Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「I Can't Tell You Why(言いだせなくて)/The Eagles」 - ビルボード誌で8位を獲得したヒット曲!

今日は、The Eagles(イーグルス)のI Can't Tell You Why(言いだせなくて)のご紹介です。(^^)

言いだせなくて The Eagles イーグルス ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

The Eagles(イーグルス)は、1971年にデビューしたアメリカのロック・バンドです。
アメリカ西海岸を拠点に活動しながら世界的人気を誇るバンドで、トータルセールスは1億2000万枚を超えます。

The Eaglesの代表曲は、「テイク・イット・イージー」「ならず者」「呪われた夜」「ホテル・カリフォルニア」などで、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第75位となっています。

そんなイーグルス結成の先駆けとなったのは、1971年にリンダ・ロンシュタットのバックバンド(Linda Ronstadt & Her Band )編成のためにミュージシャンが集められた機会でした。
これに、グレン・フライ、ドン・ヘンリー、ランディ・マイズナー、バーニー・レドンの4名が顔を合わせ、後に、彼らは独立して1971年8月にバンドを結成することを思いたち、リンダ・ロンシュタットの所属していたレコード会社から「イーグルス」としてデビューすることとなります。

イーグルスのデビュー曲は、「テイク・イット・イージー」で、このシングルは1972年に発売されるやいなや、いきなりヒットを記録。
続いて発売された「魔女のささやき」も、全米ヒットとなります。

さて、今日はそんな彼らの、1980年に発売された「I Can't Tell You Why(言いだせなくて)」をどうぞ。
 
I Can't Tell You Why(言いだせなくて)/The Eagles(イーグルス)

この曲の歌詞はこちら

いい曲ですねー。(^o^)
シンプルながら、心に沁(し)みてくる曲です。
この曲のシングルは、ビルボード誌において8位を獲得しています。

なお、イーグルスの現在のメンバーは、以下の通りです。
・ドン・ヘンリー(Don Henley)
 vo, cho, ds担当 1947年7月22日 - 1971年から在籍 テキサス州ギルマー出身
・ジョー・ウォルシュ(Joe Walsh)
 vo, cho, g, key担当 1947年11月20日 - 1975年から在籍 カンザス州ウィチタ出身
・ティモシー・B・シュミット(Timothy B. Schmit)
 vo, cho, b担当 1947年10月30日 - 1978年から在籍 カリフォルニア州サクラメント出身

ちなみに、過去のメンバーは以下です。
・バーニー・レドン(Bernie Leadon)
 vo, cho, g, banjo, steel guitar, mandolin担当 1947年7月19日 - 1971年から1975年まで在籍 ミネソタ州ミネアポリス出身
・ランディ・マイズナー(Randy Meisner)
 vo, cho, b担当 1946年3月8日 - 1971年から1978年まで在籍 ネブラスカ州ブラフ郡スコッツブラフ出身
・ドン・フェルダー(Don Felder)
g , cho担当 1947年9月21日 - 1973年から2000年まで在籍 フロリダ州ゲインズ出身
・グレン・フライ(Glenn Frey)
 vo, cho, g, key担当 1948年11月6日 - 2016年1月18日 1971年から2016年まで在籍 ミシガン州デトロイト出身

「Torn(トーン)/Natalie Imbruglia(ナタリー・インブルージア)」 - 700万枚以上を売り上げたアルバム「レフト・オブ・ザ・ミドル」からのシングル・カット曲

今日は、Natalie Imbruglia(ナタリー・インブルージア)のTorn(トーン)のご紹介です。

Torn トーン Natalie Imbruglia ナタリー・インブルージア ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

ナタリー・ジェーン・インブルーリア(Natalie Jane Imbruglia、1975年2月4日 -)は、オーストラリア出身の歌手、モデル及び女優です。
代表作には、「Torn(トーン)」「That day(ザット デイ)」「Wrong impression(ロング インプレッション)」「Shiver(シバー)」などがあります。

ナタリー・ジェーン・インブルーリアは、ニューサウスウェールズ州セントラルウエストにて、イタリア人の父親とオーストラリア人の母親の間に、4人兄弟の次女として生まれました。

元は女優でしたが、ミュージシャンとしての成功を求めてイギリスへ移住。
ファースト・アルバム「レフト・オブ・ザ・ミドル(Left of the Middle)」からのシングル・カット「トーン」のヒットで一躍有名になり、世界中で700万枚以上のアルバムを売り上げました。

また、日本国内で、深夜に放送されていた音楽番組『BEAT UK』でもUKシングルチャートでNo.1を獲得。

今日は、そんな彼女の代表作の1つである「Torn」をどうぞ。
 
Torn(トーン)/Natalie Imbruglia(ナタリー・インブルージア)

この曲の歌詞はこちら(和訳あり)。

素敵な曲ですね。(^-')
が、歌詞を読みながら聴くと、とてもやり切れない気持ちになります。(- -)
何せ、「Torn(引き裂かれた)」ですからね。
決して楽しい内容ではありません。
「tone(音色、口調)」だったら、いくらか楽しくなったかも?(? ?) ← イミ フメイ。(^^;

しかし、最初に彼女の名前を聞いたとき、私はずいぶん長い名前だなぁーと思ったのですが、父親と母親の国籍が違うことを知り、そのような事情だったのかと、妙に納得してしまいました。(--)(__) ナットク

ナタリー・インブルージアは、映画・『ジョニー・イングリッシュ』で、主演のローワン・アトキンソンと共演しています。

また、これまでに発売したアルバム及びシングルは、以下の通りです。

アルバム

・レフト・オブ・ザ・ミドル Left of the Middle(1998年)
・ホワイト・リリーズ・アイランド White Lilies Island(2001年)
・カウンティング・ダウン・ザ・デイズ Counting Down the Days(2005年)
・カム・トゥ・ライフ Come to Life(2009年)
・メイル Male(2015年)

シングル

・トーン Torn(1998年)
・ウィッシング・アイ・ウォズ・ゼア Wishing I Was There(1998年)
・ザット・デイ That Day(2001年)
・ロング・インプレッション Wrong Impression(2002年)
・シバー Shiver(2005年)
・カウンティング・ダウン・ザ・デイズ Counting Down The Days(2005年)

「ケ・セラ/レーモン・ルフェーブル楽団」 - 管理人おススメの名曲! ケ・セラの意味は?

以前、レーモン・ルフェーブル楽団(Raymond Lefevre)の「夜間飛行」をご紹介しました。
 
「夜間飛行/レーモン・ルフェーブル楽団」 - 「ジェット・ストリーム」のエンディングテーマ|Super源さんの音楽ブログ

「夜間飛行/レーモン・ルフェーブル楽団」 - 「ジェット・ストリーム」のエンディングテーマ|Super源さんの音楽ブログ


以前、レーモン・ルフェーブル楽団の「シバの女王」をご紹介しましたが、今日はもう一曲ご紹介したいと思います。曲名は、「夜間飛行」です。(^o^)/ ジャーン! 写真はこちらからお借りしました。


今日は、もう一曲ご紹介したいと思います。

曲名は、「ケ・サラ(Que Sera)」です。

「ケ・セラ」はイタリア語で、「ケ・セラ・セラ(Que Sera, Sera)」とも言い、
英語の、

What will be, will be.

に当たります。
対応関係は、

Que(what) sera(will be) sera=ケ・セラ・セラ

という感じです。
日本語で言うと、

「なるようになるさ」「何とかなるさ」

となります。

それでは早速、今日はその「ケ・セラ」をどうぞ。(^^)/
 
ケ・セラQue Sera/レーモン・ルフェーブル楽団(Raymond Lefevre)

と、これで終わってしまうと、何か「語学講座」のようになってしまうので(爆)…、
以下に、レイモン・ルフェーヴルの経歴について簡潔に記したいと思います。m(__)m

レーモン・ルフェーブル楽団の経歴

レイモン・ルフェーヴル[(Raymond Lefèvre、1929年 - 2008年)は、インドのカレー、じゃなかったフランスのカレー(Calais)という町に生まれた編曲家、指揮者、作曲家、ピアニスト、フルート奏者で、イージーリスニング界の第一人者として有名です。

特に、日本では、キングレコードを発売元としていた時期に、ポール・モーリアと双璧をなす楽団でした。

当時、ポールモーリアは「ラブ・サウンドの王様」、こちらレイモン・ルフェーヴルは「ラブ・サウンドのシャルマン」と胡椒、じゃなかった呼称されていました。

∵ゞ(>д<)ハックション!
(.。)☆\バキッ! サキガ ヨメタヨ。

レイモン・ルフェーヴル

出典:https://www.jvcmusic.co.jp/img/sns/processed/artists/A002476.jpg?_c=init

レイモン・ルフェーヴルは、1956年9月に女性歌手ダリダのデビュー曲『バンビーノ』の編曲と伴奏指揮を担当、レイモン・ルフェーヴル・グランド・オーケストラとしてスタートを切ります。

その後、「ミュジコラマ」「パルマレス・デ・シャンソン」など、フランスの人気音楽番組や「サンレモ音楽祭」などで指揮者を歴任。
レコードでは、1958年に『雨の降る日』、1968年には『ばら色の心』『ラ・ラ・ラ』が相次いで全米ヒットチャートにランクインし、注目を集めます。

同時に映画音楽も手がけ、ルイ・ド・フュネス主演作品などで、サウンドトラックを数多く発表。
日本では、1969年にシングル・カットされた『シバの女王』がロングヒットとなったことから、知名度が一気に上昇し、ポール・モーリア、フランク・プゥルセル、カラベリとともに、イージー・リスニング全盛期を迎える立役者の一人となりました。

その後レイモン・ルフェーヴルは、引退するまで約650曲を録音したと言われており、その中でも、クラシックの曲をイージー・リスニング風に編曲した「ポップ・クラシカル・シリーズ」は、彼の十八番となっています。


以上です。( ^-^)/