Super源さんの音楽ブログ

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「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)/西城秀樹」 - オリコン1位!売上げ80.8万枚を記録したヒット曲!

今日は、「西城 秀樹」の「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」(ヤングマン ワイ・エム・シー・エー)のご紹介です。

YOUNG MAN Y.M.C.A. 西城秀樹 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

西城 秀樹(さいじょう ひでき、本名:木本 龍雄(きもと たつお)1955年4月13日 -)は、広島県広島市出身の歌手、俳優です。

西城 秀樹は、1972年3月25日に、シングル「恋する季節」で「ワイルドな17歳」のキャッチフレーズと共に歌手デビューをします。
片仮名の「ヒデキ」の愛称で人気となった西城 秀樹は、「チャンスは一度」以降、当時マイクを持って直立不動の姿勢で歌う歌い方が主流であった歌謡界に、アクション旋風を巻き起こします。

そして、1973年に「情熱の嵐」がオリコン週間チャートで初のベストテン入り。
一躍トップアイドルの仲間入りを果たし、郷ひろみ野口五郎と共に「新御三家」と呼ばれます。

その後、「ちぎれた愛」、「愛の十字架」が続けてオリコン週間チャートの第1位に輝き、「第15回日本レコード大賞」では初の歌唱賞を受賞します。

今日は、1979年2月21日に発売された28枚目のシングル、「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」(ヤングマン ワイ・エム・シー・エー)をどうぞ。
 
ヤングマン/西城秀樹

この曲は、発売2週間後に、オリコンチャートで3位に初登場。翌週から5週連続で1位を獲得し、売上げ80.8万枚の大ヒットとなります。

2012年(平成24年)1月28日付の朝日新聞に、売上げが通算200万枚に迫るという記事が載り、この数字は「新御三家」のすべてのシングル曲中で、最大の売上げを誇ります。

週間1位の獲得は、1973年(昭和48年)の「ちぎれた愛」、「愛の十字架」に続いて3作目となり、また、年間シングルチャートでも1974年(昭和49年)の「激しい恋」の第8位に続いて1979年(昭和54年)の第7位を獲得しています。
なお、この曲の累計売上については、180万枚とする書籍もあります。

「初恋のメロディー/小林 麻美」 - オリコン18位を記録したデビュー曲にしてヒット曲!

今日は、小林 麻美の「初恋のメロディー」のご紹介です。


写真はこちらからお借りしました。

小林 麻美(こばやし あさみ、本名:田邉稔子(たなべ としこ・旧姓小林)1953年11月29日 -)は、東京都大田区生まれの元歌手・女優・モデルです。

小林 麻美は当初、ある芸能事務所関係者に一目ぼれされて強引にスカウトされた結果、俳優としてデビューすることになります。
が、この時テレビコマーシャルの撮影でスキーをした時に複雑骨折をしてしまい、長期休業状態となってしまいます。

そして、その後に所属した主な芸能事務所は、田辺エージェンシー。
「雨音はショパンの調べ」が大ヒットします。

小林麻美は、ゆるくウェーブのかかったワンレングスの長い髪、公称167cmと長身で細い身体、物静かで寡黙(かもく)、都会的でアンニュイな雰囲気が人気を得ます。

今日は、そんな小林麻美の、1972年8月5日に発売されたデビュー曲である「初恋のメロディー」をどうぞ。
初恋のメロディー/小林 麻美

この曲の歌詞はこちら

この曲の作詞は橋本淳、作曲は筒美京平です。

デビュー当時の小林麻美は暗く、売れなかった

小林麻美は、1972年、18歳の時、東芝レコードから「初恋のメロディー」で歌手デビューをします。この曲はオリコン18位を記録するヒットとなりましたが、当時のアイドルに求められていた、明るく無邪気に笑顔を見せる天真爛漫(てんしんらんまん)さとは正反対に、ほとんど笑顔を見せず、うつむき加減で気だるそうに歌う小林麻美の姿は異質にも映(うつ)り、暗い印象をもたれました。

小林麻美は、1976年までに年に1枚程のペースでシングルを発売しますが、売り上げは伸びず、事務所にアイドル歌手には不向きとみなされ、小林麻美の歌手活動は自然消滅となりました。

資生堂、パルコなどのCMで小林麻美の名が浸透

小林麻美の名前が浸透したのは、1970年代後半のことです。
その頃、小林麻美は資生堂、パルコなどのCMに起用されたのですが。特に1977年放送のパルコCM「淫靡と退廃」で、この細い体や暗さが大衆に受け入れられたのです。

8年ぶりに発売した「I Like Chopin」が放送禁止曲に

1984年、小林麻美は8年ぶりに歌手として、ガゼボの「I Like Chopin」のカバー「雨音はショパンの調べ」を発売。この曲は大ヒットとなりました。
しかし、ここで問題が発生!
当時、NHKがこの曲の歌詞にある「気休めは麻薬」というフレーズを問題視し、放送禁止曲としたのです。
くわえて、所属事務所が、女優としてのテレビ出演の仕事のみを受けたこともあり、小林麻美が歌番組で歌うことは一度もありませんでした。

「そよ風と私/岡田奈々」 - オリコンで36位を記録したヒット曲

今日は、「岡田奈々」の「そよ風と私」のご紹介です。

そよ風と私 岡田奈々 ジャッケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

岡田奈々(おかだなな、本名:矢井弘子(やい ひろこ)、1959年2月12日 -)は、岐阜県岐阜市出身の女優、元歌手です。
小学校の頃、「ヤイ!ひろこ!」と言われて嫌だったといいます。

岡田奈々は、1974年、岐阜市の鶯谷女子高等学校高校1年在学中に、オーディション番組「あなたをスターに!」の第2回チャンピオンとなり、翌1975年5月10日に、シングル「ひとりごと」で歌手デビューします。

以来、ポッキーの初代CMガール(1975年 - 1980年)や、青春ドラマ「俺たちの旅」での田中健の妹役、1976年のシングル「青春の坂道」のヒットなど、アイドルとして活躍します。
 

「青春の坂道/岡田奈々」 - 「俺たちの旅(第22話)」の挿入歌 岡田奈々の曲の中では管理人一押しの曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、「岡田奈々」の「青春の坂道」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。 岡田奈々(おかだなな、本名:矢井弘子(やいひろこ)、1959年2月12日 -)は、岐阜県岐阜市鏡島出身


1979年(昭和54年)からは、女優業に本格転向。
映画戦国自衛隊(1979年)」や「里見八犬伝(1983年)」といった全盛期の角川映画、テレビドラマ「スクール☆ウォーズ(1984年 - 1985年)」などで活躍します。

今日ご紹介する「若い季節 」は、1977年4月10日発売に発売された通算8枚目のシングルで藤公之介が作詞、森田公一が作曲したものです。

それでは早速、「そよ風と私」をどうぞ。
 
そよ風と私/岡田奈々

この曲の歌詞はこちら

「若い季節」の歌詞の世界は、となりの下宿に住んでいる「あいつ」を、女の子が紹介するもので、岡田奈々がレギュラー出演した人気テレビドラマ『俺たちの旅』(1975年 - 1976年)の世界を踏襲しています。

この曲は、オリコンで36位を記録。
大ヒットした前曲「青春の坂道」は同ドラマの挿入歌で、当時、岡田奈々の人気は最高潮にあり、前作の勢いもあってまずまずのヒットとなりました。
 

「青春の坂道/岡田奈々」 - 「俺たちの旅(第22話)」の挿入歌 岡田奈々の曲の中では管理人一押しの曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、「岡田奈々」の「青春の坂道」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。 岡田奈々(おかだなな、本名:矢井弘子(やいひろこ)、1959年2月12日 -)は、岐阜県岐阜市鏡島出身


ちなみに、芸名の「奈々」は、宗教家である父親が、以前菜の花を求めて各地を旅する養蜂業者であったことに由来しているということです。