Super源さんの音楽ブログ

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「なのにあなたは京都へゆくの/チェリッシュ」- 「てんとう虫のサンバ」で知られるチェリッシュの、35万枚を売上げたデビュー曲にしてヒット曲!

今日は、チェリッシュの「なのにあなたは京都へゆくの」のご紹介です。

なのにあなたは京都へゆくの チェリッシュ ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

チェリッシュは、愛知県出身の夫婦デュオで知られる歌手グループです。

チェリッシュは、1971年、第一回全国フォーク音楽祭全国大会に出場していたところをスカウトされ、翌年の1971年に「なのにあなたは京都へゆくの」でデビューします。

その後、「だからわたしは北国へ」「ひまわりの小径」「古いお寺にただひとり」「若草の髪かざり」「避暑地の恋」と次々にヒットを飛ばしていきます。 
 

「ひまわりの小径/チェリッシュ」- 累計55万枚の売上げを記録したヒット曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、チェリッシュの「ひまわりの小径」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。チェリッシュは、愛知県出身の夫婦デュオで知られる歌手グループです。チェリッシュは、1968年に松


そして、2年後の1973年7月5日には、7枚目のシングルとなる「てんとう虫のサンバ」を発売。この曲は彼らの代表曲となり、現在でも結婚式などで歌われる息の長い曲となっているのは周知の通りです。

チェリッシュは、子供から大人まで、誰にでも親しめるメロディーと、その歌唱力が魅力の夫婦デュオ。現在も活躍しています。

今日は、そのデビュー曲である「なのにあなたは京都へゆくの」をどうぞ。
 
なのにあなたは京都へゆくの/チェリッシュ

この曲の歌詞はこちら

この曲は、オリコンチャートにおいて、最高順位週間13位、1972年度年間75位を記録しています。
初回プレス枚数は1500枚で、宣伝用のポスターやチラシも制作されませんでしたが、翌1972年に入ってからロング・ヒットを記録し、累計では35万枚を売り上げます。

歌詞の内容は、「私」を捨てて京都へ行ってしまった恋人への想いを歌った失恋ソングで、京都のご当地ソングとしても知られています。

2004年には、アニメ『鉄人28号』第15・16回「京都編」のエンディングテーマに使われました。

「私のハートはストップモーション/桑江知子」 - ポーラ化粧品のCM オリコン週間12位、14.8万枚を売上げたデビュー曲にして最大のヒット曲!

今日は、桑江知子の「私のハートはストップモーション」のご紹介です。

私のハートはストップモーション 桑江知子 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

桑江知子(くわえ ともこ 1960年1月18日 - )は、沖縄県コザ市(現・沖縄市)出身の歌手・DJです。

桑江知子は、1979年1月25日に「私のハートはストップモーション」(作詞:竜真知子、作曲:都倉俊一)で歌手デビューし、この曲はポーラ化粧品のCMでブレイクします。

当時、渡辺プロダクションが若者のニューミュージック指向を高めようと立ち上げたNON STOPプロジェクトの一員(他のメンバーは、大塚博堂・太田裕美・山下久美子・ルイス・ララ)で、その後歌手としては「二つの愛」「黄昏をワインに染めて」などを発表しますがデビュー曲ほどヒットせず、ロス・インディオスなどとのコラボレーションも行なうものの低迷します。

が、その間地方FMなどでのDJが好評だったため、歌手としての活動よりもそちらの方が本業となっていきます。

今日は、1979年1月25日に発売された、デビュー曲である「私のハートはストップモーション」をどうぞ。
 
私のハートはストップモーション/桑江知子

この曲は、オリコンチャートにおいて週間最高12位、14.8万枚のセールスを記録し、桑江知子自身最大のヒット曲となりました。

TBSテレビ「ザ・ベストテン」では、10位以内のランクインには至りませんでしたが、1979年3月29日に「今週のスポットライト」で同番組へ唯一の出演を果たしています。

また、同年12月31日にTBSテレビで放映された「第21回日本レコード大賞」では、倉田まり子(「HOW! ワンダフル」)や竹内まりや(「SEPTEMBER(セプテンバー)」)などの有力新人歌手を抑え、最優秀新人賞を獲得しました。
 
「SEPTEMBER/竹内まりや」 - 10.3万枚の売上げを記録! 第21回日本レコード大賞新人賞獲得曲!|Super源さんの音楽ブログ

「SEPTEMBER/竹内まりや」 - 10.3万枚の売上げを記録! 第21回日本レコード大賞新人賞獲得曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、竹内まりやの「SEPTEMBER」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。竹内 まりや(たけうち まりや、本名:山下まりや(旧姓:竹内) 1955年3月20日 -)は、島根



「春なのに/柏原芳恵」 - 33.4万枚を売り上げた、「ハロー・グッバイ」に次ぐ大ヒット曲!

今日は、柏原 芳恵の「春なのに」のご紹介です。

春なのに 柏原芳恵 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

柏原 芳恵(かしわばら よしえ、本名:柏原 芳恵(かしはら よしえ) 1965年10月1日 -)は、大阪府大阪市出身の歌手です。

柏原 よしえは、1980年6月1日、シングル「No.1」で歌手デビューをします。
そして、1981年10月15日発売の7枚目のシングル「ハロー・グッバイ」が大ヒット。

1982年10月1日、シングル「花梨」を発売。
同時に、名前を“よしえ”から“芳恵”に改名します。

その後は、「春なのに」(1983年、TBS系「ザ・ベストテン」で最高2位まで上昇)、「最愛」など、中島みゆき作詞・作曲による作品を中心に、トップ10ヒットを1981年から1986年の間に18作品出して行きます。

1980年代後半は、歌手としての活動よりも女優活動が目立つようになり、2時間ドラマに多数主演の他、映画にも出演します。

今日は、1983年2月10日に発売された通算枚6目のシングルである、「春なのに」をどうぞ。
 
春なのに/柏原芳恵

この曲の歌詞はこちら

この曲は、オリコンチャートで最高位6位を機記録、33.4万枚を売り上げ、柏原芳恵にとって「ハロー・グッバイ」に次ぐ大ヒットシングルとなります。
公称シングル売上げは61万枚で、TBS系『ザ・ベストテン』での最高位は2位。
また、柏原芳恵はこの曲で「紅白歌合戦」へ初出場を果たします。

柏原芳恵は、自著『恋人模様』で、「芳恵が選んだシングルA面曲ベスト5」の第1位にこの曲を挙げています。

この曲は、現在でも卒業ソングの定番としてよく知られています。

ちなみに、当時柏原 芳恵は14歳という低年齢でデビューしたために、同時期のアイドル歌手の間では孤立しがちでした。
そんな中で、岩崎良美だけは話を聞いてくれたため、とてもうれしかったと、後年「徹子の部屋」で語っています。