Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「粉雪/レミオロメン」 - 名曲のご紹介

今日は、「レミオロメン」の「粉雪」のご紹介です。

レミオロメンは、2000年に結成した日本のロックバンドで、略称はレミオです。

バンド名の由来はちょっと変わっていて、メンバーでジャンケンをし、勝った順に1文字、2文字、3文字好きな文字を選び、つなげたものです。
まず、藤巻亮太(ふじまき りょうた)がイギリス出身のロックバンドであるレディオヘッドが好きなことから「レ」を、神宮司治(じんぐうじ おさむ)が当時の彼女の名前と自分の名前の頭文字を取り「ミオ」、前田啓介(まえだ けいすけ)が路面電車が好きなことから「ロメン」を取り、それらを繋げて「レミオロメン」としました。

さて、今日ご紹介する「粉雪」は、2005年に発表された通算8枚目のシングルで、テレビドラマ「1リットルの涙」の挿入歌として使われた曲でもあります。

それでは早速、「レミオロメン」の「粉雪」をどうぞ。


Remioromen - Konayuki 投稿者 alissa95粉雪


「想い出がいっぱい/下川みくに」 - 名曲のご紹介

今日は、「下川みくに」の「想い出がいっぱい」のご紹介です。

下川 みくに(しもかわみくに、1980年3月19日 -)は、北海道静内郡静内町(現・日高郡新ひだか町)出身の女性歌手です。
夫は、声優の小山剛志

『DAIBAッテキ!!』初のオーディションで、田中里奈・矢作美樹などと共に選ばれ、女性アイドルグループ「チェキッ娘(チェキッこ)」として、デビューを果たします。
チェキッ娘の時代は、熊切あさ美(くまきりあさ美)や町田恵と3人で「NEOかしまし娘」という同グループ内のユニットでも活動していました。その後は、ファンの支持を受け、ソロ活動を展開します。

今日ご紹介する「想い出がいっぱい」は、2003年12月17日に発売された「Review歌~下川みくに青春アニソンカバーアルバム~」に収録されている曲です。

それでは早速、「下川みくに」の「想い出がいっぱい」をどうぞ。

想い出がいっぱい/下川みくに

下川みくには、出身地である静内町の観光親善大使で、合併後の新ひだか町からも引き続きで任命されています。

また、台湾・台北市でライブを行なって以来、台湾・香港・中国・韓国など、アジアに活動の場を広げています。
なお、名前の中国語表記は「下川美娜」です。

2009年8月5日発売のアルバム『翼 〜Very Best of Mikuni Shimokawa〜』が、香港においてIFPIのJ-POP・K-POP部門「2009年度香港ベストセールス大賞」を受賞しました。


「愛のメモリー/松崎しげる」 - 最優秀歌唱賞とオリコン週間2位を記録したヒット曲! 制作秘話~曲制作からヒットまで~も紹介

今日は、松崎しげるの「愛のメモリー」のご紹介です。

愛のメモリー 松崎しげる ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

松崎しげる(まつざき しげる、本名:松崎 茂幸(まつざき しげゆき)、1949年11月19日 - )は、東京都江戸川区出身の歌手、俳優、タレントで、通称は「マツ」です。

松崎しげるは、1976年にスペインのマジョルカで開催されたマジョルカ音楽祭に『愛の微笑』で出場し、見事最優秀歌唱賞と第2位に輝きます。
その翌年、改題されCMソングとして発表された「愛のメモリー」が大ヒット。同曲は数々の賞に輝き、第28回NHK紅白歌合戦にも初出場を果たします。

それでは早速、その「愛のメモリー」をどうぞ。

愛のメモリー/松崎しげる

いやー。素晴らしい曲! 素晴らしい歌唱ですねー。(^O^)
この曲は、オリコンチャートにおいて週間2位、1977年度年間18位、1978年度年間87位を記録しています。

「愛のメモリー 」制作秘話~曲制作からヒットまで

1976年に、ビクターレコードのディレクターが、スペインのマジョルカで開催される「マジョルカ音楽祭」を知り、この音楽祭に参加するために楽曲を制作することを決意します。
曲は、これまでなかったスケールの大きなものになるため、歌手は松崎しげるに白羽の矢が立ちます。

ディレクターは、楽曲はフランク・シナトラの「マイ・ウェイ」のようなラブ・バラードが最適と判断し、作詞をたかたかし、作曲を馬飼野康二に依頼。
たかたかしは『万葉集』から、藤原鎌足が采女安見児を得たときに詠んだ歌「われはもや安見児得たり皆人の得難にすとふ安見児得たり」を基に、馬飼野康二はヘンリー・マンシーニの「ひまわり」を参考にして楽曲を完成し、曲は「愛の微笑み」と名づけられました。

結果、音楽祭では、松崎しげるの圧倒的な歌唱力とステージ・パフォーマンスで、この「愛の微笑み」は松崎しげる自身に最優秀歌唱賞を、そして総合では第2位を記録しました。

しかしながら、この曲や松崎しげるの歌唱に対する日本での対応は冷ややかで、松崎しげる自身がテープを持参して曲の宣伝を行なうこととなります。

やがて、松崎しげる自身の売り込みが功を奏し、江崎グリコのアーモンド・チョコレートのコマーシャルソングに採用され、1977年に三浦友和と山口百恵の共演するCMのバックに流れると、この曲は俄然(がぜん)注目され、同年8月に歌詞を一部改変し、「愛のメモリー」として発売されると瞬く間にヒット。
松崎しげるはこの曲で、同年大晦日(おおみそか)の晩に行なわれた『第28回NHK紅白歌合戦』に初出場も果たしたのです。

またこの曲は、1978年春の第50回選抜高校野球大会の行進曲にも採用。
かくして、かつて高校球児だった松崎しげるは、開会式のゲストという形ながらも、憧れの甲子園球場に出場を果たすことになったのでした。