Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「親愛なる人へ/沢田聖子」 - 村下孝蔵を偲んで沢田聖子が初めて作詞・作曲した曲

以前、沢田聖子の「あなたからF.O.」をご紹介しましたが、今日はもう一曲ご紹介したいと思います。

曲名は「親愛なる人へ」です。


写真はこちらからお借りしました。

この曲は、1999年に村下孝蔵が他界したのを機に、本格的にギターを手にするようになった沢田聖子が、村下孝蔵を偲んで初めてギターで作詞・作曲した曲で、2001年に発売されたアルバム『祈り』の1曲目に収録されている曲です。

それでは早速「親愛なる人へ」をどうぞ。( ^-^)/
 
親愛なる人へ/沢田聖子

「ワンダフル・モーメント/松崎しげる」 - 「トリビアの泉」で松崎しげる色を再現

以前、松崎しげるの「愛のメモリー」をご紹介しましたが、今日はもう一曲ご紹介したいと思います。

曲名は、「ワンダフル・モーメント」です。


写真は、こちらからお借りしました。

それでは、早速お聴きください。( ^-^)/
ワンダフル・モーメント/松崎しげる

いいですねー。(^O^)/
今聞いても、とても素敵な曲です。

「トリビアの泉」で松崎しげる色を再現!

そうそう、松崎しげると言えば、以前フジテレビの「トリビアの泉」で、松崎しげる本人の肌の色を、分光放射輝度計を使って再現し、この色を「松崎しげる色」と命名していました。

そして、同番組内のコーナー「トリビアの種」では、なんと、松崎しげるの肌の色を絵具で作る場合、どの色の絵具をどの割合で混ぜれば良いかを検証。
その結果、朱色45%、黄色が25%、白16%、緑14%の割合で混ぜれば作れることを発見しました。

そればかりでなく、こうして完成した色を、サクラクレパスが「まつざきしげるいろ」と名づけ、10セット製作していました。

「リバーサイドホテル/井上陽水」 - 「カンドレ・マンドレ」でデビューした井上陽水の、オリコン11位を記録した1982年のヒット曲!

今日は、「井上陽水」の「リバーサイドホテル」のご紹介です。

リバーサイドホテル 井上陽水 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

井上陽水(いのうえ ようすい、本名:井上陽水(いのうえ あきみ)、1948年8月30日 -)は、福岡県嘉穂郡幸袋町(現・飯塚市幸袋地区)出身のシンガーソングライターです。

井上陽水は、1969年に「カンドレ・マンドレ」でデビュー。デビュー当時は、あまり注目されませんでしたが、その後「人生が二度あれば」(1972年3月1日)、「傘がない」(1972年7月1日)、「夢の中へ」(1973年)、「心もよう」(1973年)と次々とヒットを飛ばしていきます。

1970年代には吉田拓郎と双璧をなし、フォークソング界あるいはニューミュージック界を牽引していきます。

1973年に発売された「氷の世界」は、アルバムとして日本市場で初のミリオンセラーを記録、その後も「9.5カラット(1984年)」が売り上げ100万枚、1999年のベストアルバム『GOLDEN BEST』は売り上げ200万枚を達成するなど、日本ポピュラーミュージック界の最重要人物の一人として活躍し続けています。

今日ご紹介する「リバーサイドホテル」は、1982年に発売された、通算21目のシングルです。

それでは早速、「リバーサイドホテル」をどうそ。

リバーサイドホテル/井上陽水

この曲の歌詞はこちら

この曲は、オリコンチャートにおいて、最高順位11位を記録するヒットとなります。

なお、嘉門達夫はこの曲からヒント得て、「温泉はリバーサイド」(アルバム「リゾート計画」収録)を発表。
「リバーサイド・ホテル」のイントロのギターカッティングを同じにしているほか、間奏のセリフでは井上がCMで発した「お元気ですか?」のフレーズを挿入しています。


PS 以前、「食品添加物の歌」というタイトルで記事を書いたところ、一時かなりのアクセスがありました。

添加物は、日本の食品業界・外食産業を裏から支える、影武者のようなものなので、これが話題になるということはまずないと思いますが、意外と気にしてらっしゃる方が多いのかも知れませんね。
(゚ー゚)(。_。)ウンウン←(^^;ヒトリデ ナットク シテル。

それでは…、今度は「放射能の歌」とか、「地震の歌」とかいうタイトルで記事を書いてみようかな。
o(^-^)oヾ(^^;)オイオイ