Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

Rss  Admin

「涙の茉莉花LOVE」(なみだのジャスミン・ラヴ)/河合その子」 - オリコンシングルチャート第1位を獲得した、ソロ・デビュー第1弾シングル

今日は、河合その子の「涙の茉莉花LOVE」(なみだのジャスミン・ラヴ)」のご紹介です。


写真はこちらからお借りしました。

河合その子(かわい そのこ、1965年6月20日、本名: 後藤 その子(ごとう そのこ) 旧姓:河合)は、愛知県知多郡横須賀町(現 東海市)出身の元歌手です。

河合その子 グラビア
写真はこちらからお借りしました。

河合その子は女性アイドルグループである「おニャン子クラブ」の元メンバーで、会員番号は12番。
現役当時は、渡辺プロダクション→イザワオフィスに所属していました。

そして引退後は、専業主婦として、出身地の愛知県東海市にある実家の近くに居を構えていましたが、2010年に芸能活動を再開します。

今日は、そんな河合その子の、1985年9月1日に発売された「涙の茉莉花LOVE」(なみだのジャスミン・ラヴ)」をどうぞ。
 
この曲の歌詞はこちら

異国情緒の漂う曲です。河合その子の声も可愛いですね。(^^)
「涙の茉莉花LOVE」は、当時おニャン子クラブの会員番号12番だった河合その子のソロ・デビュー第1弾シングルとなる曲で、初チャートイン(第5位)翌週のオリコンシングルチャートにて第1位を獲得。
おニャン子クラブ関連でも初の1位獲得でした。

TBS系の音楽番組『ザ・ベストテン』では、9月26日放送分で9位で初登場(同週は「セーラー服を脱がさないで」も6位にランクイン)し、10月17日放送分まで合計4週に渡ってランクインします。

この曲の初めと終わりの部分で、河合その子自らがキーボードをパフォーマンスが見られました。
1988年1月1日に発売された企画アルバム『Dedication(デディケーション)』では、大きくアレンジを変えた新録音バージョンが収録されています。

なお、この盤のB面に収録された「恋のチャプターA to Z」は河合その子 with おニャン子クラブ名義で、バックのメンバーは国生さゆり(こくしょう さゆり)・名越美香(なごや みか)・高井麻巳子(たかい まみこ)・城之内早苗(じょうのうち さなえ)が務めており、彼女たちはよみうりランドでのデビュー握手会イベント等にも随伴(ずいはん)しました。
 
なお、河合その子といえば、「青いスタスィオン」もおススメです。
お時間が許せば、こちらも是非お聴きになってみてください。
 
「青いスタスィオン/河合その子」 - 34.1万枚を売り上げた最大のヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ

「青いスタスィオン/河合その子」 - 34.1万枚を売り上げた最大のヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、河合その子の「青いスタスィオン」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。河合その子(かわい そのこ、1965年6月20日、本名: 後藤 その子(ごとう そのこ) 旧姓:河合



「負けないで/ZARD(ザード)」 - ドラマ『白鳥麗子でございます!』第1シリーズのエンディングテーマ! オリコン1位&ミリオンセラーとなったヒット曲! 曲の制作秘話も紹介!

今日は、ZARDの「負けないで」のご紹介です。

負けないで ZARD ザード ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

ZARD(ザード)は、作詞・ボーカルを務めていた坂井 泉水(さかい いずみ、本名:蒲池 幸子(かまち さちこ) 1967年2月6日 - 2007年5月27)を中心とした音楽ユニットです。

坂井 泉水
坂井泉水
写真はこちらからお借りしました。

ZARDの坂井 泉水は、1990年代に女性ボーカルとしては最も多くのCD売上げ枚数を記録しており、シングルでは「負けないで」「揺れる想い」「マイ フレンド」がミリオンセラーとなっています。
また、アルバムでは、9作が連続でミリオンを達成しており、史上最多記録となっています。

ZARDは、1993年に通算6枚目のシングル「負けないで」が自身初のオリコンチャート1位獲得しミリオンセラーを記録。
その3ヶ月後に、通算8枚目のシングル「揺れる想い」もミリオンセラーを記録。
この2曲を収録した4thアルバム「揺れる想い」が200万枚超の売り上げを記録し、この年の年間オリコンアルバムチャート1位を獲得。ビーイングブームの代表格となりました。
そしてまた、この年のオリコンアーティストトータルセールスの1位も獲得しています。

今日は、それらのヒット曲の中から、1993年1月27日に発売された通算6枚目のシングルである「負けないで」をどうぞ。
 
負けないで/ZARD

この曲の歌詞はこちら
ひらがな付きの歌詞はこちら

聴いていると、スゴく元気のでる曲です。ヘ(^o^)ノ*
この曲は、前作「IN MY ARMS TONIGHT」から約4ヶ月ぶりのシングルで、表題曲は松泰子主演のテレビドラマ『白鳥麗子でございます!』第1シリーズの主題歌に起用されており(この曲は同シリーズのエンディングテーマに使用)、ZARDがドラマ主題歌を手掛けるのは前作に続き2作連続となりました。

「しらけ鳥麗子でございます!」
しらけ鳥 イメージ
写真はこちらからお借りしました。

「負けないで」は、2作ぶりに織田哲郎が作曲を手掛けたもので、もともと織田哲郎のアルバム用の楽曲でしたが、坂井の詩をつけて歌ってみたところ非常に好評なためシングル化されました。
クレジット表記はされていませんが、この曲のコーラスに大黒摩季が参加していることが、坂井の死後に明かされています。

またこの曲は、2010年には「2010年バンクーバーオリンピック」に因(ちな)んだNTTドコモのCM『応援 in バンクーバー篇』のCMソングに起用。
また、オリコンの週間チャートで初登場2位となり、その後もトップ3を維持し、4週目で首位を獲得。
初登場から、10週連続トップ10入りを記録しています。

年間チャート6位を記録したZARDの最大のヒット曲であり、ZARD大ブレイクのきっかけとなった楽曲であるほか、1994年のJASRAC賞においても銅賞を獲得しています。

「負けないで」制作秘話

この曲は、もともとは織田哲郎のアルバム用の楽曲でした。
が、坂井の詩をつけて歌ってみたところ、非常に好評だったため、シングル化されました。
織田哲郎の曲は、特にイメージや設定もなく、自然に出てきたメロディーでしたが、坂井泉水の歌詞がはまった瞬間、プロデューサーの長戸大幸は「これは売れる!」と確信したといいます。

長戸大幸によれば、この曲の歌詞は、恋よりも夢を選んで遠くへ行ってしまう相手を応援する「遠距離恋愛」の歌でした。
ディレクターの寺尾広は、「このメロディーはこの言葉を言っている。そうとしか聞こえない」という話を坂井から聞いたといいます。この話がどこまで本当なのか尋ねてみると、微笑みと共に「秘密です」と返されたといいます。

坂井泉水は、この曲のレコーディング中に、”最後まであきらめないで”から”最後まで走り抜けて”と歌詞を書き換えており、この楽曲について「当時、何作かずっと恋愛の詞ばかり書いていたので、今度は違うタイプの詞も書きたいなと思っていた矢先でしたので、このテンポ感のある曲を聞いたときに"応援歌っぽいな"ってすぐにイメージが湧いてきて一気に書き上げました。いつものシングルに比べてすごく自分でも楽しみながら書けた一曲です。」と語っています。

当時のスタッフも、「発売された時期的にも団塊ジュニア世代の受験生に向けてというコンセプトでした」と語っています。

「魔法の黄色い靴/チューリップ」 - チューリップのメジャーデビューシングル

今日は、チューリップの「魔法の黄色い靴」のご紹介です。


写真はこちらからお借りしました。

チューリップは、1970年に当初「ザ・フォーシンガーズ」として結成されたバンドです。
当時、音楽界にロックでもフォークでもない新しい音楽「ニューミュージック」というものが登場するのですが、チューリップは、この分野を開拓したバンドのひとつでもあります。

チューリップは、ビートルズに強く影響を受けたバンドで、リーダーの財津和夫(ざいつ かずお)は、和製ポール・マッカートニーを自認し、メロディアスでポップな作品を多数制作し、世に送り出しています。

また、メンバー全員が作詞・作曲・ボーカルを担当しているのもこのバンドの特徴のひとつとなっており、この方針は現在も伝統的に受け継がれています。

さてそれでは、今日はそんなチューリップの、1972年6月5日に発売された「魔法の黄色い靴」をどうぞ。
 
魔法の黄色い靴/チューリップ

この曲の歌詞はこちら

この曲は、財津和夫が作詞・作曲を手掛けたもので、チューリップのメジャーデビューシングルとして、前述した1972年6月5日に東芝音楽工業から発売されました。

なんと、レコーディングに異例ともいえる16時間が費やされたもので、業界関係者には高い評価を得たものの、地元・福岡以外では売れず、全国的なヒットには結びつきませんでした。
発売当時の売り上げは2,000枚に過ぎなかったものの、チューリップの記念すべきデビュー曲であることに変わりはなく、ライブにおいては長年にわたってエンディングを飾る曲として定着しています。

発売から20年以上が経過した1993年には、ダイドー「ブレンドコーヒー」のCMソングにされ、2002年には、チューリップの半生を描いたミュージカルのタイトルにも採用されました。
このミュージカルの主なキャストは、山本耕史、河相我聞、遠山景織子などで、財津和夫は、このミュージカルの舞台監修を務めています。