Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「失われた夏/石野陽子」- 管理人一押しの名曲!

今日は、石野陽子の「失われた夏」のご紹介です。

失われた夏 石野陽子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

石野 陽子(本名:石野 陽子(いしのようこ)、新芸名:いしのようこ、1968年2月20日 -)は、兵庫県芦屋市出身の女優・タレントです。
姉は石野真子、妹は宝乃純(旧名;石野 敦子)。

石野 陽子は、1985年に「テディボーイ・ブルース」でアイドル歌手としてデビューをします。

その後、連続ドラマ「セーラー服通り」への主演や、「志村けんのだいじょうぶだぁ」でのコントで人気を博します。
また、「ミナミの帝王」シリーズに出演したため、Vシネマファンにもお馴染みの顔となっています。

茶色がかった髪の毛が特徴的ですが、「志村けんのだいじょうぶだぁ」で、この髪が「天然」であることを明かしています。

今日は、そんな石野陽子の、1987年07月25日に発売された、通算5枚目のシングルである「失われた夏」をどうぞ。
 
失われた夏/石野陽子

この曲の歌詞はこちら

いやー、いい曲ですねー。(^O^)
中森明菜の「デザイア」を彷彿とさせるダイナミックなオケに、石野陽子のハリのある歌声がのっていて、とても素敵です。(#^.^#)ステキ。
歌詞もいいですね。v(^^)
石野陽子の曲の中で、私の一番好きな曲です。

失われた視界/トラ
失われた 視界
「ま、前が見えニャい! 誰か 、誰か助けてくれニャン!」

出典:http://nekomemo.com/archives/49557131.html#more

石野陽子出演のバラエティー番組

・志村けんのバカ殿様
・志村けんのだいじょうぶだぁ
・志村けんはいかがでしょう
・オールナイトフジ
・日立 世界・ふしぎ発見!(不定期出演)

Vシネマ

・ミナミの帝王13 「詐欺師潰し」(1996年)
   ↓(連続出演)
・ミナミの帝王34 「トイチの身代金」(2000年)

テレビドラマ

・月曜ドラマランド『転校生!おれがあいつであいつがおれで』(1985年8月19日、フジテレビ)
・セーラー服通り(1986年1月10日 - 3月28日、TBS) - 主演 紺野冬美 役
・月曜ドラマランド「転校生!おれがあいつであいつがおれで2」(1986年4月21日、フジテレビ)
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その他多数。

「フィルムの向こう側/南野陽子」 - オリコン1位を獲得したヒット曲!

今日は、南野 陽子の「フィルムの向こう側」のご紹介です。

フィルムの向こう側 南野陽子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

南野 陽子(みなみの ようこ、本名同じ、1967年6月23日 - )は、兵庫県伊丹市出身の女優、タレント、歌手です。愛称は、ナンノ。

南野 陽子は、1985年6月23日に「恥ずかしすぎて」で歌手デビューをします。
そして、同年の11月からフジテレビ系ドラマ「スケバン刑事」シリーズ第2作「スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説」で主役を演じ、一躍ブレイク。
トップアイドルの座を獲得します。

同時に、1986年3月に発売された、同ドラマの主題歌「悲しみモニュメント」が、初のオリコンチャートトップ10入りします。

1987年2月公開の映画「スケバン刑事」では、主演に抜擢(ばってき)され、南野陽子が自ら歌う主題歌の「楽園のDoor」は、初のオリコンチャート第1位を獲得します。
 

「楽園のDoor/南野 陽子」 - 『スケバン刑事』の主題歌|Super源さんの音楽ブログ


今日は、南野陽子の1987年のヒット曲、「楽園のDoor(らくえんのドア)」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。楽園のDoorは、同年1月にリリースされた南野陽子の6枚目のシン


そしてその後も、「話しかけたかった」「パンドラの恋人」「吐息でネット」「あなたを愛したい」「秋からも、そばにいて」「涙はどこへいったの」「トラブル・メーカー」…と、ヒット曲を連発していきます。
また、グリコ、フジカラー、JR西日本などの多数の企業のイメージキャラクターに起用され、CMにも出演。

かくして南野 陽子は、中山美穂、工藤静香、浅香唯(あさか ゆい)とともに、「女性アイドル四天王」の1人として活躍することになります。

今日は、そんな南野 陽子の、1989年11月29日に発売された南野陽子の16枚目のシングルである「フィルムの向こう側」をどうぞ。
 この曲の歌詞はこちら

聴いていると、どこか落ち着く曲です。(^^)
この曲は、「CHAGE&ASKA」の飛鳥涼が作詞・作曲したもので、エンディングでパッヘルベルのカノンを引用しています。

(^o^)♪タラララー!(^o^)♪タラララー!(^o^)♪タラララー!(^o^)♪タラララー!

という曲ですね。(^^)

ソレジャ 分カラナイヨ!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

実はパッヘルベルのカノンは、以前このブログでもご紹介しています。
大変有名な曲なので、お聴きいただければ「ああ、この曲か!」となるかと思います。(^^)
 

「涙のカノン/レイモン・ルフェーブル」 - 「パッヘルベルのカノン」として親しまれる名曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、レイモン・ルフェーブルの「涙のカノン」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。 レイモン・ルフェーブル(Raymond Lefevre、1929年11月20日 - 2008


だいぶ前に、CMにも使われたことがあったかと…。

またこの曲は、「秋からも、そばにいて」以来、南野陽子自身9作目のオリコン1位を獲得しました。
が、オリコン初登場で1位を記録しますが、その翌週は「あぁーっ!(゚ロ゚) 」と、15位までランクダウン。【><】

当時のオリコンシングルチャート1位を獲った翌週のランクダウン記録をも更新しました。

実は、それまでのオリコンでのランクダウン記録は、渡辺満里奈の「夏休みだけのサイドシート」で、この曲は1位を獲った翌週に、一気に13位まで落ちたのです。
ところがこの曲は、その「夏休みだけのサイドシート」を越える落ち方をしたわけです。

「あああ~っ!」

写真は、こちらからお借りしました。

あららら。(゚O゚;クマさんまで落ちてきてしまいましたね。【><】

なお、南野陽子の発売したシングルで、オリコン1位を獲得したのは、この曲が最後となっています。

と書きましたが、これはちょっと説明が必要です。
南野陽子は、デビュー2年後の1987年に、映画「スケバン刑事(スケバンデカ)」に主演します。
そして、自ら歌った主題歌「楽園のDoor」で、初のオリコンチャート第1位を獲得。

まぁ、映画の力を借りて売れたという、ここまではありがちなことかも知れません。
が、ここからがスゴいんですね。

このチャート第1位獲得をきっかけに、南野陽子はその後も「話しかけたかった」「パンドラの恋人」「秋のIndication」「はいからさんが通る」「吐息でネット」…と、出す曲出す曲がすべてヒットし、なんと、8曲連続して、次々とオリコン1位を獲得!
そして、2曲間をおいて「フィルムの向こう側」で再び1位を獲得!

つまり、南野陽子は、”計9曲”ほとんど連続してオリコン1位を獲得しているのです。おお!(゚o゚)

詳しくは、以下の表をご覧ください。

No.タイトル発売日オリコン最高位
6楽園のDoor1987年1月10日1位
7話しかけたかった1987年4月1日1位
8パンドラの恋人1987年7月1日1位
9秋のIndication1987年9月23日1位
10はいからさんが通る1987年12月2日1位
11吐息でネット1988年2月26日1位
12あなたを愛したい1988年6月18日1位
13秋からも、そばにいて1988年10月8日1位
14涙はどこへいったの1989年2月15日2位
15トラブル・メーカー/瞳のなかの未来
(両A面シングル)
1989年6月21日2位
16フィルムの向こう側1989年11月29日1位
 
このことから、当時南野陽子が、いかに人気が高かったかが分かります。

というより、今日は、私としたことが、かなり力が入ってしまった。(^~^;)ゞポリポリ

「ブルー・バイユー(Blue bayou)/リンダ・ロンシュタット」- ビルボードの1977年年間チャート61位を獲得し、ゴールドディスクに輝いた名曲

今日は、リンダ・ロンシュタットの「ブルー・バイユー(Blue bayou)」のご紹介です。

ブルー・バイユー リンダ・ロンシュタットジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

リンダ・ロンシュタット(Linda Ronstadt, 1946年7月15日 - )は、アメリカのアリゾナ州ツーソン出身の歌手、ミュージシャンです。

1965年、リンダ・ロンシュタットはアリゾナ州立大学を1年で退学しLAに向かいますが、そこでキンメルとケニー・エドワーズとリンダをボーカルとするスリーピ、ース・バンド「ストーン・ポニーズ(The Stone Poneys)」を結成します。

そして、1967年1月にアルバム「ストーン・ポニーズ」でデビュー。

このバンドは、当時、一世を風靡していたママス&パパスやラヴィン・スプーンフルの流れを汲む、カントリー&ウェスタンの要素が取り入れられたフォーク・ロックのグループです。

デビューアルバムの「ストーン・ポニーズ」は売れませんでしたが、同年6月発売のセカンド・アルバム「エバグリーン Vol.2(Evergreen Vol. 2)」からのリカット・シングル「悲しきロック・ビート」が、1968年になってベスト・テン入りを果たすビッグヒットとなり、一躍注目を浴びます。


ゆうちゃん



ねえ
2曲目でヒットした歌手って、けっこういるような気がするんだけど


しんちゃん



そう言われてみれば、山口百恵は2曲目の「青い果実」でヒット
松田聖子も2曲目の「青い珊瑚礁」でヒット
中森明菜も2曲目の「少女A」でヒットしたね


ゆうちゃん



おお! そうなんだ
なんか、「2曲目ヒットの法則」なるものがありそうだね


しんちゃん



うん
もしかしたらね
愛くるしいミニスカートに裸足という姿でステージに立ち、精一杯歌うリンダ・ロンシュタットは、誰の目にもナチュラル・ボーンな魅力に溢れたシンガーに映り、音楽ビジネス側の興味がリンダ1人に集中していたことは否めません。

その後、「ストーン・ポニーズ」は徐々にリンダのソロ・プロジェクトの色を濃くし、「悲しきロック・ビート」(デイファラント・ドラム)には、他の2人は参加しておらず、1968年の3枚目のアルバム「Linda Ronstadt, Stone Poneys And Friends,Vol.III」は、実質的にリンダのソロ作となり、このアルバムの発売を最後にバンドは消滅します。

シングル・ヒットとしては、ロイ・オービソンの「ブルー・バイユー」、バディ・ホリーの「It's So Easy」などが有名で、リンダ・ロンシュタットは、アリーナやスタジアムでコンサートを行なうようになった最初の女性歌手でもあり、1970年代後半まではロック/ポップ界で最も成功した女性歌手でした。

来日の噂は何度かありましたが実現せず、1979年に初来日し、3月1日から6日の間に日本武道館2回を含む横浜、大阪で計5回の公演を行ないました。

今日は、そんなリンダ・ロンシュタットの「ブルー・バイユー」をどうぞ。
 
ブルー・バイユー(Blue bayou)/リンダ・ロンシュタット

この曲の歌詞はこちら

サビで、突然「グワッ!」と降り上がってくるところが特徴の佳曲ですね。グワッ!(゚o゚)
この曲は、1977年8月に発売され、同年12月から1978年1月7日にかけて4週連続で3位を記録し、ビルボードのイージーリスニング・チャートでは3位、カントリー・チャートでは2位を記録。
くわえて、ビルボードの1977年年間チャートの61位を記録し、ゴールドディスクに輝きます。

「ブルー・バイユー」の「バイユー」の意味と歌詞の内容

この曲のタイトルであるブルーバイユーの「バイユー」というのは、ミシシッピ・デルタ等低湿地に見られる小川のことで、南部メキシコ湾岸一帯の地域名(バイユー・カントリー)としても使われます。

曲は、遠く離れた故郷のバイユーと、そこに残した人を思う気持ちを歌っています。

恋多き女性としても知られたリンダ・ロンシュタット

リンダ・ロンシュタットは、自身のソロ活動だけでなく、イーグルスやニール・ヤング、ジェームス・テイラー、ジャクソン・ブラウン、J.D.サウザーなどのアーティストとも深い交流がありました。

また、「恋多き女性」としても知られ、背後にいる男性の存在を抜きにして彼女の音楽経歴は語れない、とまでいわれました。
つき合う男性の服装の好みによってファッションを変えるため、ミック・ジャガーと噂があったときにはホットパンツでステージに登場し、スタイルの良さを披露。
そして、ミック・ジャガーが「君にはロックが足りない」と言うと、「あなたにはバラードが足りない」と言い返したといいます。

イーグルスの代表曲の一つ「Witchy Woman」やローリング・ストーンズの「ダイスをころがせ(Tumbling Dice)」は、リンダ・ロンシュタットのことを歌ったもので、リンダ・ロンシュタット自身もカバーしたことがあります。

売れない時代の友人であったジム・モリソンとはただならぬ仲ともいわれ、またカリフォルニア州知事のジェリー・ブラウン(民主党)との交際も騒がれました。
ジョージ・ルーカスとは婚約しましたが、結婚には至りませんでした。