、東京都出身の女性歌手です。


今日は、そんな伊藤 咲子の、1974年12月01日に発売されたデビュー曲、「ひまわり娘」をどうぞ。
 この曲の歌詞はこちら

ちょっぴりセクシーさを強調したジャケットでしょうか?
笑顔が素敵です。(^^)
若い頃、特にデビュー当時の伊藤咲子は、私には可愛らしくて笑顔の素敵な方というイメージでした。

伊藤 咲子の曲は、あと「青い鳥逃げても」が、私には強く印象に残っています。
こちらはぶっちゃけた話、それほど良い曲ではないのですが(^^;、彼女の豊かな声量と表現力で、”聴かせる曲”になっているという感じです。

機会がありましたら、1度お聴きになってみてください。
私のいっていることが、お分かりいただけるかと思います。

伊藤咲子と岩崎宏美は、どちらが歌唱力が上?

どちらが歌唱力が上? 伊藤咲子 v 岩崎宏美

インターネットでリサーチすると、伊藤咲子と岩崎宏美は、どちらが歌唱力が上かという議論を目にします。
皆さんは、どちらが上だと思いますか?

私は、どちらもスゴいと思います。
伊藤咲子は、1曲の中でいろいろな声(地声、裏声)を出すことができ、岩崎宏美の方は声に声量と品位(ひんい)があります。

また、どちらも歌詞に合わせて声の出し方をコントロールし、情感のある歌唱となっており、甲乙つけがたいと思います。

ただ、伊藤咲子の方は、ビブラートが極端で、ちょっと耳に障るので、(^^; 個人的にはクセのない岩崎宏美の方が好みの歌い方ではあります。

いずれにしても、伊藤咲子と岩崎宏美は、山口百恵、森昌子、中森明菜、清水由貴子、小柳ルミ子など、実力者を輩出(はいしゅつ)した「スター誕生」出身者の中でも1、2を争う実力の持ち主なのではないかと私は思います。

さて、突然ですが、この方は誰でしょう?


はい、そうです。
「おまわり娘(婦人警官)」、ですね。【><】

ごく普通の曲をプロが歌うと素晴らしい曲になる不思議

プロの歌唱の不思議

岩崎宏美や由紀さおりもそうですが、特別名曲ではないごく普通の曲が、彼女たちが歌うと、たちまち味のある素晴らしい曲に変身します。おお!(゚o゚)
これがきっと、”プロの歌唱”というものなのでしょうね。
(゚ー゚)(。_。)ウンウン ← (^^;ヒトリデ 納得 シテル。

伊藤 咲子のエピソード

・デビューするにあたり、「スター誕生!」で芸名を公募した際、男性器をもじった案が、下ネタ嫌いといわれる司会の萩本欽一によって紹介されました。
その前には、スター誕生の出身で、当時「花の中三トリオ」と呼ばれた森昌子・山口百恵・桜田淳子の3人の、それぞれ最初の文字をいただいた「森山 桜」という案も紹介されたこともあります。
が、最終的には、本名でデビューすることになったと萩本欽一が発表しました。

・同期にデビューした城みちると、3、4年交際していたことをお互いに明かしています。

エッチな絵が描かれていることがバレて、慌てて回収されたコカコーラのポスター

男性器といえば、かつてコカコーラのポスターにエッチな絵が隠されているのがバレて、回収騒ぎになったことがあることをご存じですか?

以下が、そのポスターです。



ぱっと見、何も問題はなさそうですね。
が、ぐっと近づいてみると、エッチな絵が…。



分かりましたか?
えっ? ドコガ?(?_?)? という方のために、丸印をつけてみました。
もう1度、御覧ください。



男性と女性が向き合う構図になっていて、男性の〇〇〇を、女性の…。(^x^)モゴモゴ
私のからは、これ以上いえません。
お分かりにならなかった方は、画面をグッと拡大して、再度ジーッと見つめてみてください。

どうでしょう。
お分かりになりましたか?

しかし、スゴいですよね、これ。
子供も飲むドリンクの宣伝ポスターに、こんなとんでもない絵が仕込まれていたなんて!w(゚゜)w オォーッ!

えっ?このポスターのデザイナーは、その後どうなったかですって?
もちろん、クビになりましたよ。
当然ですよね。(~_~)

あっ!(゚o゚)
大きく脱線してしまった。【><】
ここは、雑学ではなく、音楽を紹介するブログでしたね。(爆)
それに、子供さんも訪問して見られるブログで…。
(゚゜)バキッ! \(--;) キミモ オナジ ジャン。

おあとがよろしいようで。m(_._)m

「センチメンタルジャーニー/松本伊代」 - ロッテガーナチョコレート CMソング 松本伊代のデビュー曲にして最大のヒット曲!

今日は、松本 伊代の「センチメンタルジャーニー」のご紹介です。

センチメンタルジャーニー 松本伊代 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

松本 伊代(まつもと いよ、本名:小園 伊代(こぞの いよ) 1965年6月21日 -)は、東京都大田区出身のタレント、歌手、女優です。
夫はタレントのヒロミ、長男はタレントの小園凌央。

松本 伊代は、中学3年生のときに、原宿でスカウトされます。
そして、1981年にTBS系『たのきん全力投球!』の田原俊彦の妹役オーディションに合格し、デビューをします。
同年10月21日には、「センチメンタル・ジャーニー」で、アイドル歌手としてもデビュー。

当時のキャッチコピーは、「瞳そらすな僕の妹」「田原俊彦の妹」。

そして、1982年12月の「第24回日本レコード大賞新人賞」を始めとして、同年に多くの音楽新人賞を受賞します。

その後、『オールナイトフジ』の司会を務めるなど、バラエティ番組でも活動。
1986年からは、川村真澄・林哲司・船山基紀による「恋愛三部作」を発売します。

今日は、そんな松本伊代の、デビュー曲である「センチメンタルジャーニー」をどうぞ。
 
この曲の歌詞はこちら

この曲は、ロッテガーナチョコレートのCMソングに使われました。
デビューシングルながら、売り上げは松本伊代自身最大のヒットとなり、さらにこの曲で、松本伊代は翌1982年の第24回日本レコード大賞新人賞を受賞しました。

この曲の歌詞には「伊代はまだ16だから」とありますが、NHKの『レッツゴーヤング』に出演した歳に、この『伊代は』のところが「『わたし』に変更されました。
これは、この曲の発表当時、松本伊代が歌詞通り本当に16歳であり、当時のNHKの基準に照らして、「歌詞が松本伊代の個人宣伝になる」と判断されたためです。

松本伊代のその後と近況

1993年に、番組での共演がきっかけとなり、B21スペシャルのヒロミと結婚。
その後、2男の母となります。

2005年には、1982年の同期デビューだった早見優・堀ちえみとともにママドルユニット「キューティー★マミー」を結成。

2009年には、アイドル時代の12枚のオリジナルアルバム+ボーナスCD・DVDをまとめたBOXセット「SWEET 16 BOX」のボーナストラックとして、尾崎亜美作詞・作曲・プロデュースによる19年振りの新曲「私の声を聞いて」を発売。
配信限定ながら、シングルカットもされました。

2012年には、品川ステラボールでデビュー30周年記念コンサートを開催しました。

2017年には、2月11日に名古屋ブルーノートで、芸能生活35周年を記念したワンマンライブを開催しました。
地方におけるワンマンライブとしては、これが約25年ぶりとなるもので、終演後には「これからは気を引き締めて、このような形のライブも続けていきたいです」とコメントするなど、今後の音楽活動にさらなる意欲を示しました。
出典:http://okmusic.jp/#!/news/158191

2021年7月22日に、自身のインスタグラムを更新し、「お知らせ」という題で、「皆様にご報告があります。三週間程前に、お恥ずかしい話なのですが、運動中に無理な体勢をして、背骨を圧迫骨折をしてしまいました」と告白。
そして、「症状は痛みがあり、とにかく安静にしているほかないようで、入院はせず自宅で療養しております」「主治医の先生からは、骨が固まるまでは安静にとお話がありました。部位が背骨ということなので無理せず焦らず治していこうと思います」と現状を投稿しました。
出典:https://www.iza.ne.jp/article/20210722-MQZQQJKMDZGNBKSLHY7RRVQUVM/

火曜レギュラーを務める関西テレビ「よ~いドン!」は、6月13日、20日と3週連続で欠席しており、6日に番組で「ケガによるお休み」と伝えられていました。

なおこの曲は、YUKIが歌った「センチメンタルジャーニー」とは同名異曲です。
 

「センチメンタルジャーニー/YUKI」 - 「JUDY AND MARY」からソロデビューしたYUKIの、2003年のヒット曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、YUKIの「センチメンタルジャーニー」のご紹介です。YUKI(ユキ 本名:倉持有希(くらもち ゆき)、旧姓、磯谷(いそや、1972年2月17日 -)は、北海道函館市出身の女性歌手です。


松本 伊代のエピソード

・1982年、新人賞レースを争ったことから堀ちえみ、小泉今日子、中森明菜、早見優らと共に「花の82年組」の1人と呼ばれた。

・運動が全般的に苦手で、ボールがうまく投げられないなどのエピソードが披露されたこともあった。また、デビュー時は、身長156cmに対して体重は38kgしかなく、体重が軽過ぎて自動ドアが開かないこともあったという。

・1984年12月29日の放送のオールナイトフジでで、自著と称する『伊代の女子大生 まるモテ講座』を宣伝した際、本の内容について質問をされ、「まだ読んでないのですけど」と発言してしまい、その場にいた片岡鶴太郎から「自分で書いた本なのにまだ読んでないとはどういうことか」と突っ込まれたことがある。
この件については、「ゲラの状態で最終チェックはしましたが、製本になった状態を見たのはこの時が初めてだったので、(製本された本を)まだ読んでいないと発言した」と弁明をしたが、後に、この弁明に関しても「嘘です」と白状しており、この本は、すべてゴーストライターによる代筆であったことを認めている。

・ボンカレーのCM「だってらっきょうが転がっちゃう編」の撮影で笑うシーンがあるが、本人が緊張してうまく笑えなかったため、テーブルの下にスタイリストが入って足の裏をくすぐり、笑わせられることになったという撮影裏話がある。
 

・独特の低い声質が持ち味であるが、デビュー当初はスタッフから60年代に人気を博した海外の女性グループのロネッツのテープを渡され、良く聴いて勉強するようにいわれたと語っている。
やはり、ロネッツのフロントのロニー・スペクターは独特の低いハスキーヴォーカルで、加えて松本伊代のデビュー時の楽曲が60年代調のため、参考になるとスタッフが考えていた模様。

・「マイ・ラグジュアリー・ナイト」のヒットで知られる歌手のしばたはつみははとこで、遠縁にあたる。