Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「ROBOT(ロボット)/榊原 郁恵」- 「夏のお嬢さん」が大ヒットした榊原郁恵の1980年のヒット曲

今日は、榊原 郁恵の「ロボット」のご紹介です。

ロボット 榊原郁恵 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

榊原 郁恵(さかきばら いくえ、本名:渡辺 郁惠(わたなべ いくえ)。旧姓、榊原 郁惠)は、神奈川県川崎市出身の元アイドル歌手、女優、タレントです。

榊原 郁恵は1976年、高校2年生の時に、ホリプロの主催する「第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン」で優勝し、芸能界に入ります。
そして、これを機に上京。CMや映画へ出演しはじめます。

翌年の1977年(昭和52年)1月1日には、歌手としてデビュー。
デビュー以降、アイドルとして「ナッキーはつむじ風」をはじめ、数多くのドラマやCMで人気を獲得します。
また、「明星」「平凡」「近代映画」などの表紙を度々飾り、またタレント歴代5位となるプロマイド月間売上1位獲得17回という実績をもちます。

1970年代後半には、ミッキーマウスの吹き替えの声優にキャスティングされ、ディズニーの特番にレギュラーで出演します。

歌手としては、7枚目のシングル「夏のお嬢さん」が自身最大のヒットであるものの、オリコンチャートでは最高11位にとどまり、これが自身の最高位となっています。
「NHK紅白歌合戦」には、1978年から6回連続出場し※ 、紅組トップバッターを2回務めます。

今日は、そんな榊原 郁恵の1980年(昭和55年)6月1日に発売されたヒット曲、「ROBOT(ロボット)」をどうぞ。
 
ROBOT(ロボット)/榊原郁恵

この曲の歌詞はこちら

いやー。(^o^) 今聴いてもノリノリの曲ですねー。
この曲の作詞は松本隆、作曲は筒美京平、編曲は船山基紀です。
私にとってこの曲は、榊原 郁恵が歌った多くのヒット曲の中でも、5本の指に入るお気に入りです。(^^)


※ 榊原 郁恵の「NHK紅白歌合戦」での歌唱曲詳細は、以下の通りです。

第29回 「夏のお嬢さん」 (1978年12月31日)
第30回 「ラブジャック サマー」 (1979年12月31日)
第31回 「ROBOT(ロボット)」 (1980年12月31日)
第32回 「シャイニング・ラブ」 (1981年12月31日)
第33回 「なごり雪」 (1982年12月31日)
第34回 「悲しきクラクション」 (1983年12月31日)

「彼は眠れない/沢田 研二」 - 名曲のご紹介

今日は、沢田 研二の「彼は眠れない」のご紹介です。

沢田 研二(さわだ けんじ、本名:澤田 研二 1948年6月25日 -)は、鳥取県鳥取市生まれ、京都府京都市出身の歌手、俳優、作詞・作曲家です。ニックネームはジュリー。妻は女優の田中裕子。前妻は元ザ・ピーナッツの伊藤エミ。

沢田 研二は、1971年11月1日に「君をのせて」でソロデビューをします。
オリコン最高位は23位どまりでしたが、この曲がGSの先輩であった「ザ・ワイルドワンズ」の加瀬邦彦プロデュースのもと、十数年にわたって音楽ランキングトップ10にチャートインし続けた沢田のソロ活動のスタートでした。

1973年4月21日に「危険なふたり」を発売。この曲は65万枚を売り上げ、ソロ初のオリコン1位を獲得し、第4回日本歌謡大賞を受賞します。
続いて翌年の1974年には、「追憶」が58万枚を売り上げ、2曲目のオリコン1位を獲得します。

今日は、彼は眠れないに発売された26枚目のシングルである、「彼は眠れない」をどうぞ。


彼は眠れない/沢田研二

ちなみに、沢田 研二は、1979年にPARCOのテレビCMで全裸で横たわり、上半身裸の新聞全面広告を掲載し、併せてPARCO各店には手で胸を隠した裸のポスターが貼られました。
翌年の1980年2月29日には、写真集「水の皮膚」を発売。
この写真集が、男性歌手としては初めてのオールヌード写真集となります。

この曲の歌詞はこちら

「芽ばえ/麻丘めぐみ」- 40万枚を超えるヒットとなったデビュー曲 デビュー当時のエピソード&現在の顔も紹介

今日は、麻丘 めぐみの「芽ばえ」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

麻丘 めぐみ(あさおか めぐみ、本名:藤井 佳代子 1955年10月11日 -)は、大分県生まれ、大阪育ちの女優、歌手、演出家です。



麻丘 めぐみは、1970年代を代表するアイドルの一人です。
当時、「牛若丸カット」と呼ばれた独特のカットの黒髪と、チャーミングな容貌、そして優しい歌声で、一時代を築きました。

麻丘 めぐみは、1972年に「芽ばえ」で歌手デビューをします。
この曲は、40万枚を超えるヒットとなり、第14回日本レコード大賞で最優秀新人賞を受賞します。

翌年の1973年には、「わたしの彼は左きき」が大ヒット。
この曲は、第15回日本レコード大賞で大衆賞を受賞し、同年の「第24回NHK紅白歌合戦」にも出場することになり、麻丘めぐみの代表曲となります。
 

「わたしの彼は左きき/麻丘めぐみ」 - 総計50万枚以上を売上げた麻丘めぐみの代表曲 麻丘めぐみと西城秀樹の間には子供がいた?|Super源さんの音楽ブログ


今日は、麻丘 めぐみの「わたしの彼は左きき」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。麻丘 めぐみ(あさおか めぐみ、本名:藤井 佳代子 1955年10月11日 -)は、大分県生まれ


麻丘めぐみ自身は左利きではありませんが、この曲のヒット時には、左手でサインを書いて見せたり、左手で箸を使って見せたりしていました。

今日はそんな麻丘めぐみの、デビュー曲である「芽ばえ」をどうぞ。( ^-^)/
 この曲の歌詞はこちら

麻丘めぐみは、"演歌のビクター"からのポップス系歌手第一号でもあります。

麻丘めぐみは、デビューするやいなや、そのキュートな「御姫様顔」がファンに人気を博します。

レコードジャケットの撮影場所は井の頭公園内です。
発売後着実にオリコンのヒットチャートを上昇。3ヶ月後には、第3位にランクされました。

そして、年間シングルチャート第17位にランクされ、1973年発売の「わたしの彼は左きき」に次ぐ40万枚を超すヒットを記録します。

「第14回日本レコード大賞」では、森昌子、三善英史、郷ひろみ、青い三角定規といった多くの新人賞受賞者の中で、最優秀新人賞を受賞しました。

麻丘めぐみのデビュー当時のエピソード

・初レコーディング時、ディレクターから、声が可愛くないとダメ出しされます。
麻丘めぐみは、幼少の頃から低い地声にコンプレックスを持っていたこともあり、この発言にショックを受け、その場で泣き出してしまい、当日のレコーディングはボツになりました。
そして、困惑した麻丘めぐみは、自分には歌手は無理だと、当時住んでいた久我山のアパートまで泣きながら帰ったといいます。

・日を改めてのレコーディングで、作曲者の筒美京平から「君は高音にさしかかる際、泣き声になるからそれを生かしなさい」とアドバイスを受け、敢えて高めの音域で歌うことを試みたところ、「可愛い声で歌えるじゃん」と、ようやくOKをもらったといいます。

・デビュー当初は、ステージ衣装が用意されていず、麻丘めぐみの母親が、安価の端切れを使って衣装を手づくりしていました。

麻丘めぐみの現在の顔は?

麻丘めぐみは、現在このようなお顔になっています。

麻丘めぐみ 現在の顔
出典:https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/03/12/jpeg/20180311s00041000201000p_view.jpg

2018年に撮影された写真のようなので、そうだとすると63歳のときのものとなります。

人によっては、もう誰だか分からなくなっていたりしますが、(^^; 麻丘めぐみの場合、当時とあまり変わっていませんね。おお!(゚o゚)