Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「さよならを教えて(Comment te dire adieu)/フランソワーズ・アルディ」- 「もう森へなんか行かない」で知られるフランソワーズ・アルディの1968年のヒット曲

今日は、フランソワーズ・アルディの「さよならを教えて」のご紹介です。

さよならを教えて Comment te dire adieu フランソワーズ・アルディ ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

フランソワーズ・アルディ(Francoise Hardy 1944年1月17日 - 2024年6月11日) - は、フランスの歌手、シンガーソングライター、女優です。
夫は、ミュージシャンで俳優でもあるジャック・デュトロン。

フランソワーズ・アルディ
フランソワーズ・アルディ ピンナップ ブロマイド
写真は、こちらからお借りしました。

フランソワーズ・アルディは、1962年に「男の子女の子(Tous Les Garcons Et Les Filles)」でデビューをします。

1960年代には、トップアイドルとして活躍。
フランス語圏のみの人気にとどまらず、特にイギリスで人気が爆発。
アイドル人気に伴い、ジャン=リュック・ゴダール監督の『男性・女性』、1966年のアメリカ映画『グラン・プリ』など数作の映画に出演します。

1968年に、アメリカのポピュラーソング「It Hurts to Say Goodbye」にフランス語詞をつけた「さよならを教えて(Comment te dire adieu)」を発表。

そして、この曲の作詞を担当したのが、セルジュ・ゲンスブールで、それ以来、ゲンスブールおよびゲンスブールの妻だったジェーン・バーキンと親しくなります。
このセルジュ・ゲンスブールは「Kiss me Hardy」という曲を書いています。

1960年代後半からは、フランソワーズ・アルディはジョニ・ミッチェル的なシンガーソングライター・スタイルに転向。
シンガーソングライターとして、より自身の内面を表現するようになります。

今日は、そんなフランソワーズ・アルディの、1968年に発売されたヒット曲である「さよならを教えて」をどうぞ。
 
さよならを教えて(Comment te dire adieu)/フランソワーズ・アルディ(Francoise Hardy)

この曲の歌詞はこちら

50年前の録音ですが、今聴いても、古さを感じさせない鮮明なサウンドです。
Although it was recorded 50 years ago, the sound is so crisp and clear that it doesn't feel old even when you listen to it now.

この曲は、1973年に日本でも発売され、ヒットしました。
1979年には、TBSのテレビドラマ『沿線地図』で、Ma jeunesse fout l'camp(原題「私の青春は逃げて行く」、邦題「もうへなんか行かない」1967年)、「私の騎士 Si mi caballero」(1971年)が使用され、ドラマの中で繰り返し流されたことから話題を呼び、当時CBSソニーから発売されたシングル盤、ベスト盤「もう森へなんか行かない」がヒットしました。

また、荒井由実(現:松任谷由美)のアルバム『MISSLIM』に収録されている「私のフランソワーズ」という曲は、フランソワーズ・アルディのことを歌ったものです。

さらには、荒井由美が石川ひとみに書いた「まちぶせ」は、この「さよならを教えて」の翻案(ほんあん)とも言われます。
 

「まちぶせ/石川 ひとみ」 - オリオン週間47位を記録した最大のヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、石川 ひとみの「まちぶせ」のご紹介です。写真は、こちらからお借りしました。石川 ひとみ(いしかわ ひとみ、本名:山田 ひとみ(旧姓・石川1959年9月20日) -)は、愛知県海部郡美


追記:2024.6.20
フランソワーズ・アルディは、2024年6月11日、長い闘病生活の末に亡くなりました。享年80歳でした。

訃報(ふほう)は、息子でミュージシャンのトーマ・デュトロンが、ソーシャル・メディアで発表しました。トーマ・デュトロンは、自分が赤ちゃんの頃の母親の写真を投稿し、「母が亡くなった」とキャプションに添えています。

トーマ・デュトロン、フランソワーズ・アルディーの訃報を発表
出典:https://www.instagram.com/p/C8Fw4bDoQBu/?utm_source=ig_embed&utm_campaign=loading

2024年6月20日、ペール・ラシェーズ墓地の火葬場とコランバリウムの建物で、フランソワーズ・アルディの告別式が行なわれました。

「ハイティーン・ブギ/近藤 真彦」- オリコン1位を獲得したヒット曲!

今日は、近藤 真彦の「ハイティーン・ブギ」のご紹介です。

ハイティーン・ブギ 近藤 真彦 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

近藤 真彦(こんどう まさひこ、1964年7月19日 -)は、神奈川県横浜市瀬谷区出身の実業家、歌手、俳優、タレント、レーシングドライバーです。ニックネームは、マッチ。

近藤 真彦は、1979年10月にTBSのテレビドラマ「3年B組金八先生」の生徒役でデビューをします。
そして、同じく生徒役だった田原俊彦、野村義男とともに、「たのきんトリオ」として活躍します。

その後、ソロ歌手としてデビューし、1980年代を代表する男性アイドルとして、「ザ・ベストテン」や「ザ・トップテン」などの歌番組を中心に活躍します。

また、1981年、1983年のブロマイド年間売上成績では第1位を獲得し、1987年の「第29回日本レコード大賞」では、「愚か者」で大賞を受賞します。

今日は、そんな近藤 真彦のヒット曲の中から、1982年6月30日に発売された通算7枚目のシングルである「ハイティーン・ブギ」をどうぞ。
 
ハイティーン・ブギ/近藤真彦

この曲の歌詞はこちら

この曲は、前作「ふられてBANZAI」の3ヶ月後に発売されたシングルで、1982年のオリコンシングルチャートにおいて1位を獲得しています。

また、東宝映画・『ハイティーン・ブギ』の主題歌で、 東山紀之がこの曲について、

「当時は合宿所のリビングで『若い子の意見も聞きたい』という事で俺たちもミーティングに一緒にいたりした。『ハイティーン・ブギ』の時は(作曲した)山下達郎さんが合宿所に来て、達郎さんがお酒が好きという事で、俺(東山)が水割り作って達郎さんに差し出した」

というエピソードを語っています。

(* ̄O)◇ゞ ゴクゴク。
(=^~^)o∀ウィーッ!
” ( '_') ゴキゲンダネ。(^・^ )ナニ ノンデル ノ?
クルボアジェ ナポレオン サ。( ^0^)// w(゚o゜)w ワォーッ!

なお、ハイティーン・ブギのコーラスには、山下達郎夫婦、つまり山下達郎と竹内まりやが参加しています。
豪華なコーラスですねー。(^O^)

近藤真彦と言えば、「ブルージンズ・メモリ-」も名曲ですね。(^^)
お時間が許せば、こちらもお聴きになってみて下さい。

ブルージーンズメモリー 近藤 真彦 ジャケットイメージ
※上の画像をクリックすると、曲ページにジャンプします。

そうそう、山下達郎といえば、なんと、俳句の季語になっているのですが、ご存知でしたか?(^^)
 

「山下達郎」「ユーミン」「サザン」は、俳句の季語になっている?


「山下達郎」は夏と冬、「ユーミン」は冬、「サザン」は夏の季語として使えることをご存じですか?えっ! ウソ?と思えるような話ですが、これは本当です。句会・東京ヘップバーンが「山下達郎」「ユーミン」「サザン」を季語に提案俳句の季語については、認定する特別の機関があるわけではなく、誰もが同じ季節を思い浮かべることができる言葉であれば問題ありません。「山下達郎」「ユーミン」「サザン」を季語とす...


「え? そうワンか?」


はい、本当ですワン。(^^)

「アムール/サーカス」- 「Mr.サマータイム」で知られるサーカスの4枚目のシングル

今日は、サーカスの「アムール」のご紹介です。

アムール サーカス ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

サーカスは、1978年にデビューした男女2人ずつからなる4人組のコーラスグループです。

メンバーは、叶正子、叶高、叶ありさ、吉村勇一。

サーカスは、1977年に「月夜の晩には」で仮デビューをします。
この時のメンバーは、すが健、茂村泰彦、叶正子、卯月節子です。

そして、1978年に、バンド活動を志向していた男性2名がメジャーデビュー直前に脱退。
急きょ叶正子の弟の高(たかし)と央介(おうすけ)を加えて再結成されました。

1978年に、シングル「Mr.サマータイム」(ミシェル・フュガン(Michel Fugainの)カバー曲) で本格的にデビュー。
この曲は、同年8月中に100万枚を突破する大ヒットとなります。
他のヒット曲としては、1979年に発売された「アメリカン・フィーリング」、1988年発売の「Woman in Love(ウーマン・イン・ラブ)」などもあります。
 

「アメリカンフィーリング/サーカス」- 日本航空グループの旅行会社「旅行開発」(現ジャルパック)の「come to america '79」キャンペーンソング|Super源さんの音楽ブログ


今日は、サーカスの「アメリカンフィーリング」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。サーカスは、1978年にデビューした男女2人ずつからなる4人組のコーラスグループです。メンバー


サーカスは、それまでどのグループにもなかった男女2人ずつ、しかも三人姉弟と従姉というユニークな編成のヴォーカルグループとして誕生したのが特徴です。

1984年に、卯月節子が結婚、叶央介はソロ活動のため二人はグループから離れ、原順子と嶋田徹の二人が新メンバーとして加入。

1988年には、嶋田徹がグループを離れ、叶央介が復帰。

1991年に、叶央介と原順子が結婚し、メンバー4人が「親族」となります。

今日は、そんなサーカスの、1978年11月25日に発売された、通算4枚目のシングルである「アムール」をどうぞ。
 
アムール/サーカス

この曲の歌詞はこちら

この曲は、オリコンチャートにおいて、最高順位60位を記録しました。

サーカスの近況

2013年に、叶央介と原順子が2人のライブユニット「J&O」(→「2VOICE」)の活動に専念するためグループを離れ、叶ありさと吉村勇一が新メンバーとして加入します。

2013年4月24日に、メンバーチェンジ後、初となるアルバム「We Love Harmony!」を発表。

2013年5月29日に、アルバム「THE REBORN SONGS~80'sハーモニー~」を発表しています。