Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「ミッドナイト・モ-ション(Midnight Motion)」 - 名曲のご紹介

今日は、ケニー・Gの「ミッドナイト・モ-ション」のご紹介です。

ケニー・G(Kenny G、正式名 Kenneth Gorelick、1956年6月5日 -)は、アメリカのワシントン州シアトル生まれのサックスミュージシャンです。
スムースジャズ/フュージョンでのソプラノサックス奏者として有名で、ライブ等ではアルトサックスやテナーサックスなどを演奏することもあります。

ケニー・Gは、高校時代、学生バンドを経て1976年にバリー・ホワイトのバックバンドに参加してプロ活動を開始します。
そして、1981年、ケニーGの名でソロデビューをします。

その6年後の1987年、「Duotones(デュオトーンズ)」からシングルカットされた「Songbird(ソングバード)」がビルボードのポップチャートで4位を記録。1994年には、"Forever In Love(フォーエバー・イン・ラブ)" でグラミー賞インストゥルメンタル部門の最優秀作曲賞を受賞。
さらに、1999年には、「累計アルバム売上枚数の最も多いジャズ・アーティスト」として、ギネスブックにも登録されています。
リンク集
今日は、そんな彼の曲の中から、「ミッドナイト・モ-ション(Midnight Motion)」をどうぞ。


Midnight Motion/Kenny G

「浪漫飛行/米米CLUB」 - 1990年JAL沖縄旅行「JAL STORY 夏離宮キャンペーン」CMソング 「米米CLUB」の名前の由来は?

今日は、米粉、じゃなかった、米米CLUBの「浪漫飛行」のご紹介です。

浪漫飛行 米米CLUB ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

米米CLUB(こめこめクラブ、英: Kome Kome Club)は、1982年、文化学院の学生だった石井竜也と小野田安秀、大久保謙作、得能律郎らが中心となり結成された音楽バンドで、1985年10月にレコードデビューをします。
略称は、米(こめこめ)、K2Cなどです。

メンバーは、以下の通りです。

 カールスモーキー石井(メインボーカル・司会・コーラス)
 ジェームス小野田(ボーカル)
 BON(ベース)
 ジョプリン得能(ギター・キーボード)
 フラッシュ金子(サックス・キーボード)
 MARI(ダンス・パーカッション)
 MINAKO(ダンス)
 Be(ギター)
 RYO-J(ドラムス)

音楽的には、ファンク、ニュー・ロマンティック、落語、ロック、歌謡曲、フォークなど、雑多な要素を融合したもので、特に江戸落語の影響を強く受けた石井竜也のステージングが、バンドの個性となっています。

デビューから4年後の1988年には、シングル『KOME KOME WAR』、アルバム『GO FUNK』が、そして1989年にはシングル『FUNK FUJIYAMA』、アルバム『5 1/2』が売上ランキング上位に入り、1990年、JALのCMソングに使用された『浪漫飛行』がミリオンセラーとなります。

前置きが長くなりましたが、今日は彼らの発売したたくさんの曲の中から、1990年4月8日に10枚目のシングルとして発売された、「浪漫飛行」をどうぞ。
 
米米CLUB 浪漫飛行 投稿者 msn98y


この曲の歌詞はこちら

この曲は、1987年発売された3枚目のアルバム『KOMEGUNY』の3曲目に収録されていた曲で、表記はありませんが、ギタリストのCharも参加しています。

またこの曲は、制作当時から「航空会社のCMソングとしてオファーが来ないか」と狙って作ったもので、発売から3年後、狙い通り、1990年JALの沖縄旅行「JAL STORY 夏離宮キャンペーン」のCMソング(本人出演)に起用されました。


なおこの曲の発売当時は、CDのJANコード毎に売上枚数を算出したため、オリコンでは2種類それぞれ個別にランクインする珍しい事態となり、「東日本版」はオリコン1位を獲得し、米米CLUBにとって初のシングル1位を獲得します。

累計売上は約170万枚(オリコンでは約100万枚)となっています。

「米米CLUB」のバンド名の由来は?

ちなみに、「米米CLUB」というバンド名は、当時ニューヨークを拠点に活動していた人気バンド「トム・トム・クラブ」を、小野田が「コメコメクラブ」と言い間違えたことに周りが大ウケし、「そんなバンドあったら面白いよな」と言い合ったのが発端と言われています。

「夢をあきらめないで/岡村孝子」 - 「待つわ」で歌手デビューし、ソロに転向した岡村孝子の代表曲

以前、岡村孝子の「虹を追いかけて」をご紹介しました。
 

「虹を追いかけて/岡村孝子」 - 「夢をあきらめないで」で幅広い層から支持を集めた岡村孝子の、アルバム「Eau Du Ciel 」に収録された管理人の一押し曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、岡村孝子の1989年のヒット曲、「虹を追いかけて」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。 岡村孝子は、椙山女学園大学在学中に同級生・加藤晴子とともにデュオ「あみん」を結成


今日は、もう一曲ご紹介したいと思います。

曲名は「夢をあきらめないで」です。

夢をあきらめないで 岡村孝子 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

この曲は、1987年に発売された通算5枚目のシングルで、作詞・作曲は、ともに岡村孝子です。

それでは早速、「夢をあきらめないで」をどうぞ。
 
 

この曲は、1982年に "あみん" として「待つわ」で歌手デビューを果たし、1985年にソロ歌手に転向した岡村孝子の代表曲のひとつです。

アルバム『Andantino a tempo』と同時発売され、このアルバムにもB面曲とともに収録されています。

岡村孝子はこの曲について、

「ただの失恋ソングのつもりで作りました」

とインタビューで語っていますが、流行りすたりのない言葉で綴られた歌詞は、その後本人の意図する解釈を超えて、スタンダード・ナンバーへと成長していきます。

岡村孝子はさらに、

「この曲を『応援歌』として捉えられることは、自分の意図とは違う方向へ一人歩きした感じがした時もありましたが、現在でもこの曲を愛してくれていることは凄く嬉しいです。現在ステージで歌うときは、皆さんへの応援歌としての気持ちで歌っているんです。」

と、16年後に語っています。