Super源さんの音楽ブログ

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「夏休み/吉田拓郎」 - シングル「風をみたか」のB面に収録されている名曲! 「夏休み」に関する都市伝説は本当? また、「吉田拓郎死亡説」の真偽は?

以前、吉田拓郎の「カンパリソーダとフライドポテト」をご紹介しました。
 

「カンパリソーダとフライドポテト/吉田拓郎」 - アルバム『大いなる人』からシングルカットされた名曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、吉田拓郎の「カンパリソーダとフライドポテト」のご紹介です。写真はこちらからお借りしました。 吉田 拓郎(よしだ たくろう、1946年4月5日 - )は、鹿児島県大口市生まれのシンガーソ


今日は、もう一曲ご紹介したいと思います。

曲名は、「夏休み」です。リンク

夏休み
写真はこちらからお借りしました。

この曲は、1985年に発売されたシングル「風をみたか」のB面に入っている曲で、作詞・作曲ともに吉田拓郎自身です。

それでは早速、「夏休み」をどうぞ。( ^-^)/
 
夏休み/吉田拓郎

「夏休み」にはさまざまなバージョンが

この曲のオリジナルは、1971年に発売された『よしだたくろう オン・ステージ』に収録されています。
その後、さまざまなバージョンが、同じくアルバム収録曲として発売されています。
1989年には、シングル盤としても発売されています。

「夏休み」に関する都市伝説は本当?

「夏休み」は、ヒロシマ原爆投下に対するメッセージソングだという都市伝説があります。
しかしながら、吉田拓郎はオフィシャルサイトで以下のように強く否定しています。
 
「ただひたすらに子供だった時代の懐かしい夏の風景を描いた絵日記なのである。実在した鹿児島時代の"姉さん先生"も広島時代によく"トンボ獲り"で遊んだ夏もすべてが僕を育ててくれた"夏休み"なのだ」「反戦歌などでは断じて!ない!」
 
歌詞中に出てくる「姉さん先生」は、吉田拓郎が谷山町立谷山小学校(現在の鹿児島市立谷山小学校)に在籍していた当時、担任だった宮崎静子先生がモデルとなっています。

なおこの曲は、2019年10月からは、吉田拓郎が幼少期に過ごした谷山にある指宿枕崎線谷山駅の到着メロディとして流されています。

「吉田拓郎死亡説」の真偽は?

吉田拓郎はこれまで、のどや肺にがんを患ってきました。
2003年に肺がん、2014年には喉頭(こうとう)がん。
2003年の肺がんでは、肺の1/3を切除する手術を受けました。

その後しばらくはがんの再発もなく、安定した音楽生活を送っていました。
が、2014年に、今後はのどに白板症という異物が見つかり、これを取り除くため、手術をうけました。

そして、見事病気から復活した吉田拓郎は、2016年にステージに復帰。
その後大きな病気にかかることはなく、現在も音楽活動を続けています。

しかしながら現在、吉田拓郎は目立ったメディア露出がなく、テレビ番組にはあまり出演しません。

2003年に肺がんを患い、その手術を受けるために一時活動休止したことや、2009年の全国ツアーを慢性気管支炎で中止したこと、さらには、2014年にのどにがんを患ったことなどが重なってメディア出演がさらに減ったことなども合わさって、吉田拓郎死亡説や訃報の噂が浮上するようになったのです。

「SAKASAMA/少女隊」 - 「FOREVER〜ギンガムチェックstory〜」でデビューした少女隊の1987に発売された曲

今日は、少女隊の「SAKASAMA」のご紹介です。

SAKASAMA 少女隊 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

少女隊(しょうじょたい・Shohjo-tai)は1980年代に活躍した、女性アイドルグループです。

1983年にオーディションでミホ(藍田美豊)、レイコ(安原麗子)、チーコ(市川三恵子)の3人が選ばれ、少女隊を結成します。そして、1984年、「FOREVER~ギンガムチェックstory~」でデビューします。

少女隊は、デビュー1周年の1985年8月、メンバーの一人であるチーコが椎間板ヘルニアにより脱退し、新メンバー、トモ(引田智子 ※初代引田天功の娘)が加入します。

最初の数年は、販売戦略の失敗や不運が続いたこともあり、あまり売れませんでしたが、1985年からおニャン子クラブの仕掛け人、秋元康と手を組み、3枚目のシングル「素直になってダーリン」を発表。この曲で、少女隊は「ザ・トップテン」に初ランクインします。
そして、TBSのドラマ「夏・体験物語」の挿入曲「Bye-Byeガール」でザ・ベストテンにランクインするなど、以降7枚目のシングル「もっとチャールストン」までヒット曲を連発します。

今日ご紹介する「SAKASAMA」は、1987に発売された曲で、作詞は秋元康、作曲は中原めいこです。

それでは早速、「SAKASAMA」をどうぞ。
 
SAKASAMA/少女隊

この曲の歌詞はこちら

少女隊は、デビュー初期からアジア向けマーケティングを展開したアイドルグループ

「少女隊」はデビュー初期から、当時としては異例の、アジア向けのマーケティングを展開したアイドルグループで、後期には日本よりアジア各国での人気が高まりました。

1985年には香港の映画にも出演、1986年と1987年には東南アジアツアーを成功させるなど、香港、タイ、シンガポール、マレーシアなどのアジア各国で人気を誇りました。

1988年には、ソウルオリンピックのイメージソング「Korea」を歌い、韓国でも大ブレイク。1988年8月18日には、日本語の曲が禁止されていた韓国で、戦後初めて放送で日本語で歌います。

その影響を受け、韓国でも「セトレ」という3人組の女性アイドルグループがデビュー。台湾でも、同じ少女隊というビビアン・スーが在籍していた女性アイドルグループがデビューします。

いやはや。これはまさに「少女隊旋風」ですね!おお!(゚o゚)

少女隊のその後

少女隊は1989年に解散し、メンバーは、それぞれソロで活動していくことになります。
4人共女優・声優等で活動しましたが、ミホとトモは引退しています。

1999年に、レイコ、チーコ、トモの3人で1999少女隊として再結成。デビュー曲である「Forever」をセルフカバーします。
当初は、ミホも参加して4人で歌う予定でしたが、妊娠していたため不参加となったといいます。

2016年8月24日に、今まで未CD化だった全音源をCD化したベスト盤『少女隊 Complete Singles Forever 1984-1999』を発売。このCDで、少女隊は約25年ぶりに、オリコン週間チャート75位に初登場し、トップ100位入りを果たします。

2016年11月18日には、渋谷duoで行nわれたSUEMITSU & THE SUEMITHのライブにゲストとして少女隊オリジナルメンバー4人が勢ぞろいし、「Forever」と「Shooting Star We Are(SUEMITSU & THE SUEMITHのアルバム『Bagatelles』にfeat.少女隊として収録された新曲)」を披露しています。

「LOVE PHANTOM/Bz(ビーズ)」 - オリコン1位を記録した1995年のヒット曲! バンド名の由来も紹介

今日は、Bz(ビーズ)の「LOVE PHANTOM(ラブ・ファントム)」のご紹介です。

LOVE PHANTOM Bz ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

ええと…。(^・^)
Bzは、超メジャーなバンドで、活動期間も長く、おそらくご存知のない方はいらっしゃらないのではないかと思われますので、今日は曲のご紹介のみにとどめたいと思います。

それでは早速「LOVE PHANTOM」をどうぞ。( ^-^)/

ドウ、イイ 趣味 デショ?(^-~)ヾ(^^;)ネエネエ、ソレヨリ、コレッテ、タダノ テヌキジャ…。
 
LOVE PHANTOM/Bz(ビーズ)

この曲の歌詞はこちら

といいながら、ちょこっと解説。(^^;

この曲は、1995年10月11日に18作目のシングルとして発売されたもので、チャート最高順位は以下の通りです。

1.週間1位 (オリコン)
2.1995年10月度月間1位 (オリコン)
3.1995年11月度月間5位 (オリコン)
4.1995年12月度月間17位 (オリコン)
5.1995年度年間10位 (オリコン)
6.1996年度年間109位 (オリコン)
7.オリコン歴代シングルランキング32位

「LOVE PHANTOM」のジャケットは、「ドラキュラ」などの映画からインスピレーションを得たもの

この曲のジャケット写真は、アップで撮影された目の中にメンバーが映っているというデザインで、これは、「インタビュー・ウィズ・バンパイア」や「ドラキュラ」などの映画からインスピレーションを得たメンバーからの、「ビジュアルの世界観からロゴも含めてイメージを膨らませてほしい」という意向を反映させたものとなっています。

また、CDジャケット及びCDラベルの「LOVE PHANTOM」の"T"の表記は、十字架(♰)となっています。

「B'z」というバンド名の由来は?

「B'z」というバンド名について、メンバーはインタビューなどで「深い意味はない」としています。
これまで、B'zの2人が説明している名前の由来は、一貫していません。
例えば、以下のように説明されています。

1.「英語のアルファベットの最初の文字Aと最後の文字Zを使って、「AからZのすべてをカバーする」という意味を込めて「A'z」(アズ)とする予定だったが、「A'z≒エイズ(AIDS)」と読まれる可能性があったため、別の案を検討した結果、「Aの次はBだろう」という理由で「B'z」となった

2.「B」から始まる名前は力強いバンドが多く、「B'zだと憶えやすそう」という意見もあり、「B'z」となった

3.「ビートルズ(The Beatles)の"B"と、レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)の"Z"」を合わせてB'z」となった。

この件に関して、ビーイング創業者である長戸大幸は、当時は「JT」や「JR」などのネーミングが世の中に出てきた頃だったため、当初は「A'z」(アズ)にしようとしましたが、同時期にロート製薬の「AtoZ」がテレビCMで頻繁に流れていたため、周囲から「ロート製薬からとったでしょ」と言われるようになり、「A'z」でのテスト盤をすべて止めて「B'z」にしたと述べています

ちなみにこの曲は、1995年に発売された、彼らの18枚目のシングルです。