Super源さんの音楽ブログ

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「春うらら/田山 雅充」 - 21万枚を売り上げた、デビュー曲にして最大のヒット曲!

今日は、田山 雅充の「春うらら」のご紹介です。

春うらら 田山雅充 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

田山 雅充(たやま まさみつ、1948年12月2日 -)は、東京都目黒区生まれのフォークシンガーです。

田山 雅充は、幼少時代にテレビドラマ(乙羽信子主演「ママちょっと来て」、「独眼竜政宗」他)、映画「モスラ」に子役で出演します。

また、若い頃に「素人のど自慢番組」に出演し、自作の曲をギターの弾き語りで歌って3週勝ち抜き、賞金を獲得したことがきっかけで浜口庫之助に師事、作曲を学びます。
その後、作詞家・千家和也の事務所に招かれ、作曲も手がけるようになります。

そして1974年、コーラスグループ「赤い花」のメインボーカルとして歌手デビュー。
2年後の1976年には、「春うらら」でソロデビュー。
この曲は、週間チャートこそ16位が最高でしたが、TBSの『東京音楽祭』、文化放送の『新宿音楽祭』、ニッポン放送の『銀座音楽祭』、FM東京の『FMリスナーズ・グランプリ』の受賞曲にそれぞれ選ばれ、同年の年間チャート58位、セールス40万枚を記録するヒットとなります。

3枚目のシングル「愛することから始めてみませんか」は、当時TBSテレビで放送されていた「白い秘密」(田宮二郎主演、片平なぎさ女優転向の第一作目の作品)の主題歌となります。

今日は、ソロデビュー曲である「春うらら」をどうぞ。
 
春うらら/田山雅充

前述したように、この曲は田山雅充がソロ歌手として1976年2月26日に発売したデビュー・シングルです。

この曲はオリコンチャートでは週間最高16位でしたが、21万枚を売り上げる自身最大のヒット曲となり、また、田山雅充はこの曲で、同年に行なわれた「東京音楽祭」など、数々の音楽賞を獲得しました。

「ありがとう/石坂智子」 - たのきんトリオ主演ドラマ「ただいま放課後」主題歌

今日は、石坂 智子の「ありがとう」のご紹介です。

ありがとう 石坂智子 ジャケトイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

石坂 智子(いしざか ともこ、本名:小林 智子(こばやし さとこ) 1963年2月27日 -)は、石川県金沢市出身の元歌手です。

石坂 智子は、1979年に行なわれた第1回東芝タレントスカウトキャラバンで優勝します。
そして、翌年の1980年、シングル「ありがとう」でデビューをします。

この曲は、たのきんトリオが主演したドラマ「ただいま放課後」の主題歌で、オリコン最高40位という石坂 智子最大のヒット曲となります。

今日はその「ありがとう(1980年6月21日発売)」をどうぞ。
 
ありがとう/石坂 智子

この曲の歌詞はこちら

ちなみに、石坂 智子のデビュー時のキャッチフレーズは「君の瞳のきらめきを僕たちは待っていた」で、この曲の作詞・作曲は、ともに伊藤薫(いとう かおる)です。
石坂 智子には、現在でも根強いファンがいるようです。

石坂 智子のその後
1981年8月にシングル「北国へ」を発売したのを最後に、石坂 智子はデビュー後わずか1年2ヶ月-満18歳で芸能界を引退しました。

その前年の1980年に、「日本テレビ音楽祭」では新人賞に残りましたが、同年夏のデビュー2年目歌手対象の「金の鳩賞」には鹿取 洋子とともに落選し、前年次点の甲斐 智枝美(かい ちえみ)が代わってノミネートされました。

石坂 智子の愛くるしいルックスは、石野真子似とも言われ、歌唱力も高かったのですが、デビューしたタイミングが悪かったというか、同期の強力なライバル達の中では存在感が希薄になっていたと言えるでしょう。
いい曲を歌っていただけに、残念です。

いきものがかりの「ありがとう」もおススメ

「ありがとう」といえば、いきものがかりの同名異曲もおススメです。
お時間が許せば、こちらも是非お聴きになってみてください。
 
「ありがとう/いきものがかり」 - NHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』の主題歌 バンド名の由来は?|Super源さんの音楽ブログ

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今日は、いきものがかりの「ありがとう」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。いきものがかりは、2人組の音楽グループです。1999年(平成11年)2月に、小学校時代からの同級生であ


石坂智子 残念なアイドルシリーズ -アラッポ・カーロの備忘録
https://d.hatena.ne.jp/ArappoCaro/20100716/1279300118

「シンフォニーの風/西村 知美」 - ハウス食品「ゼリエース」のCFソング 1991年に起こった「生放送すっぽかし事件」とは?

今日は、西村 知美の「シンフォニーの風」のご紹介です。

シンフォニーの風 西村知美 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

西村 知美(にしむら ともみ、本名:西尾 知美(にしお ともみ、旧姓・西村)は、山口県宇部市出身の女優、タレント。元アイドル歌手です。夫は、元タレントの西尾拓美。

西村 知美は、1984年12月、姉が写真を応募したことにより、雑誌「Momoco」のモモコクラブに桃組出席番号922番として掲載されます。
そして、翌年の1985年4月、同雑誌主催の「第1回ミス・モモコクラブ」でグランプリを受賞。

1986年3月、映画「ドン松五郎の生活」でデビューし、同時に同映画の主題歌「夢色のメッセージ」でアイドル歌手としてもデビューをします。
 

「夢色のメッセージ(ゆめいろのメッセージ)/西村知美」- 映画『ドン松五郎の生活』の主題歌で、西村知美のデビュー曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、西村知美の「夢色のメッセージ(ゆめいろのメッセージ)」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。西村 知美(にしむら ともみ、本名:西尾 知美(にしお ともみ、旧姓:西村)19


1986年12月には、「わたし・ドリーミング」で第28回日本レコード大賞・新人賞を受賞。

1990年代に入ると、おとぼけの天然キャラが受けて、バラエティ番組でブレイク。
「さんまのからくりTV」を筆頭に、数々の番組に出演します。

今日はそんな、映画に歌にドラマにCMに活躍という、多才な西村 知美のヒット曲の中から、1987年3月11日に発売された「シンフォニーの風」をどうぞ。
 
シンフォニーの風/西村 知美

この曲の歌詞はこちら

この曲は、渚の天使 ハウス食品「ゼリエース」のCFソングとして使われました

西村知美のエピソード

・デビュー当初は、系列事務所の先輩でもあった菊池桃子のイメージにあこがれており、そのイメージを踏襲する形で、菊池桃子の妹分として売り出されました。菊池桃子には大変可愛がってもらい、『夜のヒットスタジオ』で共演した際には、イヤリングをもらったほか、デビュー5周年の記念にサインを変更した際も、菊池桃子に考えてもらったといいます。

・上述の通り菊池桃子の大ファンだったため、TVの特番でハワイにロケに行った際、飛行機の席が隣でとても嬉しかったといいます。連絡先を教えてもらい、後日プライベートで炊き込みご飯や出し巻き卵の作り方を教えてもらい、西村にとってとても良い思い出になりました。

・1991年のある日、ドラマ撮影が夕方に終わる予定が昼に終了して自宅でのんびりしていましたが、その日の深夜にテレビを見ると、『三宅裕司のえびぞり巨匠天国』(TBS)の生放送で、司会を務めていた三宅裕司が西村の名前を呼んでいました。ドラマ撮影後、この番組のゲスト出演のスケジュールが入っていたことをすっかり忘れていて、マネージャーのポケベルに連絡しても繋がらず、急いでタクシーでスタジオに入り、番組エンディングだけ出演しました。最後に番組の全体の感想を聞かれましたが、何も答えられず、この出来事は2017年の時点でも思い出す度に反省しているといいいます。2020年3月21日放送の『有吉反省会SP』でもこのエピソードが「生放送すっぽかし事件」として採り上げられました。