Super源さんの音楽ブログ

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「Japanese Girl(ジャパニーズ・ガール)/生稲 晃子」 - 「麦わらでダンス」でソロデビューした生稲晃子の1989年に発売されたシングル

今日は、生稲 晃子の「Japanese Girl」のご紹介です。

Japanese Girl ジャパニーズ・ガール 生稲晃子 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

生稲 晃子(いくいな あきこ、1968年4月28日 -)、本名:佐山 晃子(さやま あきこ) 旧姓・生稲(いくいな))は、東京都小金井市出身の歌手、女優です。

生稲 晃子は、1986年6月に、「夕やけニャンニャン」内のオーディションコーナーを経て、1986年6月13日に「おニャン子クラブ」の会員番号40番としてデビューをします。

同年の10月に、渡辺満里奈のデビュー曲「深呼吸して」で、工藤静香と共に「with おニャン子クラブ」としてバックコーラスで参加。
 

「深呼吸して/渡辺満里奈」 - オリコン1位を獲得したデビュー曲|Super源さんの音楽ブログ


以前、渡辺満里奈の「カレンダー」をご紹介しました。 「カレンダー/渡辺満里奈」 - 管理人一押し! オリコン11位を記録した1989年のヒット曲|Super源さんの音楽ブログ今日は、渡


11月1日に、おニャン子クラブの6枚目のシングル「恋はくえすちょん」でフロント4人の中に入ります。

12月に、ローソンの「からあげクン」のCMに単独で出演。
おニャン子クラブ4枚目のアルバム『SIDE LINE』に収録されている「ハートに募金を」がBGMとして使用されます。

1987年になると、芸能活動を控え、「夕やけニャンニャン」にも約1ヶ月ほど出演せず、受験勉強に専念。

1987年4月に、恵泉女学園短期大学(英文学科)に入学し、受験を終えて芸能活動を再開。
復帰初日に、新ユニット「うしろ髪ひかれ隊」のメンバーに工藤静香・斉藤満喜子と共に抜擢され、既に決定事項としてプロジェクトが進んでいることを知らされて面食らいます。
が、自分の立場では断ることができず、成り行きに任せるしかなかったといいます。

1987年5月に、「うしろ髪ひかれ隊」は「時の河を越えて」でレコードデビュー。
同曲及びc/wは、アニメ「ハイスクール!奇面組」の主題歌とエンディング曲に起用されます。
そして、1987年5月18日付のオリコンシングルヒットチャートで初登場第1位を獲得。
音楽番組にも多く出演し、順風満帆なスタートを切ります。

今日は、そんな生稲 晃子の、「うしろ髪ひかれ隊」活動休止後の1989年5月24日に発売された「Japanese Girl(ジャパニーズ・ガール)」をどうぞ。
 
Japanese Girl(ジャパニーズ・ガール)/生稲晃子

この曲の歌詞はこちら

すだれ、祭り囃、浴衣、蛍、夜店…、と歌詞だけを読むと演歌になっていてもおかしくないような曲ですが、これがちゃんとポップスになっているところがスゴいですね。おお!(゚o゚)

生稲 晃子のエピソード

・中学時代は50m走を6.8秒で走るなど運動に自信があった生稲 晃子は、1980年代の中頃まで正月恒例の特番であった『オールスター紅白大運動会』の短距離走で、いつも活躍する石川秀美と競走してみたいと思っていました。
そしてこれが、レコードデビューをして芸能界に入りたかった理由のひとつとして挙げられています。
しかしながら、実際にレコードデビューを果たした時には、この形式の大運動会は企画が終了した直後だったため、石川秀美との競争は叶いませんでした。

・生稲 晃子は、前述の理由でレコードデビューしたいと思ってはいましたが、歌唱力には自信がなく、「うしろ髪の3人で一番ヘタなのが私なので、私のソロパートは必ず1番じゃなくて2番にあるんです。それだとTVで歌う時には(TVサイズでは2番は歌わないので)私はソロパートが無くても済むので」と語っていたくらいです。

・血液型は、生まれてから不明でしたが、1986年11月24日の日本テレビ『歌のトップテン』におニャン子クラブの一員として出演した際、血液検査されてB型と判明しました。

・アイドル時代には、「いくいな」にちなんで「1917」という表記がグッズなど様々な形で使われることがあり、1917年はロシア革命の年であるため、「生稲晃子がロシア革命」という語呂合わせも出てきました。


ゆうちゃん



おおっ!
生稲(1917)晃子がロシア革命

しんちゃん



これは覚えやすいね!
このゴロ合わせは『夕やけニャンニャン』でも紹介され、ドランクドラゴンのコントの中でも使用されています。

・「生稲」という苗字を正しく「いくいな」と読まれることが少なく、デビュー後も雑誌や記事などで、間違ったルビをつけられることが多かったといいます。


・ソロデビュー曲である「麦わらでダンス」の替え歌が、1988年にプロ野球の広島東洋カープに在籍していたランス、アレンの応援ソングに使われ、現在でも他のプロ野球選手や高校野球の応援で使われることもあります。
また、JリーグのFC東京の応援ソングにも、長年同曲の替え歌が使われていました。

・仲が良かったおニャン子メンバーとして、よく名前を挙げるのは立見里歌、永田ルリ子、白石麻子、高畠真紀などで、ほかには芸能界では島崎和歌子、小林千絵などと仲が良いと公言したことがあります。

「しあわせ芝居/桜田淳子」 - オリコン週間3位を記録したヒット曲

今日は、桜田淳子の「しあわせ芝居」のご紹介です。

しあわせ芝居 桜田淳子 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

桜田淳子(さくらだじゅんこ、1958年(昭和33年)4月14日 -)は、秋田県秋田市出身の元女優、歌手です。

桜田淳子は、1972年7月19日、中学2年生の時に、日本テレビの人気オーディション番組『スター誕生!』の秋田県民会館で行なわれたテレビ予選で、牧葉ユミの「見知らぬ世界」を歌い、番組史上最高得点となる573点で合格したのがデビューのきっかけです。

そして、その翌年の1973年2月25日には、ビクター音楽産業よりデビュー。
 

「天使も夢みる/桜田淳子」 - 12.1万枚を売上げたデビュー曲にしてヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


以前、桜田淳子の「白い風よ」をご紹介しましたが、今日は、「天使も夢みる」をご紹介したいと思います。 写真はこちらからお借りしました。桜田淳子(さくらだじゅんこ、1958年(昭和33年)4月1


2枚目のシングル「天使の初恋」まで歌う時に被っていたキャスケットも、同時に桜田淳子のトレードマークとなり、「エンジェルハット」と呼ばれて話題になります。

この時点で、既に人気アイドルの仲間入りを果たしていた桜田淳子ですが、その後、同じ『スター誕生!』出身で、同世代の森昌子・山口百恵と共に「花の中三トリオ」と呼ばれるようになり、この名称は、3年後の「高三トリオ」まで続きます。

そして、3枚目のシングル「わたしの青い鳥」のヒットで、「第15回日本レコード大賞新人賞」、「第4回日本歌謡大賞放送音楽新人賞」を受賞。
さらに、その年の大晦日には「第15回日本レコード大賞」の最優秀新人賞にも輝きます。

今日は、そんな桜田淳子の、1977年11月5日に発売された、通算21枚目のシングルである「しあわせ芝居」をどうぞ。
 
しあわせ芝居/桜田淳子

この曲の歌詞はこちら

どこからどう聴いても、中島みゆきの曲ですね。(^^)
中島みゆきのテイストが、この曲のいたるところに散りばめられていると思います。

こ曲は、シングル曲としてはシンガーソングライターの中島みゆきが初めて作詞・作曲を担当したもので、TBSテレビ『ザ・ベストテン』では第1回放送(1978年1月19日放送)に第3位で初登場し、その後、第4回(同年2月9日放送・第8位)まで4週間ランクインされました。

中島みゆきは、この曲と加藤登紀子への提供曲「この空を飛べたら」で、第20回日本レコード大賞西条八十賞(後の作詩賞)を受賞。
桜田淳子は、この曲で第20回日本レコード大賞金賞(大賞ノミネート)受賞。
『第29回NHK紅白歌合戦』に出場を果たしました。

この曲のオリコン順位は週間3位、1978年度年間44位を記録しています。

なおこの曲は、のちに以下のアーティストによってカバーされています。

・研ナオコ(1978年)- アルバム『NAOKO VS MIYUKI/研ナオコ、中島みゆきを歌う』に収録
・中島みゆき(1979年、セルフカバー)- アルバム『おかえりなさい』に収録
・岩崎良美(2013年) - アルバム『The Reborn Songs~シクラメン~』に収録

「I Can't Tell You Why(言いだせなくて)/The Eagles」 - ビルボード誌で8位を獲得したヒット曲!

今日は、The Eagles(イーグルス)のI Can't Tell You Why(言いだせなくて)のご紹介です。(^^)

言いだせなくて The Eagles イーグルス ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

The Eagles(イーグルス)は、1971年にデビューしたアメリカのロック・バンドです。
アメリカ西海岸を拠点に活動しながら世界的人気を誇るバンドで、トータルセールスは1億2000万枚を超えます。

The Eaglesの代表曲は、「テイク・イット・イージー」「ならず者」「呪われた夜」「ホテル・カリフォルニア」などで、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第75位となっています。

そんなイーグルス結成の先駆けとなったのは、1971年にリンダ・ロンシュタットのバックバンド(Linda Ronstadt & Her Band )編成のためにミュージシャンが集められた機会でした。
これに、グレン・フライ、ドン・ヘンリー、ランディ・マイズナー、バーニー・レドンの4名が顔を合わせ、後に、彼らは独立して1971年8月にバンドを結成することを思いたち、リンダ・ロンシュタットの所属していたレコード会社から「イーグルス」としてデビューすることとなります。

イーグルスのデビュー曲は、「テイク・イット・イージー」で、このシングルは1972年に発売されるやいなや、いきなりヒットを記録。
続いて発売された「魔女のささやき」も、全米ヒットとなります。

さて、今日はそんな彼らの、1980年に発売された「I Can't Tell You Why(言いだせなくて)」をどうぞ。
 
I Can't Tell You Why(言いだせなくて)/The Eagles(イーグルス)

この曲の歌詞はこちら

いい曲ですねー。(^o^)
シンプルながら、心に沁(し)みてくる曲です。
この曲のシングルは、ビルボード誌において8位を獲得しています。

なお、イーグルスの現在のメンバーは、以下の通りです。
・ドン・ヘンリー(Don Henley)
 vo, cho, ds担当 1947年7月22日 - 1971年から在籍 テキサス州ギルマー出身
・ジョー・ウォルシュ(Joe Walsh)
 vo, cho, g, key担当 1947年11月20日 - 1975年から在籍 カンザス州ウィチタ出身
・ティモシー・B・シュミット(Timothy B. Schmit)
 vo, cho, b担当 1947年10月30日 - 1978年から在籍 カリフォルニア州サクラメント出身

ちなみに、過去のメンバーは以下です。
・バーニー・レドン(Bernie Leadon)
 vo, cho, g, banjo, steel guitar, mandolin担当 1947年7月19日 - 1971年から1975年まで在籍 ミネソタ州ミネアポリス出身
・ランディ・マイズナー(Randy Meisner)
 vo, cho, b担当 1946年3月8日 - 1971年から1978年まで在籍 ネブラスカ州ブラフ郡スコッツブラフ出身
・ドン・フェルダー(Don Felder)
g , cho担当 1947年9月21日 - 1973年から2000年まで在籍 フロリダ州ゲインズ出身
・グレン・フライ(Glenn Frey)
 vo, cho, g, key担当 1948年11月6日 - 2016年1月18日 1971年から2016年まで在籍 ミシガン州デトロイト出身