Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「お祭りの夜/小柳 ルミ子」 - オリコン週間2位を記録した、小柳ルミ子の1971年のヒット曲

今日は、小柳 ルミ子の「お祭りの夜」のご紹介です。

お祭りの夜 小柳 ルミ子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

小柳 ルミ子(こやなぎ ルミこ、本名:小柳 留美子、1952年7月2日 -)は、福岡県福岡市早良区出身の歌手、女優です。別名:rumico。愛称:ルミちゃん。

小柳 ルミ子 ブロマイド
写真はこちらからお借りしました。

小柳 ルミ子は、1971年(昭和46年)4月25日に、ワーナーブラザーズパイオニアの邦楽部門初の歌手として契約し、作曲家平尾昌晃のプロデュースにより「わたしの城下町」で歌手デビューをします。
 

「わたしの城下町/小柳 ルミ子」 - 160万枚を売り上げたデビュー曲にしてヒット曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、小柳 ルミ子の「わたしの城下町」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。小柳 ルミ子(こやなぎ ルミこ、本名:小柳 留美子、1952年7月2日 -)は、福岡県福岡市早良区出


この曲は、160万枚を売り上げる大ヒットとなり、その後は「お祭りの夜」「雪あかりの町」「瀬戸の花嫁」「京のにわか雨」「漁火恋唄」と、ヒットを飛ばしていきます。

さて、今日はそんな小柳ルミ子の、1971年9月10日に発売された2枚目のシングルである「お祭りの夜」をどうぞ。
 
お祭りの夜/小柳ルミ子

この曲の歌詞はこちら

いやー。いい曲ですねー。(^O^)
この曲は、作詞:安井かずみ、作曲:平尾昌晃によるもので、同年の1971年に、オリコンでそれぞれ週間2位と年間42位を獲得しています。

小柳ルミ子は、その後1970年代後半~1980年代前半に入ってからは、アイドルというジャンルを卒業し、持ち前の歌唱力を活かした正統派歌手として、「冬の駅」「逢いたくて北国へ」「星の砂」「来夢来人(ライムライト)」「お久しぶりね」など、数々のヒット曲を飛ばします。

その軌跡として、デビュー年の1971年(昭和46年)から1988年(昭和63年)まで、「NHK紅白歌合戦」に18年連続出場という快挙(実績)を残しています。

さらに、小柳ルミ子は女優としても活躍。
1983年に「日本アカデミー賞最優秀主演女優賞」を受賞するなど、高い評価を受けています。

小柳ルミ子のオフィシャルブログはこちら。

小柳ルミ子 オフィシャルブログ
https://ameblo.jp/rumiko-koyanagi/

内容は、音楽、エンタメ、スポーツ、お菓子、買い物…、と多岐にわたる、いわゆる雑記ブログですね。
が、芸能人ブログにありがちな放置ブログではなく、こまめに更新されているようです。(^^)

(^o^)/ 頑張れ、メッシ!
ナンダヨ 急ニ。(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

小柳ルミ子のシングル売上げTOP20

なお、小柳ルミ子のシングル売上げTOP20は、以下の通りです。
以下の表は、小柳ルミ子の発売した曲の中で、週間シングルランキングTOP50にランクインしたことがある作品を対象に、推定累積売上げ枚数の上位20件を掲載しています。

曲名発売日最高順位
わたしの城下町1971年04月25日1位
瀬戸の花嫁1972年04月10日1位
京のにわか雨1972年08月10日1位
冬の駅1974年10月10日1位
星の砂977年04月25日2位
お祭りの夜1971年09月10日2位
お久しぶりね1983年07月21日8位
漁火恋唄1972年11月10日3位
春のおとずれ1973年02月25日4位
雪あかりの町1972年01月25日5位
恋にゆれて1973年05月25日4位
十五夜の君1973年08月10日8位
逢いたくて北国へ1976年09月25日15位
ひと雨くれば1975年05月25日15位
花 車1975年09月10日20位
花のようにひそやかに1974年03月10日14位
恋の雪別れ1973年11月10日15位
湖の祈り1977年08月25日18位
黄昏の街1975年02月25日12位
来夢来人1980年01月25日22位
出典:https://www.oricon.co.jp/prof/218991/rank/single/

「めぐり逢い(Comme au premier jour)/アンドレ・ギャニオン」 - ヒーリング音楽の分野で有名な代表曲!

今日は、アンドレ・ギャニオンの「めぐり逢い」のご紹介です。

めぐり逢い アンドレ・ギャニオン ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

アンドレ・ギャニオン(Andre Gagnon、1942年8月1日 -)は、カナダの作曲家、ピアノ奏者です。
アンドレ・ギャニオンは、近年世界的にブームとなったヒーリング音楽の分野において有名なミュージシャンで、代表作に「めぐり逢い」などがあります。

今日は、1996年5月25日に発売された、その「めぐり逢い」をどうぞ。
 
めぐり逢い(Comme au premier jour)/アンドレ・ギャニオン(André Gagnon)

どこか哀愁のただよう、素敵なメロディーです。(^-')
有名な曲なので、きっと、どこかでお聴きになったことがある方も多いのではないでしょうか。
It's a lovely melody with a hint of melancholy.(^-')
It's a famous song, so I'm sure many of you have heard it at some point.

このような曲を聴くと、やはり音楽はメロディーが命だということが分かりますね。(@_@)ウーン
ストリングスアレンジも秀逸(しゅういつ)です。
Listening to these songs, I can see that melody is the key to music. (@_@)Hmmm.
The string arrangement is excellent, too.

アンドレ・ギャニオンは、ケベック州北部のサンパコムで19人兄弟の末っ子として生まれます。
そして、4歳のときに教会で聴いた音楽を自宅のピアノで弾き、これをきっかけにピアノを始めます。
6歳のときには作曲を始め、10歳のときにコンサートを開いてデビュー。

そして、モントリオールにある音楽学校でピアノ、和声、作曲、音楽理論を学んだ後、クラシックを学ぶためにパリへ留学します。
その留学中に、ポピュラー音楽に出会い、強い衝撃を受けた彼は、クラシックとポピュラーの架け橋となる音楽活動を志します。

なんというか…、やはり、普通の人(凡人)ではありませんね。(@_@)ウーン

A person who was born to make music.(音楽を作るために生まれてきた人)

という感じが、私にはします。(^^)

1967年には、モントリオール交響楽団で、自ら企画したコンサートにピアニストとして参加し、その地位を確立。
1970年には、大阪万博のカナダ館でコンサートを開くために初来日しています。
André Gagnon established himself as a pianist in 1967 when he participated in a concert he organized himself with the Montreal Symphony Orchestra.
In 1970 he made his first visit to Japan to give a concert at the Canadian Pavilion at Expo '70 Osaka.

「恋人がサンタクロース/松任谷由実」 - 名曲のご紹介

今日は、松任谷 由実の「恋人がサンタクロース」のご紹介です。

恋人がサンタクロース 松任谷由実 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

松任谷 由実(まつとうや ゆみ、本名:同じ。旧姓:荒井 由実(あらい ゆみ1954年1月19日 -)は、東京都八王子市出身のミュージシャンです。愛称はユーミン(Yuming)。夫はアレンジャーの松任谷正隆。

松任谷 由実は、14歳の時に、プロとしての初めての仕事でスタジオでのピアノ演奏をします。
以後、スタジオで演奏をしながらオリジナルの曲を書き、15歳で作詞家としてデビュー。
1971年には、17歳で作曲家としてデビューをします。
その作品は、彼女を本格的なデビューへと誘った加橋かつみ(元ザ・タイガース)へ提供した「愛は突然に…」です。

1972年7月5日には、「返事はいらない」で荒井由実として歌手デビュー。
翌年の1973年11月に、ファーストアルバム「ひこうき雲」を発売。
当時、TBSラジオの深夜放送番組である「パックインミュージック」金曜日の第2部を担当していたパーソナリティ、林美雄の絶大な支持を受けて知名度が上がり、翌1974年から本格的にステージ活動を開始します。

1975年10月に発売されたシングル「あの日にかえりたい」(TBSドラマ「家庭の秘密」主題歌)は、初のオリコンチャート1位を獲得。1976年のシングル年間ランキング第10位のヒットとなり、第一次ブームを迎えます。

6年後の1981年6月に発売されたシングル「守ってあげたい」は、同年のシングル年間ランキング第10位のヒットとなり、第二次ブームが到来。

そして、同年に発売されたアルバム「昨晩お会いしましょう」以降のオリジナルアルバムは、17枚連続でオリコン1位を獲得し、1987年のアルバム「ダイアモンドダストが消えぬまに」以降は、9作連続のミリオンセラーとなります。

今日は、そんな松任谷 由実の、1980年12月1日に発売された、通算10枚目のシングルである「恋人がサンタクロース」をどうぞ。


恋人がサンタクロース/松任谷由実

この曲の歌詞はこちら

この曲は、山下達郎の「クリスマス・イブ」と並び、J-POP クリスマス・ソングの定番曲となっています。

この曲の作詞・作曲は松任谷由実で、歌詞にはユーミンらしい乙女チックな趣があり、メロディーはシンコペーションを多用した、快適なリズム感をもち、凝ったコード進行で流れていきます。

スキーをする 動物
写真は、こちらからお借りしました。

松任谷自身は、この曲をシングルカットしませんでしたが、後に多くのアーティストがカバーを発表。
また、松任谷のベストアルバム「Neue Musik」の収録曲を決めるファン投票で4位に入るなど、松任谷の代表曲の一つとなっています。