Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「糸/中島みゆき」 - テレビドラマ『聖者の行進』の主題歌

今日は、中島みゆきの「糸」のご紹介です。

糸 中島みゆき ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

中島みゆき(なかじまみゆき、本名:中島 美雪)は、1952年2月23日生まれ、 広島県竹原市出身のシンガーソングライター、ラジオパーソナリティーです。

中島 みゆきは、1975年にシングル「アザミ嬢のララバイ」でデビューをしてます。
暗く重い作風と、ラジオ番組などでの明るい語り口とのギャップで、1980年代前半に大きな人気を博し、現在も根強い人気があります。

今日ご紹介する糸は、1998年2月4日に発売された通算35枚目の曲で、TBS系テレビドラマ『聖者の行進』の主題歌に起用された曲でもあります。(^^)

さて、それでは早速、その「糸」をどうぞ。( ^-^)/
 
糸/中島みゆき

この曲の歌詞はこちら

この曲は1992年に発売されたアルバム『EAST ASIA』から20年以上経過した、2010年代に大きな支持を受けるに至り、2017年にはJASRAC賞(著作権使用料分配額)の金賞(=年間1位)を獲得しています。

1970年代:わかれうた(1977年)
1980年代:悪女(1981年)
1990年代:空と君のあいだに(1994年)、旅人のうた(1995年)
2000年代:地上の星(2003年)

この曲が生まれたきっかけ、その他

「糸」はもともと、当時熱心な天理教信者だった中島みきが、1992年に4代真柱・中山善司の結婚を祝して作った楽曲でした(2006年頃に脱会したという噂がありますが、真偽のほどは不明)。

中島みゆきは、ほどなくしてこの曲をレコーディングし、通算20作目となるスタジオ録音作『EAST ASIA』を締めくくるナンバーとして同年の10月に公式に発表しました。

このアルバムに収録された曲のベーシック・トラックは、全般的に日本国内で録音されたものでしたが、のちにコーラスとストリングスがハリウッドのキャピトル・スタジオ(英語版)で追加されています。
コーラスも海外で録音されており、コーラスはレイヴァン・ケーン、ザ・ウォーターズが担当しています。

この曲は、2004年にMr.Childrenのフロントマン櫻井和寿とプロデューサーの小林武史が結成したチャリティ・プロジェクト、Bank Bandのカヴァー・アルバム『沿志奏逢』で取り上げられました。
彼らのカバーは、シングルとして発売されることはなかったものの、翌年に住友生命のコマーシャルに使用され、これを機に楽曲そのものの存在が広く認知されるようになりました。
さらに世間一般に知られるようになったのは2013年頃で、バラエティー番組でBGMやカバーされたりすることがきっかけとなったようです。

2014年現在、この曲はのべ20組以上のアーティストによって相次いでカバー・バージョンが商品券化、じゃなかった商品化され、中島みゆきによるオリジナル版も複数のテレビドラマやコマーシャル、イベントなどでたびたび使用されています。

ナニ 商品券化 ッテ。(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

また、2018年2月度日本レコード協会リリースにおいて、(着うたフル+ネット配信)でのミリオンに認定されました。
2002年4月のフル配信開始から15年10か月かかっており、既往の記録であった中島美嘉「雪の華」(13年0か月)を抜き、史上もっとも長い年月をかけてフル配信ミリオンに到達した楽曲となりました。

2020年には、本楽曲に着想を得た映画『糸』(監督:瀬々敬久、脚本:林民夫、主演:菅田将暉・小松菜奈)が公開予定となっており、中島みゆきの楽曲が映画のモチーフになるのはこれが初めてのことです。

「さよならと言われて/松本典子」 - 銀色夏生&呉田軽穂(松任谷由実)コンビによる切ない曲

今日は、松本 典子の「さよならと言われて」のご紹介です。

さよならと言われて/松本典子 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

松本 典子(まつもと のりこ、本名:笘篠美和子(旧姓:佐藤)、1968年1月30日 - )は、東京都昭島市生まれのタレント・アイドル歌手・コメディエンヌです。
ニックネームは、「のりりん」「サミー」など。

松本典子 イメージ
写真はこちらからお借りしました。

松本典子は、1980年代アイドル全盛期に16歳でデビューした、いわゆる正統派アイドルです。
19歳頃になって、アイドル業のかたわら、志村けん主演のコント番組「志村けんのだいじょうぶだぁ」にレギュラー出演し、その活動の幅を広げます。

松本 典子はまた、1984年8月に、第3回「ミス・セブンティーンコンテスト」にて、網浜直子とダブルでグランプリを獲得(応募総数歴代最大18万325人)します。
デビュー時のキャッチフレーズは、「とどくかな、笑顔。」でした。

1985年には、シブがき隊主演映画「バロー・ギャングBC」に出演。
同年の3月21日には、アイドル歌手として「春色のエアメール」でデビューをします。
 

「春色のエアメール」 - 銀色夏生&呉田軽穂(松任谷由実)コンビによる松本典子のデビュー曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、松本 典子の「春色のエアメール」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。松本 典子(まつもと のりこ、本名:笘篠美和子(旧姓:佐藤)、1968年1月30日 - )は、東京都


実は、このデビュー曲の候補には、この曲の他、カップリング曲となった「秘密の17才」、後に1stアルバムに収録された「なるほどネ!!」がありました。

そして1992年には、当時ヤクルトスワローズ内野手の笘篠賢治(とましの けんじ)と結婚。
結婚指輪は、なんと、800万円でした!おおっ!(゚o゚)
結婚後は、主婦・子育てに専念し、原則として休業しましたが、時折、本名で夫とトーク番組にゲスト出演していました。

今日は、そんな松本典子の、1985年9月21日」に発売された、通算3枚目のシングルである「さよならと言われて」をどうぞ。
 
さよならと言われて/松本典子

この曲の歌詞はこちら

この曲は、オリコンチャートにおいて、最高順位週間17位を記録しています。
松本典子の代表曲のひとつです。
作詞は銀色夏生、作曲は呉田軽穂こと松任谷由実。
素晴らしい曲にならないはずがありませんね。

彼女の代表曲には、他に「儀式(セレモニー)」などがあります。
機会がありましたら、ご紹介したいと思います。

松本 典子の近況

2011年8月、「J-POP青春の'80」(NHK BSプレミアム、9月8日放送)収録に出演。「儀式(セレモニー)」を歌い、19年ぶりに歌手として復帰します。

2013年9月11日、日本テレビの1番ソングSHOW「今いちばん見たい!幻のアイドル大捜索スペシャル!」に出演。
地上波の登場は、10年ぶりとなります。

2018年4月29日には、週刊誌FLASHにて20年ぶりにグラビアに登場。
そのインタビューの中で、『歌は好きなので、また聴かせられたらいいなと思っています。』と答えています。

なお、『雪の華・桜ひらひら』『夫婦玄海』 などを歌っている演歌歌手の松本典子(愛知県東海市出身)は、同姓同名の別人です。


「地獄へ道づれ(Another One Bites the Dust)/クイーン」 - 「Billboard Hot 100」1位! シングルセールス200万枚超えた世界的なヒット曲!

今日は、クイーン(Queen) の「地獄へ道づれ(Another One Bites the Dust)」のご紹介です。

地獄へ道づれ Another One Bites the Dust) クイーン Queen ジャケトイメージ
写真はこちらからお借りしました。

クイーン (Queen) は、イギリス・ロンドン出身の男性4人組ロックバンドです。

メンバーは、以下の4人です。

1.フレディ・マーキュリー(ボーカル)
2.ブライアン・メイ(ギター)
3.ジョン・ディーコン(ベース)
4.ロジャー・テイラー(ドラムス)

クイーンは、イギリス、アメリカ、日本をはじめ、世界中で成功したバンドのひとつで、これまで15枚のスタジオ・アルバム、その他多くのライブ・アルバムやベスト・アルバムを発表しています。

アルバムとシングルを合わせたトータル枚数は1億7千万枚~3億枚といわれ、1970年代に世界で最も売れたロックバンドとされています。

クイーンのヒット曲には、「炎のロックンロール」、「輝ける7つの海」、「キラー・クイーン」、「ナウ・アイム・ヒア」、「ボヘミアン・ラプソディ」、「タイ・ユア・マザー・ダウン」、「ウィ・ウィル・ロック・ユー」、「伝説のチャンピオン」、「ドント・ストップ・ミー・ナウ」、「バイシクル・レース」、「地獄へ道づれ」、「愛という名の欲望」、「レディオ・ガ・ガ」、「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」などがあります。

今日はそれらの中から、1980年8月22日に発売された、彼らの最大のヒット曲である「地獄へ道づれ」をどうぞ。
 
地獄へ道づれ(Another One Bites the Dust)/クイーン(Queen)

この曲の歌詞・和訳はこちら

超有名な曲なので、どこかでお聴きになった方も多いのではないかと思います。(^^)
この曲は、1980年にEMIよりシングルとして発売された後、アルバム「ザ・ゲーム」に収録されました。
発売後は、アメリカ、スペインなどでチャート1位となるなど、世界的に大ヒットしました。

特に、アメリカにおいては、ビルボード誌が発表した「Billboard Hot 100(1980年10月4日付)」では1位を獲得し、シングルセールスが200万枚を超え、またブラックミュージックのチャートにおいても3週連続で2位を記録しています。

クイーンのサウンドの特徴

クイーンのサウンドの特徴は、エレクトリックギターをダビングすることによって作られた「ギター・オーケストレーション」と、マーキュリー、メイ、テイラーの3人が声のパートを重ねることによって作られた重厚な「コーラス」です。
この2点が、特にバンド初期時代に目立った特徴といわれています。

そのギター・オーケストレーションを生み出す源であるメイのハンドメイドギター「レッド・スペシャル」は、机のオークや暖炉のマホガニーを素材にして、父親と作ったハンドメイドのギターで、当時はまだ珍しかった位相で音を変えるフェイズスイッチ、ローラーブリッジなどの斬新なアイデアが盛り込まれています。
6ペンスコインをピックの代わりに使用していたのも音に影響を与えたといえます。

また、フィードバック奏法をやりやすくするための空洞なども、独自のサウンド作りに貢献しており、ジョン・ディーコンが作った(あるいは既存の製品を改造した)とされるギターアンプも、随所で使用されています。

クイーンは、シンセサイザーを使わずにギター・オーケストレーションで重厚なサウンドを作っていることを明示するため、初期のレコードには「ノー・シンセサイザー」というクレジットがなされていました。

クイーンのコーラスの録音方法については、最上パートはテイラーが担当することが多く、特にオペラ風コーラスに際しては、BS−TBS番組「SONG TO SOUL ボヘミアン・ラプソディ」において、マルチトラックテープの磁性体が摺り減り、テープのベース部分が透けるほど繰り返しコーラス部分のダビングを行なった経緯が細かく説明されています。

また、メンバー全員が作曲をして、作風もそれぞれ異なっているために、曲の作風にバリエーションが豊富なことがクイーンの強みとなっています。