Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「盆帰り/中村雅俊」 - 長期にわたって上位にランクインしたロングセラー作品

今日は、中村雅俊の「盆帰り」のご紹介です。

盆帰り 中村雅俊 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

中村雅俊(なかむら まさとし、1951年2月1日 -)は、宮城県牡鹿郡女川町(おしかぐんおながわちょう)の歌手、俳優です。

中村雅俊は、1973年、文学座附属演劇研究所に入所し、翌年、大学卒業と同時に文学座に入団。
同年、日本テレビ系列で放送された青春ドラマ「われら青春!」の主役に抜擢されて人気を得、その番組で自らが歌う挿入歌「ふれあい」が100万枚を超えるセールスを記録します。

その後、「太陽にほえろ!」第84話「人質」(1974年2月22日・NTV系列・東宝・長谷川医師・テレビ初出演作)、「われら青春!」(1974年4月7日 - 9月29日・NTV系列・沖田俊・本格デビュー作)、「俺たちの旅」(1975年10月5日 - 1976年10月10日・NTV系列・津村浩介)、「夜逃げ屋本舗」(1999年1月13日 - 3月17日・NTV系列・源氏雅彦)、スペシャルドラマ「家族が家族であるために」(2012年3月28日、BS-TBS・安達修一)など、多くのドラマ・映画・CM・舞台などに出演しています。

そして、現在に至るまで、毎年コンサートツアーを敢行。その数は1300回を超え、いずれも大きな成功を収めています。

今日は、そんな彼の多くのヒット曲の中から、1976年5月25日に発売された5枚目のシングルである「盆帰り」をどうぞ。
 
盆帰り/中村雅俊

この曲の歌詞はこちら

この曲の作詞・作曲は、ともに小椋佳です。
「盆帰り」は、前述したように1976年(昭和51年)5月に発売され、翌月の6月から8月にかけてヒットしました。

一番売れた月は7月上旬ですが、それ以降も長期にわたって上位にランクインした、ロングセラー作品です。
この曲の主題になっている季節にも、ランクインし続けていました。

中村雅俊は、2011年に起こった東日本大震災で、この曲への思いも変化しており、

「女川って町は小さな港町だから、もっと広い世界を見たいと思って、高校卒業後に町を出たんです。だけど震災後は、俺は女川の人間だから支えていかなきゃダメだって地元意識が強くなりました。微力ですけど、俺にできることがあるなら……と、できる限り被災地に足を運んでいるのですが、行くたびに音楽が持つ力を再確認させられます。大学時代に作って、2枚目のアルバムにも収録されている『私の町』という女川を歌った曲を歌うと、みなさん泣いて喜んでくれるんですよね。俺が役者1本だったり、『ふれあい』だけの一発屋だったらこうして多くの方とふれあえなかったはず。だから歌を続けてこられて、幸運な男だなって思います」

と、2017年のインタビューにおいて述べています。

「夏の日の忘れもの/ダ・カーポ」- のちに「結婚するって本当ですか」で60万枚の大ヒットを飛ばすダ・カーポのデビュー曲

今日は、ダ・カーポの「夏の日の忘れもの」のご紹介です。

夏の日の忘れもの ダ・カーポ<br /> ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

ダ・カーポは、久保田広子と榊原まさとしが結成した歌手グループです。

ダ・カーポの特徴は、何といってもその親しみのあるメロディーと、久保田広子の優しく柔らかな歌声です。

ダ・カーポは、1970年代から1980年代を中心にヒット曲を飛ばし、現在も活躍しているグループで、オリジナル曲もさることながら、岩崎宏美や由紀さおり・安田祥子姉妹などのように、唱歌・童謡・フォークソングなども手広くカバーしていることでも知られています。

グループ名は、演奏記号の「ダ・カーポ=始めから」に由来します。
が、ここには、いつまでも「初心を忘れずに」と、いう彼らの思いが込められています。

今日は、そんなダ・カーポのヒット曲の中から、1973年08月に発売された、デビューの「夏の日の忘れもの」をどうぞ。
夏の日の忘れもの/ダ・カーポ

この曲の歌詞はこちら

ダ・カーポの近況

デビュー35周年を契機に、2007年10月に発売したアルバム「home~世界の名歌集」から、実娘である榊原麻理子が正式メンバー入りし、「新生ダ・カーポ」として活動。

2013年に、麻理子が2年間パリにフルートを学びに留学することが決定し、再び夫婦デュオへ。

2014年、夫のまさとしが胸椎腰椎圧迫骨折による体調不良のため入院し、治療に専念。
2015年11月7日のコンサート・「ダ・カーポ コンサート~まさとし完全復活祝い!~」にて復帰。

「勇気があれば/西城秀樹」 - 名曲のご紹介

今日は、西城 秀樹の「勇気があれば」のご紹介です。

勇気があれば 西城秀樹 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

西城 秀樹(さいじょう ひでき、本名:木本 龍雄(きもと たつお)1955年4月13日 -2018年5月16日)は、広島県広島市出身の歌手、俳優です。

西城 秀樹は、1972年3月25日に、シングル「恋する季節」で「ワイルドな17歳」のキャッチフレーズと共に歌手デビューをします。
片仮名の「ヒデキ」の愛称で人気となった西城 秀樹は、「チャンスは一度」以降、当時マイクを持って直立不動の姿勢で歌う歌い方が主流であった歌謡界に、アクション旋風を巻き起こします。

そして、1973年に「情熱の嵐」がオリコン週間チャートで初のベストテン入り。
一躍トップアイドルの仲間入りを果たし、郷ひろみ、野口五郎と共に「新御三家」と呼ばれます。

その後、「ちぎれた愛」、「愛の十字架」が続けてオリコン週間チャートの第1位に輝き、「第15回日本レコード大賞」では初の歌唱賞を受賞します。

今日は、そんな西城秀樹の、1979年9月5日に発売された通算30枚目のシングルである「勇気があれば」をどうぞ。


勇気があれば/西城秀樹

この曲の歌詞はこちら

この曲は、過去にシングル表題曲となったバラード曲「若き獅子たち」「ブルースカイブルー」に比べると、マイルドな曲調のバラードです。

「第21回日本レコード大賞」においては、当時の規定により、選考の対象外となってしまった「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」の代わりに本曲でエントリー。

そして、大賞を決める決選投票まで残りますが、本曲と同じ筒美京平作曲の「魅せられて」(歌:ジュディ・オング)にあと一歩及ばずでした。