Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「Holiday(ホリディ)/Madonna」 - アルバム『Burning Up」に収録されている名曲

今日は、Madonna(マドンナ)の「Holiday(ホリデイ)」のご紹介です。

Holiday ホリディ Madonna マドンナ ジャケットイメージ
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マドンナ・ルイーズ・ヴェロニカ・チッコーネ(本名:Madonna Louise Ciccone、1958年8月16日 -)は、アメリカのミシガン州出身のポピュラー音楽のシンガーソングライター、女優、映画監督、文筆家、実業家です。
愛称は、代表曲から来た「マテリアル・ガール (Material Girl)」、または「ポップスの女王」ともいわれます。

マドンナは、1980年代初頭のニューヨークのダンスクラブ・シーンに登場し、1982年にデビュー。

1984年に、シングル「ライク・ア・ヴァージン」が大ヒット。その大胆かつ挑発的なイメージで一躍世界的なメガスターとなります。

アルバムの代表作としては、『トゥルー・ブルー』、『ライク・ア・プレイヤー』、『レイ・オブ・ライト』などがあり、シングルの代表作に「ホリディ」、「クレージー・フォー・ユー」、「パパ・ドント・プリーチ」、「ライク・ア・プレイヤー」、「イントゥ・ザ・グルーヴ」、「ヴォーグ」、「ミュージック」、「ハング・アップ」などが挙げられます。

MTVの到来により人気を得たミュージック・ビデオを駆使しながらポップアートと音楽を融合し、当時日本では「マドンナ旋風」と呼ばれる現象的な成功を収めます。

そして、セックス・シンボルとして不動の位置を固めますが、その後、多様なイメージの変遷を繰り返し現在に至ります。
彼女の活動は音楽にだけにとどまらず、レコード会社の設立、映画や舞台への出演、そして近年では児童書の執筆や映画監督などをも行なっている。

さて今日は、そんなマドンナの、1983年7月23日に発売されたファーストアルバム『Burning Up(バーニング・アップ)」の中から、「Holiday(ホリデイ)」をどうぞ。


Holiday(ホリディ)/Madonna(マドンナ)

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1982年に、ニューヨークのダウンタウンにて、無名の時に作られたデモテープ「エヴリバディ」をきっかけに、サイアー・レコードと契約を結び、その後の正式版「エブリバディ」の商業的成功でこのアルバムが作られました。

アルバムの制作は、レジー・ルーカスをプロデューサーとして行なわれますが、完成したものはとマドンナにとって満足の行くものではありません。
そこで、急遽、その当時につき合っていたジョン・"ジェリービーン"・ベニーテスを呼び、追加製作(多くの曲のリミックスと「ホリデイ」の製作)を行ない発売しました。

このアルバムには、リンドラム、モーグ、オーバーハイムOB-Xa等の当時の最新技術が詰め込まれており、新しい音色は特にダンスジャンルから歓迎されました。

この曲はBillboard 200において8位、欧州各国でも軒並みトップ10入りし、全世界で1000万枚を売り上げ、商業的には大成功します。
当時の批評は芳しくありませんでしたが、現在では1980年代を代表する作品の1つとして、再評価されています。

「さらばシベリア鉄道/太田裕美」 - 「雨だれ」でデビューした太田裕美の1980年のヒット曲 この曲の原曲は?

今日は、太田 裕美の「さらばシベリア鉄道」のご紹介です。

さらばシベリア鉄道 太田裕美 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

太田 裕美(おおた ひろみ、本名:福岡 弘美(ふくおか ひろみ、旧姓:太田)1955年1月20日-)は、東京都荒川区生まれ、埼玉県春日部市育ちのシンガーソングライターです。

太田 裕美は、1974年11月1日に「雨だれ/白い季節」でデビューをします。

「雨だれ」- その後「木綿のハンカチーフ」で人気が爆発する太田裕美のデビュー曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、太田 裕美の「雨だれ」のご紹介です。写真は、こちらからお借りしました。太田 裕美(おおた ひろみ、本名:福岡 弘美(ふくおか ひろみ、旧姓:太田)1955年1月20日-)は、東京都荒


キャッチフレーズは、「まごころ弾き語り」で、デビュー当初は、フォーク調でピアノの弾き語りの曲が中心でした。

1975年12月、3作目のアルバム「心が風邪をひいた日」からシングルカットされた「木綿のハンカチーフ」が大ヒット。
この曲は、翌1976年にオリコンチャート4位を記録します。

それでは、今日は1980年11月21日に発売された、通算19枚目のシングルである「さらばシベリア鉄道」をどうぞ。
 
さらばシベリア鉄道/太田裕美

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この曲は、もともとは大瀧詠一がジョニー・レイトンの「霧の中のジョニー」にインスパイアされて、アルバム『A LONG VACATION』のために作った曲です。

大瀧詠一はいったんレコーディングを始めましたが、慣れない女言葉で歌うのを気持ち悪がり、担当ディレクターが太田裕美への提供を思い立ったといいます。

が、自身の録音スケジュールの関係や、これまでの太田裕美のサウンドとの一貫性を大事にしたいという大瀧詠一本人の意向から、編曲については萩田光雄に全面的に依頼することになりました。

ただ、先にできていた自身のバージョンのオケ(編曲は大瀧自身)をデモテープ代わりに萩田光雄に渡したため、大瀧詠一の原編曲が生かされている部分もあり、たとえば間奏のギターソロは、大瀧バージョンと同じ鈴木茂が担当していたりします。

この曲は、太田裕美のシングルとして発表した際、オリコンチャートランキングは最高で70位留まりだったものの、大瀧詠一にとっては、作曲家として初めて100位以内にランクインした楽曲となっています。

「さらばシベリア鉄道」の原曲は?

大瀧詠一の作曲したこの曲の元ネタ、あるいは原曲(?)として、時々取り上げられる洋楽が2曲あります。
ここで、それらの曲をご紹介したいと思います。

まず1曲目は、1960年代にイギリスで活躍したインストバンド、トルネードス(The Tornados)の1963年の楽曲「Ridin' the Wind(ライディン・ザ・ウィンド)」という曲です。

そしてもう1曲は、1960年代に同じくイギリスで活躍した俳優・歌手のジョン・レイトン(John Leyton)の最大のヒット曲「霧の中のジョニー(Johnny Remember Me)」です。

それでは、まずは黙って聴いてみてください。

 
Ridin' the Wind/THE TORNADOS

 
Johnny Remember/MeJohn Leyton

どうでしょう?
どちらも、曲の醸(かも)し出す雰囲気やメロディーなどが「さらばシベリア鉄道」に良く似ていますよね。おお!(゚o゚)

私は最初、これらの曲を聴いたとき、あまりに似ているので、思わず (* ̄m ̄)プッ! と吹き出してしまいました。(^^;

「泣かないで/舘ひろし」 - 石原裕次郎的なゆとりを感じさせるいい男! 舘ひろしの雰囲気が良く描かれた名曲

今日は、舘ひろしの「泣かないで」のご紹介です。

泣かないで 舘ひろし ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

舘 ひろし(たち ひろし、1950年3月31日 - )は、日本の俳優・シンガーソングライター。本名は舘 廣(たち ひろし)。愛知県名古屋市中区老松町(現・名古屋市中区千代田)出身。石原プロモーション所属。

舘 ひろしは、1975年に、バイクチーム「クールス」からの選抜メンバーで結成されたロックバンド「クールス」のボーカルとして『紫のハイウェイ』矢沢永吉(五大洋光)の作曲でデビューをします。

その後のソロデビューには"太ったブタが勝つか、しなやかな狼が勝つか"とのキャッチフレーズでプロモーションに打って出、矢沢永吉を挑発するものとして話題を呼びました。

また、当時の東映社長・岡田茂に誘われ東映に籍を置き、『東映俳優センター』に所属。俳優としてのキャリアもスタートさせます。

そして、1976年に、松田優作主演の『暴力教室』に出演した他、『男組 少年刑務所』で映画にも初主演。

1978年には『皮ジャン反抗族』(長谷部安春監督)、1980年『薔薇の標的』(村川透監督)と、東映で計3本の主演映画が製作されます。

これらの映画は、暴走族のイメージがあるクールスを引きずり、また実際に本人の趣味でもあったため、オートバイを駆使する姿がトレードマークとなります。

そして、『西部警察』シリーズでの登場をきっかけに渡哲也と出会い、最初は、ハーレーダビッドソンを駆使する無頼漢的キャラクターの巽総太郎(愛称「タツ」)役で登場していましたが、番組初回から半年間の出演契約となっていたために、半年後の第30話で、西部署で最初の殉職刑事となり一旦降板しています。

そして、1981年に、第109話「西部最前線の攻防(前編)」から、先に殉職した巽刑事役とは別人のスズキGSX1100Sカタナを愛機とする特別機動車両隊(略称・「特機隊」)隊長の鳩村英次(愛称「ハト」「ポッポ」)役で再登場。

1983年には、自ら志願して石原プロモーションへ入社。
『西部警察 PART-III』の最終回まで出演します。

『西部警察』シリーズ終了後のドラマでは、バイク使いとしての積極的な登場は少なくなったものの、『あぶない刑事』シリーズで、ハーレーなど大型バイクに乗り、ショットガンを構えるシーンがもはや「十八番」となっており、相棒役の柴田恭兵とともに還暦以降でも、アクションぶりを時折見せています。

以前は、ドラマでの役柄は、所属する石原プロモーション制作のものを中心として、刑事役が圧倒的に多かったです、近年では時代劇やコミカルな現代劇にも多数出演するようになっており、役柄の幅を拡げています。

さて、今日はそんな舘ひろしの、1984年に発売された「泣かないで」をどうぞ。
 
泣かないで/舘ひろし

この曲の歌詞はこちら

いやー、いい男ですねー。(^o^)
石原裕次郎的なゆとりさえ感じます。
曲も最高!
何といっても、舘ひろしの雰囲気が、この曲に良く描かれていると思います。(^_^)¥

なお、舘ひろしは、1984年(昭和59年)に「第35回紅白歌合戦」にこの曲で出場しましたが、そのときの紅組の対戦相手は堀ちえみでした。