Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「アムール/サーカス」- 「Mr.サマータイム」で知られるサーカスの4枚目のシングル

今日は、サーカスの「アムール」のご紹介です。

アムール サーカス ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

サーカスは、1978年にデビューした男女2人ずつからなる4人組のコーラスグループです。

メンバーは、叶正子、叶高、叶ありさ、吉村勇一。

サーカスは、1977年に「月夜の晩には」で仮デビューをします。
この時のメンバーは、すが健、茂村泰彦、叶正子、卯月節子です。

そして、1978年に、バンド活動を志向していた男性2名がメジャーデビュー直前に脱退。
急きょ叶正子の弟の高(たかし)と央介(おうすけ)を加えて再結成されました。

1978年に、シングル「Mr.サマータイム」(ミシェル・フュガン(Michel Fugainの)カバー曲) で本格的にデビュー。
この曲は、同年8月中に100万枚を突破する大ヒットとなります。
他のヒット曲としては、1979年に発売された「アメリカン・フィーリング」、1988年発売の「Woman in Love(ウーマン・イン・ラブ)」などもあります。
 

「アメリカンフィーリング/サーカス」- 日本航空グループの旅行会社「旅行開発」(現ジャルパック)の「come to america '79」キャンペーンソング|Super源さんの音楽ブログ


今日は、サーカスの「アメリカンフィーリング」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。サーカスは、1978年にデビューした男女2人ずつからなる4人組のコーラスグループです。メンバー


サーカスは、それまでどのグループにもなかった男女2人ずつ、しかも三人姉弟と従姉というユニークな編成のヴォーカルグループとして誕生したのが特徴です。

1984年に、卯月節子が結婚、叶央介はソロ活動のため二人はグループから離れ、原順子と嶋田徹の二人が新メンバーとして加入。

1988年には、嶋田徹がグループを離れ、叶央介が復帰。

1991年に、叶央介と原順子が結婚し、メンバー4人が「親族」となります。

今日は、そんなサーカスの、1978年11月25日に発売された、通算4枚目のシングルである「アムール」をどうぞ。
 
アムール/サーカス

この曲の歌詞はこちら

この曲は、オリコンチャートにおいて、最高順位60位を記録しました。

サーカスの近況

2013年に、叶央介と原順子が2人のライブユニット「J&O」(→「2VOICE」)の活動に専念するためグループを離れ、叶ありさと吉村勇一が新メンバーとして加入します。

2013年4月24日に、メンバーチェンジ後、初となるアルバム「We Love Harmony!」を発表。

2013年5月29日に、アルバム「THE REBORN SONGS~80'sハーモニー~」を発表しています。

「想い出のピアノ/森田公一とトップギャラン」 - オリコン27位を記録したヒット曲!

今日は、森田公一とトップギャランの「想い出のピアノ」のご紹介です。

想い出のピアノ 森田公一とトップギャラン ジャッケトイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

森田公一とトップギャラン(もりた こういち と トップギャラン)は、1969年に結成された森田公一と5名のコーラスによる音楽グループです。

メンバーは、森田公一(ボーカル、キーボード、リーダー)、渡部玲子(ボーカル)、原田正美(ギター、元マグマックス・ファイブ、元ポニーズ)、岩田康男(ギター、元スケルトンズ、元レモンルーツ)、小原重彦(ベース、元マグマックス・ファイブ)、北村勝彦(ドラムス)。

森田公一とトップギャランは、エキスプレス/東芝音工(現・ユニバーサルミュージック)よりデビューをします。
その後、CBSソニーレコードに移籍。「青春時代」「人間はひとりの方がいい」「過ぎてしまえば」「惜春の唄」などのヒットを放ちます。
 

「過ぎてしまえば/森田公一とトップギャラン」 - オリコン54位を記録したヒット曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、森田公一とトップギャランの「過ぎてしまえば」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。森田公一とトップギャラン(もりた こういち と トップギャラン)は、1969年に結成され


そして、1977年の第28回NHK紅白歌合戦に出場。1981年に解散します。

その後、1990年に、森田公一自身の作曲家30周年を記念して、「森田公一とトップギャラン2」として再結成。
元Sugarのミキこと笠松美樹が、キーボード担当として一時期加わっていました(Sugarは87年に解散しています)。

今日は、そんな森田公一とトップギャランの、1977年2月に発売されたシングルである「想い出のピアノ」をどうぞ。
 
想い出のピアノ/森田公一とトップギャラン

この曲の歌詞はこちら

いい曲ですねー。(^o^)
この曲は、当時オリコン27位を記録するヒット曲となりました。

「♪ガラスを~ いろどる~ 雪模様~♪」
フクロウ 写真
写真は、こちらからお借りしました。

人物

森田公一は、1970年代の歌謡界のヒットメーカーです。
作曲家としては、作詞家阿久悠、編曲家馬飼野俊一と組むことが多く、一時代を築きました。
歌手としては、「青春時代」「青雲」が、現在でもCMなどで使用されています。

「スカイレストラン/Hi Fi・Set(ハイ・ファイ・セット)」- 歌詞はもともとユーミンが「あの日にかえりたい」用に書いたもの

今日は、ハイ・ファイ・セット(Hi-Fi Set))の「スカイレストラン」のご紹介です。

スカイレストラン ハイ・ファイ・セット ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

ハイ・ファイ・セットは、1974年に結成され、1994年に解散したコーラスグループです。

ハイ・ファイ・セットは、フォークグループ「赤い鳥」が1974年9月に解散後、同グループのメンバーだった山本潤子(旧姓、新居潤子。1973年4月メンバーの山本俊彦と結婚)、山本俊彦、大川茂の3人によって、同年の10月に結成されました。

そして、1975年に、「卒業写真」と、同名のアルバムの同時発売でレコード・デビューをします。

以降、「冷たい雨」「朝陽の中で微笑んで」など、荒井由美(現;松任谷由実)の曲を数多くヒットさせ、後に荒井由美自身がセルフ・カバーしたことでいっそう人気が高まります。

1977年に、ブラジルのシンガーソングライター、モーリス・アルバート(英語版)の「愛のフィーリング(原題はFeelings)」になかにし礼が歌詞をつけたカバー曲「フィーリング」が大ヒット。
 

「フィーリング/ハイ・ファイ・セット」 - オリコンで週間2位&1977年度年間10位を獲得したヒット曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、ハイ・ファイ・セット(Hi-Fi Set))の「フィーリング」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。ハイ・ファイ・セットは、1974年に結成され、1994年に解散したコー


以降、ハイ・ファイ・セットは、山本潤子のソプラノと山本俊彦のテナー、そして大川茂のバス・ボイスによる抜群のコーラスワークと、都会的で洗練されたアレンジで、ニューミュージック全盛の時代に高い人気を誇ります。

今日は、そんなハイ・ファイ・セットの、1975年11月5日に発売された通算4枚目のシングルである「スカイレストラン」をどうぞ。
 
スカイレストラン/Hi Fi・Set(ハイ・ファイ・セット)

この曲の歌詞はこちら

もともと、この曲の歌詞は、ユーミンの「あの日にかえりたい」の歌詞として書かれたもので、ユーミンはその後、「あの日にかえりたい」を書き直し、この「スカイレストラン」に使ったということです。
なので、この2曲の詞は、相互に入れ替えても違和感なく聴くことができます。

「スカイレストランまで、跳びたい気分だニャー!」
ジャンプする猫 jumping cat
写真は、こちらからお借りしました。

ハイ・ファイ・セットは、1980年にいったん活動停止しますが、1年後に活動を再開。
4ビートジャズを日本語の歌詞で歌うなど新境地を開拓します。

1984年には、「素直になりたい」がシチズンのCMソングに使われてヒット。
そして、1992年10月の活動休止まで、シングル曲26枚、アルバム19枚を残し、1994年9月に解散します。

解散後、山本潤子はソロシンガーとして活動しています。