Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「ひまわりの小径/チェリッシュ」- 累計55万枚の売上げを記録したヒット曲

今日は、チェリッシュの「ひまわりの小径」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

チェリッシュは、愛知県出身の夫婦デュオで知られる歌手グループです。

チェリッシュは、1968年に松崎好孝を中心に名古屋で結成されます。
当初は4人組で、1970年に松井悦子が加入し5人組になりました。

1971年、第一回全国フォーク音楽祭全国大会に出場していたところをスカウトされ、翌年の1971年に「なのにあなたは京都へゆくの」でデビューします。

そして、1972年に松崎好孝、松井悦子のデュオとなります。

1973年、「てんとう虫のサンバ」をリリース。この曲は彼らの代表曲となり、現在でも結婚式などで歌われる息の長い曲となっています。

今日は、誰にでも親しめるメロディーと歌唱力で人気を博したそんなチェリッシュの通算3枚目のヒット曲、「ひまわりの小径」をどうぞ。
 
ひまわりの小径/チェリッシュ

この曲の歌詞はこちら

この曲は、オリコンチャートにおいて、最高順位週間3位、1972年度年間15位を記録しています。

「ひまわりの小径」は、当初5人のグループとしてスタートしたチェリッシュが、デュオになって発売した最初のシングルです。
ただし、レコードジャケットには5人のイラストが描いてあります。

この曲の累計売上は55万枚で、作詞作曲は、前作の「だからわたしは北国へ」に引き、林春生と筒美京平が担当しています。
リコーダーやアコーディオンなど、素朴な響きをもつ楽器をフィーチャーし、フォーク風のムードをかもし出しながらも、リズムアレンジは歌謡ポップスに徹しており、歌謡曲とフォークの中間的な曲調となっているのが特徴です。

また、メロディーに関しても、女性ボーカルの特長を前面に出した、フォーク調の親しみやすいものに仕上げられています。

ちなみに、チェリッシュのグループ名の由来は、アメリカのソフト・ロックバンド、アソシエイション(The Association)の1966年の同名のヒット曲からとられました。


Cherish/The Association

「私は忘れない/岡崎 友紀」- 「おくさまは18歳」で一躍アイドルとなった岡崎友紀のロングヒット曲!

今日は、岡崎 友紀の「私は忘れない」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

岡崎 友紀(おかざき ゆき、本名:岡崎 友紀子、1953年7月31日 -)は東京都台東区浅草出身の女優、歌手です。

岡崎 友紀は、幼少のころよりバレエを習い、最初は、子役として舞台やテレビに出演し、全国的な知名度を得ます。その後はさらに活躍の場を広げ、多くのドラマやバラエティ番組に進出し、1970年3月には歌手デビューを果たします。

当時、人気のバロメータであったブロマイドの売り上げが、46ヶ月連続首位を記録し、また日本の芸能人に対して「アイドル」という呼び名が一般化したのは、同学年の吉沢京子と岡崎友紀の時代からと言われています。

とりわけ、1970年9月よりTBS系で放送された学園ドラマ、「おくさまは18歳」(最高視聴率33.1%)でキュートなコメディエンヌとしての魅力が開花し、1970年代前半から中盤にかけて、国民的アイドルとして絶大な人気を博します。

さらに作詞の才にも恵まれ、18歳シリーズの主題歌を始め多くの曲を「岡崎友紀」または「おくさまは18歳」の役名「高木飛鳥」のペンネームで作詞しています。

今日は、そんな多才な岡崎有紀の曲の中から、1972年10月5日に発売された通算10枚目のシングルである「私は忘れない」をどうぞ。
 
私は忘れない/岡崎友紀

この曲の歌詞はこちら

この曲は、筒美京平作曲の名曲で、当時ロング・ヒットとなりました。
また、岡崎 友紀の他のヒット曲としては、80年代初頭に、YUKI名義で、加藤和彦作曲の「Do You Remember Me」があります。
 

「Do You Remember Me(ドゥー・ユー・リメンバー・ミー)/岡崎 友紀」 - オリコン18位を記録したヒット曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、岡崎 友紀の「Do You Remember Me(ドゥー・ユー・リメンバー・ミー)」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。岡崎 友紀(おかざき ゆき、本名:岡崎 友紀子


こちらも名曲なので、お時間が許せば、是非お聴きになってみてください。

「哀愁でいと/田原 俊彦」 - この後 『ジャングルJungle』までオリコンシングル連続TOP10入り37作を記録する、田原俊彦のデビュー曲

今日は、田原 俊彦の「哀愁でいと」のご紹介です。

哀愁でいと 田原俊彦 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

田原 俊彦(たはら としひこ、1961年2月28日 -)は、神奈川県横須賀市生まれの歌手、俳優、タレントです。愛称は「トシちゃん」。 妻はモデルの向井田彩子(むかいだ あやこ)。

田原 俊彦は、1980年6月にレイフ・ギャレット(Leif Garrett)の「ニューヨークシティナイト(New York City Nights)」をカバーした「哀愁でいと」で歌手デビューをします。
そして、1980年代のトップアイドルとして活躍します。ダンスのうまさも手伝い、ダンスビートにのせて踊りながら歌う、ポップスの男性アイドルとしての存在を明確にします。

そして、第22回日本レコード大賞・最優秀新人賞、第11回日本歌謡大賞・放送音楽新人賞などを受賞。

その後は「ハッとして!Good」「恋=Do!」「ブギ浮ぎI LOVE YOU」「キミに決定!」「悲しみ2(TOO)ヤング」と次々にヒットを飛ばすかたわら、「年B組金八先生」「教師びんびん物語※」「看護婦日記 パートI」など多くのドラマに主演するなど、歌手以外に俳優としても大活躍します。
 

「悲しみ2(TOO)ヤング/田原 俊彦」 -自身出演の江崎グリコCMソング|Super源さんの音楽ブログ


今日は、田原 俊彦の「悲しみ2(TOO)ヤング」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。田原 俊彦(たはら としひこ、1961年2月28日 -)は、神奈川県横須賀市生まれの歌手、俳


今日は、デビュー曲である「哀愁でいと」をどうぞ。
 
哀愁でいと/田原俊彦

この曲の歌詞はこちら

田原俊彦のデビュー後から全盛期

田原俊彦は、1980年6月に、たのきんトリオの先陣を切り、レイフ・ギャレットの『New York City Nights』をカバーした『哀愁でいと』で歌手デビュー以降、1980年代のトップアイドルとして活躍します。
ダンスビートに乗って、踊りながら歌うポップスの男性アイドルとなった田原俊彦は、1982年に、ブロマイド年間売上実績の男性部門でトップとなります。

ファンによるステージ用の応援コールも生まれ、その代表的なものは「T・O・S・H・I スーパーアイドルLOVE俊ちゃん!」。
また、『哀愁でいと』から『ジャングルJungle』まで、オリコンシングルの連続TOP10入り37作の記録をもちます。
その後の3作はTOP入りを逃すも、『雨が叫んでる』で通算38作目の、かつ現在で最後のTOP10入りとなります。

※「教師びんびん物語」は、1988年4月4日から2001年3月16日までTV放送された、田原俊彦が扮する熱血教師・徳川龍之介が奮闘する東宝制作による学園ドラマ。
教師びんびん物語(1988年) 、教師びんびん物語II(1989年)、教師びんびん物語スペシャル(1989年)、巡査びんびん物語(1999年)、教師びんびん物語スペシャル(2000年)、教師びんびん物語スペシャル2(2001年)がある。