Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「ビューティフル・ヨコハマ/平山三紀」 - のちに「真夏の出来事」がヒットする平山みきのデビュー曲

今日は、平山 みきの「ビューティフル・ヨコハマ」のご紹介です。

ビューティフル・ヨコハマ 平山三紀 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

平山 みき(ひらやま みき、旧芸名:平山 三紀、1949年8月22日 -)は、東京都大田区出身の歌手です。
実姉は、ミス・エールフランスコンテストに合格後松竹の女優となり、後に歌手として活躍した平山洋子(芸名は園江梨子→園えり子→平山洋子と改名)。

平山 みきは、1970年(昭和46年)に、「ビューティフル・ヨコハマ」でデビューをします。
その鼻にかかった強烈なハスキーボイスが、当時は話題を呼びます。

翌年の1971年に、当初はB面になる予定だった「真夏の出来事」を発売。
この曲は、オリコン最高位5位の大ヒットとなります。

続いて発売された「ノアの箱舟」も、10万枚を売り上げるヒットとなり、この曲で平山 みきはスター歌手への仲間入りを果たします。

今日は、そんな平山 みきの、1970年11月10日に発売されたデビュー曲である、「ビューティフル・ヨコハマ」」をどうぞ。
 
ビューティフル・ヨコハマ/平山三紀

この曲の歌詞はこちら

この曲は、オリンコンチャートで64位を記録しています。
平山 みきの初期の楽曲は、ほとんどが作詞家・橋本淳と作曲家・筒美京平のコンビによる作品で、当時は「筒美京平の秘蔵っ子」的な存在と言われました。

デビュー前の平山みきは、橋本淳と筒美京平がホテルニュージャパン内に構えていた宝島音楽事務所へ、歌のレッスンに通っていましたが、そこで初めてのオリジナル曲『ビューティフル・ヨコハマ』と『さよならのブルース』を渡されます。
筒美京平は当初、バラードである『さよならのブルース』をA面に考えていましたが、話し合った結果、2年前に発表されたいしだあゆみの『ブルー・ライト・ヨコハマ』の続編的な路線を意識して作られた『ビューティフル・ヨコハマ』を、A面曲に決定。『さよならのブルース』はB面曲として発売されます。

このレコードジャケットの写真は、山下公園で撮影されたものです。
また、『ビューティフル・ヨコハマ』の二番の歌詞に出てくる人名「ハルオ」は橋本淳の息子(音楽プロデューサーの与田春生)の名前、「ゼンタ」は筒美京平の息子の名前です。

平山 みきは、その後もアルバムでは1981年(昭和56年)に近田春夫のプロデュースで「鬼ヶ島」、1987年(昭和62年)には「キャバレー・ガール」、そして、1993年(平成5年)にはサンディー&サンセッツとのコラボによる「平山みきのエキゾチカ大魔境」と意欲的な作品を発表し続けます。

また、シングルも1987年に出した「冗談じゃない朝」で再びクローズ・アップされ、2001年(平成12年)には新曲「パーフェクト・サマータイム」を発売するなど、スローペースながらも現在も音楽活動を続けています。

「乙女のワルツ/伊藤 咲子」 - オリコン24位を記録したヒット曲

今日は、伊藤 咲子の「乙女のワルツ」のご紹介です。

乙女のワルツ 伊藤 咲子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

伊藤 咲子(いとう さきこ、本名:千葉咲子、1958年4月2日 -)は、東京都出身の女性歌手です。

伊藤 咲子は、1973年 15歳の時にオーディション番組「スター誕生!」で優勝し、これをきっかけに芸能界へ入ります。
そして、翌年の1974年に、 「ひまわり娘」で、アイドル歌手としてデビュー。

同年末には、「木枯しの二人」を発売。
この曲は、翌年の1975年、オリコン年間ヒットチャートで36位にランクイン。
自身最大のヒット曲となります。

また、翌年の1976年には、 「きみ可愛いね」で「第27回NHK紅白歌合戦初」出場を果たします。
 

「きみ可愛いね/伊藤 咲子」 - 第27回NHK紅白歌合戦初出場を果たした伊藤咲子のヒット曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、伊藤 咲子の「きみ可愛いね」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。伊藤 咲子(いとう さきこ、本名:千葉咲子、1958年4月2日 -)は、東京都出身の女性歌手です。


今日は、そんな伊藤 咲子の、1975年7月05日に発売された、通算5枚目のシングルである「乙女のワルツ」をどうぞ。


乙女のワルツ/伊藤 咲子

この曲の歌詞はこちら

この曲は、オリコン最高順位24位を記録しています。

今改めて歌詞を読んでみると、明るい曲調に反して、悲しい詞なので驚きました。おお!(゚o゚)
悲しいというより、切ない、ですかね。
これは意外でしたが、そう言えば、「サボテンの花」もそうですね。
 

「サボテンの花/チューリップ」 - ドラマ『ひとつ屋根の下』主題歌 |Super源さんの音楽ブログ


以前、チューリップの「心の旅」をご紹介しましたが、今日は「サボテンの花」をご紹介したいと思います。 写真は、こちらからお借りしました。 チューリップの曲には、「魔法の黄色い靴」、「虹とスニー


この曲は、以下の作品に使用されました。
・セイコー「セイコー・腕時計」CM - 1987年、出演:横山めぐみ。
・日産自動車「プレセア」CM - 1994年、出演:浅野温子。インストゥルメンタルを使用。
・オムニバス映画『歌謡曲だよ、人生は』第8話「乙女のワルツ」 - 2007年、監督:宮島竜治。主演:マモル・マヌー。

伊藤咲子は、祖父母が山形県出身で、両親は山形疎開時に結婚したため、山形に深い思い入れがあります。
そのため、出生も育った地も東京ですが、山形は自分の故郷だと語っています。
伊藤咲子の出生前は、両親は山形に住んでいましたが、出生時は東京に転居していました。

なお、母方の親戚に、声楽家の砂原美智子がいます。

「森を駈ける恋人たち/麻丘めぐみ」 - オリコン7位を記録したヒット曲!

今日は、麻丘 めぐみの「森を駈ける恋人たち」のご紹介です。

森を駈ける恋人たち 麻丘めぐみ ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

麻丘 めぐみ(あさおか めぐみ、本名:藤井 佳代子(ふじい かよこ)、1955年10月11日 -)は、大分県生まれ、大阪育ちの女優、歌手、演出家です。


写真は、こちらからお借りしました。

麻丘めぐみは、1970年代を代表するアイドルの一人で、当時、そのチャーミングな容貌と、「牛若丸カット」と呼ばれた独特のカットの黒髪と、そして優しい歌声で一時代を築きます。
南沙織や天地真理・小柳ルミ子ら新三人娘とともに、「元祖女性アイドル」 と語られる機会もあります。


写真はこちらからお借りしました。

麻丘 めぐみのデビュー曲は、1972年に発売された「芽ばえ」です。
この曲は、40万枚を超えるヒットとなり、第14回日本レコード大賞で最優秀新人賞を受賞します。
 

「芽ばえ/麻丘めぐみ」- 40万枚を超えるヒットとなったデビュー曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、麻丘 めぐみの「芽ばえ」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。麻丘 めぐみ(あさおか めぐみ、本名:藤井 佳代子 1955年10月11日 -)は、大分県生まれ、大阪育ちの


翌年の1973年には、「わたしの彼は左きき」が大ヒット。
この曲は、第15回日本レコード大賞で大衆賞を受賞し、同年の「第24回NHK紅白歌合戦」にもこの曲で出場することとなり、麻丘めぐみの代表曲となります。
 

「わたしの彼は左きき/麻丘めぐみ」 - 総計50万枚以上を売上げた麻丘めぐみの代表曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、麻丘 めぐみの「わたしの彼は左きき」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。麻丘 めぐみ(あさおか めぐみ、本名:藤井 佳代子 1955年10月11日 -)は、大分県生まれ


今日はそんな麻丘めぐみの、1973年4月30日に発売された通算4枚目のシングルである「森を駈ける恋人たち」をどうぞ。( ^-^)/
 
森を駈ける恋人たち/女の子なんだもん 投稿者 jrapaka2

この曲の歌詞はこちら

この曲は、オリコンチャートにおいて、最高順位7位、1973年度年間57位を記録しています。

また麻丘めぐみは、南沙織と浅田美代子とはアイドル時代からの親友です。
デビュー曲のヒットで一躍トップアイドルとして祭り上げられたことへの戸惑いや、1970年代当時の歌謡界の空気に馴染めないストレス等といった悩みを共に抱えており、それゆえに互いに励まし合いながらも本音で語り合える貴重な存在だったと、再三インタビューで語っています。

また、この曲はのちに、以下の歌手によってカバーされています。

・森昌子(1973年)- スタジオ・アルバム「白樺日記~マコ初恋へのあこがれ」(1973年10月1日、徳間ジャパン)収録
・桜田淳子(1974年)- スタジオ・アルバム「三色すみれ(さんしきすみれ)」(1974年3月25日、ビクター音楽産業)収録

なお、女優の藤井佳代子は、同姓同名の別人です。