Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「さよならをするために/ビリー・バンバン」 - ドラマ「3丁目4番地」主題歌 約80万枚の大ヒット!

今日は、ビリー・バンバンの「さよならをするために」のご紹介です。

ビリー・バンバン さよならをするために ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

ビリー・バンバン(Billy BanBan)は、東京都国立市出身の菅原孝、菅原進の兄弟二人によるフォークデュオです。

ビリー・バンバンは、1966年に当時青山学院大学の学生であった菅原進によって、友人達四人組のバンドとして結成されました。
翌年の1967年にメンバーチェンジが行なわれ、菅原孝とパーカッションの中野光雄(後のせんだみつお)の三人組のバンドとなります。


ゆうちゃん



えっ? 「ビリーバンバン」にせんだみつおがいたの?


しんちゃん



うん
これ、けっこう有名な話だよ
この頃は、「カレッジ・フォーク」のブームがあり、アマチュア出身だった森山良子やマイク眞木、フォー・セインツなどが世に出ていった時代でもあります。
「ビリーバンバン」もご多分に漏(も)れず、伴奏がフォーク・ギターとウッド・ベースという「カレッジ・フォークスタイル」となっており、これはブームが過ぎ去った今もずっと続いています。

「ビリーバンバン」はその後、紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、菅原孝と菅原進による兄弟デュオとして、「白いブランコ」でメジャーデビューをすることとなり、この曲は売り上げ20万枚を超えるヒットとなります。

その後、人気は下火となってしまいますが、1972年、テレビドラマ「3丁目4番地」の主題歌である「さよならをするために」が約80万枚の大ヒットとなり、この曲でその年の「第23回NHK紅白歌合戦」に出場します。

今日はその「さよならをするために」をどうぞ。
 
さよならをするために/ビリー・バンバン

哀愁のある素敵な曲です。(^J^)
イントロから、もうこの曲の世界にグイグイ引き込まれます。
アレンジがまたいいですね。

「さよならをするために」は、ドラマ『3丁目4番地』の主題歌として作られた

この曲は、浅丘ルリ子や石坂浩二、原田芳雄らが出演した、日本テレビのテレビドラマ『3丁目4番地』の主題歌として、石坂浩二が作詞、坂田晃一が作曲をしたものです。

ドラマ『3丁目4番地
写真はこちらからお借りしました。

このドラマは、その後のトレンディ・ドラマにも通じる、豪華(ごうか)キャストによる人気番組でした。

「3丁目4番地」キャスト

木下かすみ:浅丘ルリ子
マツの長女。ラジオ局の人気DJ。『かすみナイト』という番組のパーソナリティを務めている。
木下マツ:森光子(特別出演) - 『木下館』の主人。
木下徳次:嵐寛寿郎 - マツの父。
石上平吉:石坂浩二 - かすみと同僚のアナウンサー。
陽子:田村奈巳 - マツの次女で、健の妻。
木下雪子:岡崎友紀 - マツの三女。
健:岡田眞澄 - 映画会社「東日映画」の宣伝マン。
六助:原田芳雄
令子:大原麗子
金田俊吉:藤村俊二
亜子:水森亜土
高際:寺尾聰 - 木下館の下宿人
小川平太:黒沢久雄 - 木下館の下宿人
南公平:大滝秀治 - 平吉の姉の亭主(第12話から)
ナレーター:六代目三遊亭圓生

この曲の作詞は、ドラマに出演していた石坂浩二で、作曲は西田敏行の「もしもピアノが弾けたなら」やチェリッシュの「あの空へ帰ろう」、杉田かおるの「鳥の詩」などを手掛けた坂田晃一が担当。
坂田晃一は他にも、ダ・カーポの「突然の微笑がやフォー・クローバースの「冬物語」などを作曲しており、フォーク系に強いソングライターでした。

曲は大ヒットしたものの、……

当時人気が今一振るわなかったビリーバンバンにとって、この曲は「白いブランコ」以来の大ヒット曲となりました。
しかしながら、当時のフォーク歌手には、他人の作品を歌うのは一種の恥であるという風潮があり、ビリーバンバンのメンバーである菅原進は、当初、この曲のレコーディングをすっぽかしたというエピソードがあります(のちに進は、本当はいい曲だったと語っています)。

また、ビリー・バンバンは、この曲で1972年の第23回NHK紅白歌合戦に初出場をしています。

「ハロー・グッパイ/柏原芳恵」 - 第23回日本レコード大賞受賞! 柏原芳恵最大のヒット曲! 「紅茶のおいしい喫茶店」は南こうせつの実兄が経営していた店

今日は、柏原 芳恵の「ハロー・グッパイ」のご紹介です。

ハロー・グッパイ 柏原よしえ ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

柏原 芳恵(かしわばら よしえ、本名:柏原 芳恵(かしはら よしえ) 1965年10月1日 -)は、大阪府大阪市出身の歌手です。

柏原 芳恵は、1980年6月1日、シングル「No.1」で歌手デビューをします。
そして、1981年10月15日発売の7枚目のシングル「ハロー・グッバイ」が大ヒット。

その後は、「春なのに」(1983年、TBS系「ザ・ベストテン」で最高2位まで上昇)、「最愛」など、中島みゆき作詞・作曲による作品を中心に、トップ10ヒットを1981年から1986年の間に18作品出して行きます。

1980年代後半は、歌手としての活動よりも女優活動が目立つようになり、2時間ドラマに多数主演の他、映画にも出演します。

今日は、そんな柏原 芳恵のヒット曲の中から、1981年10月15日に発売された通算7枚目のシングルであり、柏原自身最大のヒット曲でもある 「ハロー・グッバイ」をどうぞ。
 
ハローグッバイ/柏原よしえ

柏原芳恵はこの曲で、第23回日本レコード大賞受賞(ゴールデン・アイドル賞)、オリコンチャート最高順位週間6位、同じくオリコンで1982年度年間45位を記録しています。

ちなみに、この曲はカバー曲で、原曲はアグネス・チャンが1976年に発売したシングル「冬の日の帰り道」のB面に収録されていた曲です。

探してみたところ、こちらの方もYouTube上にアップされていたので、以下に張りつけておきます。


ハロー・グッパイ/アグネス・チャン

前述した通り、この曲はアグネス・チャンの1975年12月10日に発売されたシングル「冬の日の帰り道」のB面に収録されていた曲です。

柏原よしえ(現:柏原芳恵)で、この曲はヒットし、アグネス・チャンから「この曲に日の目を見せてくれありがとう」と感謝されました。

「紅茶のおいしい喫茶店」は、南こうせつの実兄が経営していた店

「ハロー・グッパイ」の歌詞に出てくる「紅茶のおいしい喫茶店」というのは、フォークシンガー南こうせつの実兄が大分市で経営していた店がモデルとなっています。

この喫茶店は、かつて大分県大分市(おおいたけんおおいたし)に実在していた喫茶店で、カップには「HELLO」という文字が書かれており、皿には「GOOD-BY」と書かれています。
このカップは、この喫茶店の経営者である南こうせつの義父(ぎふ)が制作したものだということです。

ハローグッバイ ティーカップと皿
出典:https://blog-imgs-142-origin.fc2.com/k/i/s/kisanjin/2020110800085538e.jpg

「ハローグッバイ」を作詞した喜多條忠(きたじょうまこと)といえば、かぐや姫の名曲「神田川」「赤ちょうちん」「妹」を1973年・1974年に作詞しており、南こうせつとの親交からこの喫茶店を訪れたものと思われます。

「ソネット」もおススメ

なお、柏原芳恵といえば、「ソネット」もおススメです。
お時間が許せば、こちらも是非お聴きになってみてください。
 
「ソネット/柏原よしえ」 - アルバム「encore」に収録されている名曲|Super源さんの音楽ブログ

「ソネット/柏原よしえ」 - アルバム「encore」に収録されている名曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、柏原 芳恵の「ソネット」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。柏原 芳恵(かしわばら よしえ、本名:柏原 芳恵(かしはら よしえ) 1965年10月1日 -)は、大阪府大



「青い花火/浜田朱里」 - 「さよなら好き」でデビューした浜田朱里の通算3枚目のシングル

今日は、浜田 朱里の「青い花火」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

浜田 朱里(はまだ じゅり、本名:宮崎珠里(みやざき じゅり) 1962年11月1日 -)は、東京都出身の元女優・元アイドル歌手です。

浜田 朱里は、1980年6月21日に「さよなら好き」でデビューをします。
 

「さよなら好き/浜田朱里」 - 「ポスト百恵」を狙ってデビューした浜田朱里のデビュー曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、浜田 朱里の「さよなら好き」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。浜田 朱里(はまだ じゅり、本名:宮崎珠里(みやざき じゅり) 1962年11月1日 -)は、東京都出身の


ややハスキーボイスで、独特の雰囲気の歌声と整ったルックスのミスマッチさが、当時の女性アイドルの中で目立つ存在だったということもあり、当時も現在も根強いファンが存在しています。
松田聖子とはかつて親友でもあり、1980年デビューの同期生でもあります。

今日は、そんな浜田朱里の、1981年1月21日に発売された通算3枚目のシングルである「青い花火」をどうぞ。
 
青い花火/浜田朱里

この曲の歌詞はこちら

この曲の作詞は三浦徳子、作曲は馬飼野康二です。
オリコン最高順位は87位となっています。

浜田 朱里は、山口百恵が引退した1980年にデビューした、元アイドル歌手です。
山口百恵のイメージが強い「赤いシリーズ」の「赤い魂」に主演するなど、ポスト百恵候補の1人でした。

聞き比べていただくと、2人のもつ雰囲気や、その曲調がよく似ていることが分かります。