Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「眠れぬ夜/オフコース」 - オリコン48位を記録したヒット曲 西城秀樹のカバー版も紹介!

以前、オフコースの「でももう花はいらない」をご紹介しました。

「でももう花はいらない/オフコース」 - 管理人一押し! 素朴な伴奏と美しいメロディが心に残る名曲!|Super源さんの音楽ブログ

今日は、1969年から1989年まで活動した日本の音楽グループオフコース(OFF COURSE)の、「でももう花はいらない」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。当時、一世を風靡し

今日は、もう一曲ご紹介したいと思います。

曲名は、「眠れぬ夜」です。

眠れぬ夜 オフコース ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

この曲は、1975年に発売された、通算7枚目のシングルで、作詞作曲ともに小田和正です。
私はこの曲を聴いて、彼らのファンになりました。

実はこの曲は、小田和正が最初に作ったときはバラード調の曲でした。
が、プロデューサーの武藤敏史によって、レコーディングの際にミディアム・テンポのロック調にの曲に変更されました。

作者の小田和正は、当時それがかなり不満だったようですが、結果的にこの変更が功を奏し、オフコースにとって初のスマッシュ・ヒットを記録。
その後、この「眠れぬ夜」は、オフコースのステージになくてはならない曲のひとつとなりました。

またこの曲はオリコンチャートにおいて、最高順位週間48位を記録しています。  ちなみに、この「眠れぬ夜」は、1980年に西城秀樹がカバーしています。
これがまたいいんです。

というわけで、今日はオリジナルと、西城秀樹のバージョンを両方ともどうぞ。( ^-^)/

眠れぬ夜/オフコース

 
眠れぬ夜/西城秀樹

眠れぬ夜 西城秀樹 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

この曲の歌詞はこちら

この曲は、西城秀樹など、さまざまな歌手にカバーされていますが、西城秀樹版は、約27万枚を売上げるヒットとなりました。

小田和正からファンに、西城秀樹のカバー版発売の事前通達が

西城秀樹のこの曲のカバー・シングル発売が決まった直後の1980年11月27日に、札幌道新ホールで行なわれた“オフコースの小さな部屋”で、小田和正が、

「ついでなんですが、西城秀樹君が『眠れぬ夜』をシングルにすることになって…」

と話し始めると、会場から「エェーッ!」という、非難ともとれる声が沸き起こりました。
が、小田は続けて、

「そういう、ファンの声も考慮に入れて僕が決断を下しました。で、出来上がったものを聴いたら、僕に遠慮してか、えらく地味になってました。ま、楽しみにしててください」

とコメントしていました。

「ランボルギーニが消えて/岩崎宏美」 - アルバム「思秋期から…男と女」に収録されている名曲

皆さん、こんにちは。( ^-^)/ハーイ!
ここは、「私の頭の中でぐるぐる回っている曲をご紹介するコーナー」です。
ン?(?_?)ソンナ コーナー アッタ カナ?(爆)

ということで(何が?)、今日は前置きなしで、早速曲をご紹介したいと思います。
「岩崎宏美」の「ランボルギーニが消えて」です。(^o^)/ ジャーン!

ランボルギーニが消えて 岩崎宏美 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

何故かこの曲が、ここ3日間私の頭の中でぐるぐる回ってました。(^o^)/ ジャジャーン!

ソウカイ?(^-~)(^^;)ナンカ キョウハ、ヘンニ モリ アゲヨウト スルネ。

それでは早速、「ランボルギーニが消えて」をどうぞ。
 
ランボルギーニが消えて/岩崎宏美

この曲の歌詞はこちら

ちなみにこの「ランボルギーニが消えて」は、1977年10月5日に発売されたアルバム、「思秋期から…男と女(ししゅうきから…おとことおんな)」に入っている曲です。

追記:2013年10月2日
この曲は、車のエンジン音のSEで始まるのですが、岩崎宏美本人の発したTwitterによれば、この音はランボルギーニのものではなく、ポルシェのものとのことです。

以下は、その「魚拓」です。
岩崎宏美bot(2013年3月8日 - 1:44)


ウンウン。(゚ー゚)(。_。)タマニハ、マエオキ ナシモ イイモノダ。
ソウカナ。(^-~)ヾ(^^;)ケッコウ ナガイ マエオキガ アッタト オモウケド。

エヘッ、エヘッ!(^O^)ヾ(^^)デモ、魚拓ヲ ノコス ナンテ、ヤル ジャナイ。チョン、チョン!

「襟裳岬(えりもみさき)/森進一」 - オリコン週間6位を記録したヒット曲! この曲のヒットでえりも町にこの歌の歌碑が

以前、森進一の「ゆらぎ」をご紹介しましたが、今日はもう一曲ご紹介したいと思います。

曲名は、「襟裳岬(えりもみさき)」です。

襟裳岬 えりもみさき 森進一 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

今日は、何故か一日中、この曲が私の頭の中をぐるぐると回っていました。(^^;

それでは早速、「森進一」の「襟裳岬」をどうぞ。
 
襟裳岬(えりもみさき)/森進一

この曲の歌詞はこちら

この曲は、オリコンチャートにおいて、週間6位、1974年度年間31位、1975年度年間77位を記録しています。

この曲は1974年に発売された、森進一の通算29枚目のシングルで、作詞は岡本おさみ、作曲は吉田拓郎です。
森進一は、この曲で同年の第16回日本レコード大賞と、第5回日本歌謡大賞の大賞をダブル受賞しました。

「襟裳岬」のヒットでえりも町にこの歌の歌碑が

この曲がヒットした当時、襟裳岬のあるえりも町の人々は、この曲のサビに登場する「襟裳の春は何もない春です」という歌詞に、「何もないとは何だ!」と反感をもつ人も少なくなく、渡辺プロや作詞者の岡本おさみ宅への抗議の電話もあったようです。
がやがて、襟裳の知名度アップに貢献してそういった感情もなくなり、森進一は、えりも町から感謝状を贈られました。

くわえて、1997年には、えりも町にこの歌の歌碑が建設され、その記念に同年の紅白でも歌唱されました。

襟裳岬にある歌碑
襟裳岬にある歌碑
写真は、こちらからお借りしました。

ちなみに襟裳岬は、風速10m以上の風が吹く日が年間290日もある日本屈指の強風地帯で、風極の地といわれています。

風極の地 襟裳岬
 風極の地 襟裳岬
写真は、こちらからお借りしました。