Super源さんの音楽ブログ

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「カンパリソーダとフライドポテト/吉田拓郎」 - アルバム『大いなる人』からシングルカットされた名曲!

今日は、吉田拓郎の「カンパリソーダとフライドポテト」のご紹介です。

カンパリソーダとフライドポテト 吉田拓郎 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。
吉田 拓郎(よしだ たくろう、1946年4月5日 - )は、鹿児島県大口市生まれのシンガーソングライターです。

日本のシンガーソングライターの草分け的存在で、当時マイナーだったフォークとロックを、一気に日本の音楽シーンのメインストリームに引き上げ、また大規模ワンマン野外コンサート、ラジオの活性化、コンサートツアー、プロデューサー、レコード会社設立など、さまざまな新しい道を開拓したパイオニアとして、日本のポピュラーミュージック史における最重要人物の一人です。

今日ご紹介する「カンパリソーダとフライドポテト」は、1977年に発売されたアルバム『大いなる人』からシングルカットされた曲です。

さて、それでは早速、「カンパリソーダとフライドポテト」をどうぞ。

カンパリソーダとフライドポテト/吉田拓郎

この曲の歌詞コードはこちら

『大いなる人』は、ほぼ全曲吉田拓郎の作詞・作曲によるスタジオアルバム

この曲が収録されている『大いなる人』は、1977年11月25日に発売された、吉田拓郎の8枚目のスタジオアルバムです。
このアルバムは、吉田拓郎が31歳の時の作品で、同年6月に小室等に代わってフォーライフの社長に就任して初めて発売した作品となっています。

このアルバムの中で広く知られている曲は、キャンディーズへ提供した「アン・ドゥ・トロワ (ばいばいキャンディーズ)」ぐらいで、シングルカットされた「カンパリソーダとフライドポテト」をはじめ、どの曲も知名度は高くなく、コンサートで取り上げられることも少ないです。

「アン・ドゥ・トロワ (ばいばいキャンディーズ)」の作詞以外は全て吉田拓郎が作詞作曲をしています。
また、「大いなる」は弾き語りで、拓郎の編曲ですが、その他は全て、もとははっぴいえんどの鈴木茂の編曲で、それがこのアルバム全体のメロウな雰囲気を醸(かも)し出しています。

『大いなる人』収録曲

全作詞・作曲:吉田拓郎(特記以外)、編曲:鈴木茂
1.あの娘に逢えたら(「カンパリソーダとフライドポテト」のB面曲)
2.未来
3.カンパリソーダとフライドポテト
4.アン・ドゥ・トロワ (ばいばいキャンディーズ)(この曲のみ、作詞:喜多条忠)
5.乱行
6.悲しい気持ちで
7.おいでよ
8.あなたを愛して(「ケンとメリー?愛と風のように?」で知られるバズに提供した曲のセルフカバー)
9.大いなる(ジェイク・シマブクロが『吉田拓郎トリビュート~結婚しようよ』でカバー)
10.歌にはならないけど

「い・に・し・え/日暮し」 - 木曜10時枠連続ドラマ「恋歌」挿入歌 日暮し最大のヒット曲!

今日は、日暮しの「い・に・し・え」のご紹介です。

いにしえ 日暮し ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。


「日暮し(ひぐらし)」は、1973年に杉村尚美(すぎむら なおみ)がフォークコンサートで知り合った武田清一(たけだ せいいち)、中村幸雄(なかむら ゆきお)と結成したフォークグループです。

日暮らしのメンバー
・榊原尚美 (ヴォーカル、キーボード、1954年2月5日 - )東京都出身
・武田清一(ギター、ヴォーカル、1950年1月31日 - )岩手県出身
・中村幸雄(ギター、ヴォーカル、1950年3月2日 - )東京都出身
・野間義男(ギター、1950年生まれ)東京都出身 1974年のみ在籍

日暮しは、地味だったためにあまり売れず、コロンビアに4年在籍のちビクターへ移籍し、1979年の暮れに解散しました。

が、活動中に発表された計5枚のアルバムは、いずれも彼らの高い感性と豊かな音楽性に支えられた珠玉の名盤だと私は思います。

さて、今日はそんな彼らの、1977年11月25日に発売された、通算6枚目のシングルである「い・に・し・え」をどうぞ。

この曲の歌詞はこちら

「い・に・し・え」は、よみうりテレビ制作の木曜10時枠連続ドラマ「恋歌」挿入歌に使われました。
オリコンチャート上では、週間最高14位を記録し、翌1978年にかけてロングセラーとなり、売上げ枚数累計21.9万枚を記録。
この曲は、フォークグループ・日暮しとしては最大のヒット曲となり、この曲のヒットにより、ひぐらしはフジテレビ系列の音楽生番組「夜のヒットスタジオ」へ初出演を果たしました。

杉村尚美のその後

日暮しの解散後、女性ボーカル担当だった杉村尚美は、2年後の1981年1月にソロ歌手に転向。
そして、日本テレビ系列連続ドラマ『炎の犬』の主題歌「サンセット・メモリー」を歌い、再びブレイクを果たしています。

「ロビンソン/スピッツ」 - オリコンTOP10入りを果たしたロビンソンのブレイク曲! 制作秘話も紹介

今日は、スピッツの「ロビンソン」のご紹介です。

ロビンソン スピッツ ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

スピッツ(SPITZ)は、進学のために上京した4人が集まって、1987年に結成した日本のロックバンドです。
スピッツは、新宿ロフト、新宿JAM、渋谷ラ・ママなどの都内のライブハウスを中心に活動し、1991年にポリドールからメジャーデビューを果たします。

そして、1995年に発売したシングル「ロビンソン」が初のオリコンチャートTOP10入りし、しかも通算30週以上ランクインするという快挙を成し遂げ、これが彼らの名前を世間に知らしめることとなりました。

それでは早速、彼らのブレイク曲となった、その「ロビンソン」をどうぞ。


この曲のオリコンチャートにおける最高順位は、以下の通りです。

・週間4位
・1995年5月度月間5位
・1995年6月度月間6位
・1995年7月度月間9位
・1995年8月度月間20位
・1995年度年間9位
・オリコン歴代シングルランキング66位

「ロビンソン」制作秘話と、草野の当惑

CDシングルに収録された「ロビンソン」と「俺のすべて」は、いずれも1995年の初めに東京都のグリーンバード杉並にてレコーディングされました。

制作段階では、まだどちらをA面にするか決めていず、「俺のすべて」から先にリハーサルに取り掛かりました。

そして最終的に、「ロビンソン」が1曲目に選ばれましたが、作詞・作曲を担当した草野は、この曲が「ポップすぎる」という印象で、シングルとして発表することにあまり乗り気ではなかったといいます。

シングルの制作中、草野は「ロビンソン」を“いつものスピッツの、地味な曲”と感じ、バンドの他のメンバーや共同プロデューサーの笹路正徳にもそのように話していたといいます。

ところが、この曲はそんな草野の思惑を超えて大ヒット。

この曲が大衆的な支持を集めたことについて、草野は2007年に出版されたグループの回顧録『旅の途中』の中で、以下のように述べています。

「人気テレビ番組やCMのタイアップではないし、テレビによく出ていたわけでもないのに、なぜあの曲がこんなに長く売れているのか、と当時抱いた疑問の答えはいまでもわからない」

この曲のイントロやサビでリフレインされる印象的なアルペジオフレーズは、リードギターの三輪テツヤが持ってきたフレーズをそのまま採用したものです。
プロデューサーの笹路正徳は、このアルペジオのフレーズも、この曲の印象を決定づける重要な要素だったと語っています。