Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「君と歩いた青春/風」 - 管理人一押し! アルバム『WINDLESS BLUE』に収録されている名曲

今日は、風の「君と歩いた青春」のご紹介です。
Today, I'd like to introduce you to Kaze's "Kimi to Aruita Seishun(The Youth Who Walked with You)".

ウィンドレス・ブルー 君と歩いた青春 風 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

「風」(かぜ)は、「かぐや姫」の伊勢正三(いせ しょうぞう)と、「」の大久保一久(おおくぼ かずひさ)によって、1975年に結成されたフォークデュオです。
代表曲には「海岸通」「あいつ」「あの唄はもう唄わないのですか」「北国列車」「古都」「ささやかなこの人生」「君と歩いた青春」「海風」「Bye Bye」などがあります。
"Kaze is a folk duo formed in 1975 by Shozo Ise (Kaguyahime) and Kazuhisa Okubo (Neko).
Their best-known songs include "Kaigan Dori," "Aitsu," "Ano Uta wa Mou Utawanai no desu ka," "Kitaguni Densha," "Koto," "Sasayaka na Kono Seishun," "Kimi to Aruita Seishun," "Umi Kaze," and "Bye Bye".
 

「あの唄はもう唄わないのですか/風」 - オリコン24位を記録した風の代表曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、風の「あの唄はもう唄わないのですか」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。風(かぜ)は、1975年に結成されたフォークデュオです。メンバーは、以下の2人です。・伊勢


「風」のデビュー曲は、「かぐや姫」解散2月前の1975年2月5日に発売されたシングル「22才の別れ」で、この曲はいきなり大ヒットとなりました。

この「風」というデュオ名は、伊勢正三が名づけたもので、これには「空気のように留まらず、音楽的に常に進化していくことを目指す」という意味が込められています。

さて、今日はそんな「風」の、1976年11月25日に発売された通算3枚目のアルバム『WINDLESS BLUE』(ウィンドレス・ブルー)の中から、「君と歩いた青春」をどうぞ。
Today, I would like to share with you "Kimi to Aruita Seishun" from their third album "WINDLESS BLUE" released on November 25, 1976.
 
君と歩いた青春/風

この曲の歌詞はこちら

いい曲ですね。(^^)
私は、この曲を聴くといつも、涙が出てきます。(・_・、) クスン
メロディーが、何か琴線に触れるんですよね。
It's a good tune. (^^)
When I listen to this tune, tears well up in my eyes.
The melody tugs at my heartstrings somehow.

詩の内容は、抜けがけをして彼女と都会へ出た主人公が、そこで彼女と一緒に暮らし始めるのですが、うまくいかず、彼女はまた田舎に帰っていく、といったものです。
まあ、失恋の歌ですね。

このアルバムには、「風」のそれまでの叙情的なフォーク・ロック路線から趣向を変え、ジャズ・フュージョンやソウル・ミュージックを基調としたシティ・ポップ色の作品が数多く収録されています。

サウンドのこの方向転換には、当時、伊勢正三が浸水、じゃなかった心酔(しんすい)していたスティーリー・ダンなどからの影響が色濃く反映されています。

水ニ 浸カッテ ドウスル!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

伊勢正三はこのアルバムについて、2000年に発売された「風」のCD2枚組のベスト盤『コンプリート・ベスト』のライナー・ノーツの中で、

「当時にしてみれば、フォーク・デュオにしては冒険的なアルバムだったが、今にしてみれば、曲の粒が揃った"風"の中では、最も完成度の高いものなのでは、と思う」

と述べています。

「WINDLESS BLUE」の収録曲

A面
1.「ほおづえをつく女」(Album version) 伊勢正三
2.「夜の国道」 大久保一久
3.「3号線を左に折れ」 伊勢正三
4.「旅の午後」 大久保一久
5.「通り雨」 伊勢正三

B面
6.「アフタヌーン通り25」 伊勢正三
7.「小さな手」 大久保一久
8.「地平線の見える街」 伊勢正三
9.「君と歩いた青春」 伊勢正三
10.「ふっと気がつきゃ」 大久保一久
11.「少しだけの荷物」

ちなみにこの曲は、その後太田裕美によってカバーされています。

「Japanese Girl(ジャパニーズ・ガール)/生稲 晃子」 - 「麦わらでダンス」でソロデビューした生稲晃子の1989年に発売されたシングル

今日は、生稲 晃子の「Japanese Girl」のご紹介です。

Japanese Girl ジャパニーズ・ガール 生稲晃子 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

生稲 晃子(いくいな あきこ、1968年4月28日 -)、本名:佐山 晃子(さやま あきこ) 旧姓・生稲(いくいな))は、東京都小金井市出身の歌手、女優です。

生稲 晃子は、1986年6月に、「夕やけニャンニャン」内のオーディションコーナーを経て、1986年6月13日に「おニャン子クラブ」の会員番号40番としてデビューをします。

同年の10月に、渡辺満里奈のデビュー曲「深呼吸して」で、工藤静香と共に「with おニャン子クラブ」としてバックコーラスで参加。
 

「深呼吸して/渡辺満里奈」 - オリコン1位を獲得したデビュー曲|Super源さんの音楽ブログ


以前、渡辺満里奈の「カレンダー」をご紹介しました。 「カレンダー/渡辺満里奈」 - 管理人一押し! オリコン11位を記録した1989年のヒット曲|Super源さんの音楽ブログ今日は、渡


11月1日に、おニャン子クラブの6枚目のシングル「恋はくえすちょん」でフロント4人の中に入ります。

12月に、ローソンの「からあげクン」のCMに単独で出演。
おニャン子クラブ4枚目のアルバム『SIDE LINE』に収録されている「ハートに募金を」がBGMとして使用されます。

1987年になると、芸能活動を控え、「夕やけニャンニャン」にも約1ヶ月ほど出演せず、受験勉強に専念。

1987年4月に、恵泉女学園短期大学(英文学科)に入学し、受験を終えて芸能活動を再開。
復帰初日に、新ユニット「うしろ髪ひかれ隊」のメンバーに工藤静香・斉藤満喜子と共に抜擢され、既に決定事項としてプロジェクトが進んでいることを知らされて面食らいます。
が、自分の立場では断ることができず、成り行きに任せるしかなかったといいます。

1987年5月に、「うしろ髪ひかれ隊」は「時の河を越えて」でレコードデビュー。
同曲及びc/wは、アニメ「ハイスクール!奇面組」の主題歌とエンディング曲に起用されます。
そして、1987年5月18日付のオリコンシングルヒットチャートで初登場第1位を獲得。
音楽番組にも多く出演し、順風満帆なスタートを切ります。

今日は、そんな生稲 晃子の、「うしろ髪ひかれ隊」活動休止後の1989年5月24日に発売された「Japanese Girl(ジャパニーズ・ガール)」をどうぞ。
 
Japanese Girl(ジャパニーズ・ガール)/生稲晃子

この曲の歌詞はこちら

すだれ、祭り囃、浴衣、蛍、夜店…、と歌詞だけを読むと演歌になっていてもおかしくないような曲ですが、これがちゃんとポップスになっているところがスゴいですね。おお!(゚o゚)

生稲 晃子のエピソード

・中学時代は50m走を6.8秒で走るなど運動に自信があった生稲 晃子は、1980年代の中頃まで正月恒例の特番であった『オールスター紅白大運動会』の短距離走で、いつも活躍する石川秀美と競走してみたいと思っていました。
そしてこれが、レコードデビューをして芸能界に入りたかった理由のひとつとして挙げられています。
しかしながら、実際にレコードデビューを果たした時には、この形式の大運動会は企画が終了した直後だったため、石川秀美との競争は叶いませんでした。

・生稲 晃子は、前述の理由でレコードデビューしたいと思ってはいましたが、歌唱力には自信がなく、「うしろ髪の3人で一番ヘタなのが私なので、私のソロパートは必ず1番じゃなくて2番にあるんです。それだとTVで歌う時には(TVサイズでは2番は歌わないので)私はソロパートが無くても済むので」と語っていたくらいです。

・血液型は、生まれてから不明でしたが、1986年11月24日の日本テレビ『歌のトップテン』におニャン子クラブの一員として出演した際、血液検査されてB型と判明しました。

・アイドル時代には、「いくいな」にちなんで「1917」という表記がグッズなど様々な形で使われることがあり、1917年はロシア革命の年であるため、「生稲晃子がロシア革命」という語呂合わせも出てきました。


ゆうちゃん



おおっ!
生稲(1917)晃子がロシア革命

しんちゃん



これは覚えやすいね!
このゴロ合わせは『夕やけニャンニャン』でも紹介され、ドランクドラゴンのコントの中でも使用されています。

・「生稲」という苗字を正しく「いくいな」と読まれることが少なく、デビュー後も雑誌や記事などで、間違ったルビをつけられることが多かったといいます。


・ソロデビュー曲である「麦わらでダンス」の替え歌が、1988年にプロ野球の広島東洋カープに在籍していたランス、アレンの応援ソングに使われ、現在でも他のプロ野球選手や高校野球の応援で使われることもあります。
また、JリーグのFC東京の応援ソングにも、長年同曲の替え歌が使われていました。

・仲が良かったおニャン子メンバーとして、よく名前を挙げるのは立見里歌、永田ルリ子、白石麻子、高畠真紀などで、ほかには芸能界では島崎和歌子、小林千絵などと仲が良いと公言したことがあります。

「しあわせ芝居/桜田淳子」 - オリコン週間3位を記録したヒット曲

今日は、桜田淳子の「しあわせ芝居」のご紹介です。

しあわせ芝居 桜田淳子 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

桜田淳子(さくらだじゅんこ、1958年(昭和33年)4月14日 -)は、秋田県秋田市出身の元女優、歌手です。

桜田淳子は、1972年7月19日、中学2年生の時に、日本テレビの人気オーディション番組『スター誕生!』の秋田県民会館で行なわれたテレビ予選で、牧葉ユミの「見知らぬ世界」を歌い、番組史上最高得点となる573点で合格したのがデビューのきっかけです。

そして、その翌年の1973年2月25日には、ビクター音楽産業よりデビュー。
 

「天使も夢みる/桜田淳子」 - 12.1万枚を売上げたデビュー曲にしてヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


以前、桜田淳子の「白い風よ」をご紹介しましたが、今日は、「天使も夢みる」をご紹介したいと思います。 写真はこちらからお借りしました。桜田淳子(さくらだじゅんこ、1958年(昭和33年)4月1


2枚目のシングル「天使の初恋」まで歌う時に被っていたキャスケットも、同時に桜田淳子のトレードマークとなり、「エンジェルハット」と呼ばれて話題になります。

この時点で、既に人気アイドルの仲間入りを果たしていた桜田淳子ですが、その後、同じ『スター誕生!』出身で、同世代の森昌子・山口百恵と共に「花の中三トリオ」と呼ばれるようになり、この名称は、3年後の「高三トリオ」まで続きます。

そして、3枚目のシングル「わたしの青い鳥」のヒットで、「第15回日本レコード大賞新人賞」、「第4回日本歌謡大賞放送音楽新人賞」を受賞。
さらに、その年の大晦日には「第15回日本レコード大賞」の最優秀新人賞にも輝きます。

今日は、そんな桜田淳子の、1977年11月5日に発売された、通算21枚目のシングルである「しあわせ芝居」をどうぞ。
 
しあわせ芝居/桜田淳子

この曲の歌詞はこちら

どこからどう聴いても、中島みゆきの曲ですね。(^^)
中島みゆきのテイストが、この曲のいたるところに散りばめられていると思います。

こ曲は、シングル曲としてはシンガーソングライターの中島みゆきが初めて作詞・作曲を担当したもので、TBSテレビ『ザ・ベストテン』では第1回放送(1978年1月19日放送)に第3位で初登場し、その後、第4回(同年2月9日放送・第8位)まで4週間ランクインされました。

中島みゆきは、この曲と加藤登紀子への提供曲「この空を飛べたら」で、第20回日本レコード大賞西条八十賞(後の作詩賞)を受賞。
桜田淳子は、この曲で第20回日本レコード大賞金賞(大賞ノミネート)受賞。
『第29回NHK紅白歌合戦』に出場を果たしました。

この曲のオリコン順位は週間3位、1978年度年間44位を記録しています。

なおこの曲は、のちに以下のアーティストによってカバーされています。

・研ナオコ(1978年)- アルバム『NAOKO VS MIYUKI/研ナオコ、中島みゆきを歌う』に収録
・中島みゆき(1979年、セルフカバー)- アルバム『おかえりなさい』に収録
・岩崎良美(2013年) - アルバム『The Reborn Songs~シクラメン~』に収録