Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「SAKASAMA/少女隊」 - 「FOREVER〜ギンガムチェックstory〜」でデビューした少女隊の1987に発売された曲

今日は、少女隊の「SAKASAMA」のご紹介です。

SAKASAMA 少女隊 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

少女隊(しょうじょたい・Shohjo-tai)は1980年代に活躍した、女性アイドルグループです。

1983年にオーディションでミホ(藍田美豊)、レイコ(安原麗子)、チーコ(市川三恵子)の3人が選ばれ、少女隊を結成します。そして、1984年、「FOREVER~ギンガムチェックstory~」でデビューします。

少女隊は、デビュー1周年の1985年8月、メンバーの一人であるチーコが椎間板ヘルニアにより脱退し、新メンバー、トモ(引田智子 ※初代引田天功の娘)が加入します。

最初の数年は、販売戦略の失敗や不運が続いたこともあり、あまり売れませんでしたが、1985年からおニャン子クラブの仕掛け人、秋元康と手を組み、3枚目のシングル「素直になってダーリン」を発表。この曲で、少女隊は「ザ・トップテン」に初ランクインします。
そして、TBSのドラマ「夏・体験物語」の挿入曲「Bye-Byeガール」でザ・ベストテンにランクインするなど、以降7枚目のシングル「もっとチャールストン」までヒット曲を連発します。

今日ご紹介する「SAKASAMA」は、1987に発売された曲で、作詞は秋元康、作曲は中原めいこです。

それでは早速、「SAKASAMA」をどうぞ。
 
SAKASAMA/少女隊

この曲の歌詞はこちら

少女隊は、デビュー初期からアジア向けマーケティングを展開したアイドルグループ

「少女隊」はデビュー初期から、当時としては異例の、アジア向けのマーケティングを展開したアイドルグループで、後期には日本よりアジア各国での人気が高まりました。

1985年には香港の映画にも出演、1986年と1987年には東南アジアツアーを成功させるなど、香港、タイ、シンガポール、マレーシアなどのアジア各国で人気を誇りました。

1988年には、ソウルオリンピックのイメージソング「Korea」を歌い、韓国でも大ブレイク。1988年8月18日には、日本語の曲が禁止されていた韓国で、戦後初めて放送で日本語で歌います。

その影響を受け、韓国でも「セトレ」という3人組の女性アイドルグループがデビュー。台湾でも、同じ少女隊というビビアン・スーが在籍していた女性アイドルグループがデビューします。

いやはや。これはまさに「少女隊旋風」ですね!おお!(゚o゚)

少女隊のその後

少女隊は1989年に解散し、メンバーは、それぞれソロで活動していくことになります。
4人共女優・声優等で活動しましたが、ミホとトモは引退しています。

1999年に、レイコ、チーコ、トモの3人で1999少女隊として再結成。デビュー曲である「Forever」をセルフカバーします。
当初は、ミホも参加して4人で歌う予定でしたが、妊娠していたため不参加となったといいます。

2016年8月24日に、今まで未CD化だった全音源をCD化したベスト盤『少女隊 Complete Singles Forever 1984-1999』を発売。このCDで、少女隊は約25年ぶりに、オリコン週間チャート75位に初登場し、トップ100位入りを果たします。

2016年11月18日には、渋谷duoで行nわれたSUEMITSU & THE SUEMITHのライブにゲストとして少女隊オリジナルメンバー4人が勢ぞろいし、「Forever」と「Shooting Star We Are(SUEMITSU & THE SUEMITHのアルバム『Bagatelles』にfeat.少女隊として収録された新曲)」を披露しています。

「LOVE PHANTOM/Bz(ビーズ)」 - オリコン1位を記録した1995年のヒット曲! バンド名の由来も紹介

今日は、Bz(ビーズ)の「LOVE PHANTOM(ラブ・ファントム)」のご紹介です。

LOVE PHANTOM Bz ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

ええと…。(^・^)
Bzは、超メジャーなバンドで、活動期間も長く、おそらくご存知のない方はいらっしゃらないのではないかと思われますので、今日は曲のご紹介のみにとどめたいと思います。

それでは早速「LOVE PHANTOM」をどうぞ。( ^-^)/

ドウ、イイ 趣味 デショ?(^-~)ヾ(^^;)ネエネエ、ソレヨリ、コレッテ、タダノ テヌキジャ…。
 
LOVE PHANTOM/Bz(ビーズ)

この曲の歌詞はこちら

といいながら、ちょこっと解説。(^^;

この曲は、1995年10月11日に18作目のシングルとして発売されたもので、チャート最高順位は以下の通りです。

1.週間1位 (オリコン)
2.1995年10月度月間1位 (オリコン)
3.1995年11月度月間5位 (オリコン)
4.1995年12月度月間17位 (オリコン)
5.1995年度年間10位 (オリコン)
6.1996年度年間109位 (オリコン)
7.オリコン歴代シングルランキング32位

「LOVE PHANTOM」のジャケットは、「ドラキュラ」などの映画からインスピレーションを得たもの

この曲のジャケット写真は、アップで撮影された目の中にメンバーが映っているというデザインで、これは、「インタビュー・ウィズ・バンパイア」や「ドラキュラ」などの映画からインスピレーションを得たメンバーからの、「ビジュアルの世界観からロゴも含めてイメージを膨らませてほしい」という意向を反映させたものとなっています。

また、CDジャケット及びCDラベルの「LOVE PHANTOM」の"T"の表記は、十字架(♰)となっています。

「B'z」というバンド名の由来は?

「B'z」というバンド名について、メンバーはインタビューなどで「深い意味はない」としています。
これまで、B'zの2人が説明している名前の由来は、一貫していません。
例えば、以下のように説明されています。

1.「英語のアルファベットの最初の文字Aと最後の文字Zを使って、「AからZのすべてをカバーする」という意味を込めて「A'z」(アズ)とする予定だったが、「A'z≒エイズ(AIDS)」と読まれる可能性があったため、別の案を検討した結果、「Aの次はBだろう」という理由で「B'z」となった

2.「B」から始まる名前は力強いバンドが多く、「B'zだと憶えやすそう」という意見もあり、「B'z」となった

3.「ビートルズ(The Beatles)の"B"と、レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)の"Z"」を合わせてB'z」となった。

この件に関して、ビーイング創業者である長戸大幸は、当時は「JT」や「JR」などのネーミングが世の中に出てきた頃だったため、当初は「A'z」(アズ)にしようとしましたが、同時期にロート製薬の「AtoZ」がテレビCMで頻繁に流れていたため、周囲から「ロート製薬からとったでしょ」と言われるようになり、「A'z」でのテスト盤をすべて止めて「B'z」にしたと述べています

ちなみにこの曲は、1995年に発売された、彼らの18枚目のシングルです。

「酒と泪と男と女」 - 「黄桜酒造(現:黄桜)」のCMソングとして使われた河島英五の代表曲

今日は、河島 英五の「酒と泪と男と女(さけとなみだとおとことおんな)」のご紹介です。

酒と泪と男と女 川島英五 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

河島 英五(かわしま えいご、1952年4月23日 - 2001年4月16日)は大阪府東大阪市出身のシンガーソングライター、俳優です。長女・河島あみるは歌手・タレントで、次女・河島亜奈睦(アナム&マキ)、長男・翔馬は歌手です。

アコースティックギター一本で、驚くほどパワフルな音量と大声で、大男が汗まみれになって虚飾の無い歌詞を、男くさく唱いあげる彼の姿は、聴衆の心にストレートに響き、深い感動を与えます。

一本気で豪快でありながら、それでいて繊細で優しい人柄と生き方をあわせもった河島英五の作品は誰からも愛され、年代を超えて「男が憧れる男」として同時代を生きた人々の記憶に刻み込まれています。

代表曲は、1976年に発表された「酒と泪と男と女」で、この曲は河島英五自身の作詞・作曲によるものです。

今日はこの、河島英五の代表曲である「酒と泪と男と女」をどうぞ。
 
酒と泪と男と女/川島英五

この曲の歌詞はこちら

「♪のーんで のんでー のまれて のんでー♪」の歌詞の部分が、いつまでも心に残る名曲ですね。(^-')

この曲は、1976年6月25日に発売された、河島英五とホモ・サピエンスのデビューアルバム『人類』に収録された曲です。
同年にシングルカットされ(『てんびんばかり』のB面)、翌1976年には河島英五のソロ名義でシングルとして発売されました。

また英語、じゃなかった英五のこの曲は、京都・伏見の清酒メーカー・「黄桜酒造(現:黄桜)」のCMソングとして使われると全国的にヒットし、河島自身も全国的に名が知れわたることになります。