Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「バスストップ/ノースリーブス」 - 「キスの流星」に収録されている名曲

今日は、「ノースリーブス」の「バスストップ」のご紹介です。

バスストップ ノースリーブス ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

ノースリーブスは、AKB48旧チームAから選抜され結成した、秋元康プロデュースの3人組のアイドルユニットで、略称は「no3b」です。

ノースリーブスは、2008年11月26日(いい風呂の日)に「制服を脱いで秋葉原を飛び出す」をコンセプトにしてデビューします。

メンバーは、小嶋陽菜(こじまはるな)、高橋みなみ(たかはしみなみ)、峯岸みなみ(みねぎしみなみ)です。

メンバーは、3人ともプロダクション尾木に所属している他、3人とも1期生、ノースリーブス結成前からAKB48の公演楽曲「純愛のクレッシェンド」、「Bye Bye Bye」で、この3人がユニットを組んでいたという共通点があります。

2011年1月1日に発売された1stアルバム『ノースリーブス』で、初となるオリコンウィークリーチャート1位を記録します。

今日ご紹介する「バスストップ」は、2009年に発売された、通算3枚目のシングル「キスの流星」の2曲目に入っている曲で、作詞は秋元康 作曲は田中明仁です。

それでは早速、「バスストップ」をどうぞ。
 


Bus Stop/No Sleeves

この曲の歌詞はこちら

ちなみに、「ノースリーブス」の由来は、AKB48として活動している際は、制服が主な衣装になっていますが、制服を脱いで、ノースリーブに着替えてのデビューであったから。
ユニット名の候補には、他に「キャミ☆ソウル」、「マイナスA」などがありました。

「渚のアデリーヌ(Ballade pour Adeline)/リチャード・クレイダーマン(Richard Clayderman)」 - 2200万枚を売り上げたリチャード・クレイダーマンのデビュー曲!

以前、「リチャード・クレイダーマン」の「星空のピアニスト」をご紹介しましたが、今日はもう一曲ご紹介したいと思います。

曲名は、「渚のアデリーヌ(Ballade pour Adeline)」です。

渚のアデリーヌ リチャード・クレイダーマン ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

この曲は、1976年に発売された、リチャード・クレイダーマンのデビュー曲です。

それでは早速、「渚のアデリーヌ」をどうぞ。
 
渚のアデリーヌ(Ballade pour Adeline)/リチャード・クレイダーマン(Richard Clayderman)」

この曲は、1976年に発表されました。
レコードは、38か国で発売され、2200万枚を売り上げる大ヒット曲となりました。

日本では、1978年にビクター音楽産業がこの曲を「渚のアデリーヌ」に改題して初めて発売し、1枚目のアルバム『星空のピアニスト』に収録されました。
現在では、数多くのアルバムに収録されています。

この曲は、トランペット奏者ジャン・クロード・ボレリーも演奏しており、日本でも「アデリーヌの詩」という邦題(フランス語の原題は同じ)で紹介されています。

現在の日本では、「曲は良く聞くがタイトルや作者は分からない」というほどポピュラーな曲となっており、中には数世紀前に作曲されたクラシックであると勘違いしている人も多くなっています。
実際には現代音楽であり、アンドレ・ギャニオンの曲などと並び、イージーリスニングに分類される楽曲です。

「眠れぬ夜/オフコース」 - オリコン48位を記録したヒット曲 西城秀樹のカバー版も紹介!

以前、オフコースの「でももう花はいらない」をご紹介しました。

「でももう花はいらない/オフコース」 - 管理人一押し! 素朴な伴奏と美しいメロディが心に残る名曲!|Super源さんの音楽ブログ

今日は、1969年から1989年まで活動した日本の音楽グループオフコース(OFF COURSE)の、「でももう花はいらない」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。当時、一世を風靡し

今日は、もう一曲ご紹介したいと思います。

曲名は、「眠れぬ夜」です。

眠れぬ夜 オフコース ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

この曲は、1975年に発売された、通算7枚目のシングルで、作詞作曲ともに小田和正です。
私はこの曲を聴いて、彼らのファンになりました。

実はこの曲は、小田和正が最初に作ったときはバラード調の曲でした。
が、プロデューサーの武藤敏史によって、レコーディングの際にミディアム・テンポのロック調にの曲に変更されました。

作者の小田和正は、当時それがかなり不満だったようですが、結果的にこの変更が功を奏し、オフコースにとって初のスマッシュ・ヒットを記録。
その後、この「眠れぬ夜」は、オフコースのステージになくてはならない曲のひとつとなりました。

またこの曲はオリコンチャートにおいて、最高順位週間48位を記録しています。  ちなみに、この「眠れぬ夜」は、1980年に西城秀樹がカバーしています。
これがまたいいんです。

というわけで、今日はオリジナルと、西城秀樹のバージョンを両方ともどうぞ。( ^-^)/

眠れぬ夜/オフコース

 
眠れぬ夜/西城秀樹

眠れぬ夜 西城秀樹 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

この曲の歌詞はこちら

この曲は、西城秀樹など、さまざまな歌手にカバーされていますが、西城秀樹版は、約27万枚を売上げるヒットとなりました。

小田和正からファンに、西城秀樹のカバー版発売の事前通達が

西城秀樹のこの曲のカバー・シングル発売が決まった直後の1980年11月27日に、札幌道新ホールで行なわれた“オフコースの小さな部屋”で、小田和正が、

「ついでなんですが、西城秀樹君が『眠れぬ夜』をシングルにすることになって…」

と話し始めると、会場から「エェーッ!」という、非難ともとれる声が沸き起こりました。
が、小田は続けて、

「そういう、ファンの声も考慮に入れて僕が決断を下しました。で、出来上がったものを聴いたら、僕に遠慮してか、えらく地味になってました。ま、楽しみにしててください」

とコメントしていました。