Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

Rss  Admin

「La plus belle pour aller danser(アイドルを探せ)/シルヴィ・ヴァルタン」 - フランス映画「アイドルを探せ」主題歌

今日は、シルヴィ・ヴァルタンの「La plus belle pour aller danser(アイドルを探せ)」のご紹介です。

アイドルを探せ シルヴィ・ヴァルタン ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

シルヴィ・ヴァルタン(Sylvie Vartan 1944年8月15日 -)は、ブルガリア生まれ、フランス・パリ育ちのフレンチ・ポップスの歌手です。

シルヴィ・ヴァルタンは、17歳の時にフランス音楽界に本格的デビューをします。
当初は、アメリカン・ロックのフランス語カバー曲を歌い、そのハスキー・ボイスと容姿とファッションで一躍アイドルとなります。

1963年3月 初めてアメリカに渡り、アルバム「Sylvie a Nashville」を、ナッシュヴィルRCA本拠地にてレコーディングします。

そして、1964年には、 「La plus belle pour aller danser(踊りに行く一番の美人 邦題:アイドルを探せ)」が大ヒット。オランピア劇場でビートルズと共演します。

シルヴィ・ヴァルタンは、ロックからバラードまで、広くダイナミックな公演活動をするエンターテイナーです。

今日は、1964年のヒット曲である「La plus belle pour aller danser(アイドルを探せ)」をどうぞ。
 
アイドルを探せ(La plus belle pour aller danser)/シルヴィ・バルタン(Sylvie Vartan)

この曲は、フランス映画『アイドルを探せ』(1963年)でシルヴィ・ヴァルタンが歌って世界中で大ヒットした曲です。
フランス語の原題は La plus belle pour aller danser(ダンスに行くのに一番きれいに)です。

シャルル・アズナヴールの作詞、ギリシャ生まれでフランスで活躍したジョルジュ・ガルヴァランツ(フランス語版)の作曲で、「Ce soir je serai la plus belle pour aller danser, danser, ...」で始まる歌詞に「今晩はきれいにして彼氏の心を捉えたい」という若い女性の心理が軽快なポップス調の曲にのせて歌われています。

日本語では、中尾ミエが、安井かずみの訳詩で歌っています。

原題の「La Plus Belle Pour Aller Dancer」は、英訳すると「The Most Beautiful To Go To Dance」となり「ダンスに行く中で一番きれいな人」の意味となります。

シルヴィ・バルタンは、この曲が発売された前年の1963年に(日本公開は1964年)「Cherchez L’idole」(邦題:アイドルを探せ)という映画に出演して主題歌としてこの歌を歌っており、日本発売にあたって映画の邦題がそのまま販促のため流用されました。
そのため、日本語では歌詞の内容とタイトルが全く関係ないという妙なことになっています。

レコードの売り上げは、日本では1位になり特に流行り、フランスとスペインでは2位、ベルギーのフランス語地域では3位を記録しています。

「Precious Time(プレシャス・タイム)/SPEED(スピード)」 - EPSON「カラリオ」のCMソング 累計62.3万枚を売り上げたミリオンヒット曲!

今日は、/SPEED(スピード)の「Precious Time(プレシャス・タイム)」のご紹介です。

プレシャス・タイム スピード ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

SPEEDは、メンバー全員が沖縄県出身の、女性4人組のボーカルダンスグループです。

SPEEDは、1995年に初めてテレビ出演しますが、その時は、「島袋寛子(小5/11歳)、今井絵理子(小6/12歳)、上原多香子(中1/12歳)、新垣仁絵(中2/14歳)」でした。

そして、1996年8月5日にシングル「Body & Soul」でデビュー。デビュー当時の平均年齢は13.5歳で、当時、メンバー全員が小中学生であったことが大きな注目を集めます。

その後は、「STEADY」「White Love」「my graduation」「ALL MY TRUE LOVE」など数々のヒット曲を飛ばしていきます。

今日は、そんなSPEEDの多くのヒット曲の中から、1999年2月17日に発売された通算7枚目のシングルである「Precious Time(プレシャス・タイム)」をどうぞ。
 
Precious Time(プレシャス・タイム)/SPEED(スピード)

この曲の歌詞はこちら

この曲は、累計62.3万枚を売り上げ(オリコン調べ)、SPEEDの楽曲では、初めて上原多香子と新垣仁絵のソロパートが導入された曲です。
この作品から、解散前のシングルすべてに上原と新垣のソロパートがあります。

この曲は、オリコンチャートにおいて累計62.3万枚を売り上げ、日本レコード協会ではミリオン認定されています。

またこの曲は、EPSON「カラリオ」のCMソングに使われました。

「落葉のコンチェルト/アルバート・ハモンド」 - 『カリフォルニアの青い空』と並ぶアルバート・ハモンドの代表曲!

今日は、アルバート・ハモンドの「落葉のコンチェルト」のご紹介です。

落葉のコンチェルト アルバート・ハモンド ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

アルバート・ハモンドOBE(Albert Hammond、1944年5月18日- )は、イギリス・ロンドン出身のシンガーソングライターです。息子はザ・ストロークスのアルバート・ハモンドJr.。

アルバート・ハモンドは、1969年、イギリスのボーカルグループ、The Family Doggに参加し、「A Way of Life」がUKでトップ10ヒットを記録します。

1970年代に入って、アメリカ移住後は、「カリフォルニアの青い空(It Never Rains In Southern California)」が大ヒット。シングルは、ビルボード誌で、1972年12月16日に週間ランキング最高位の第5位を獲得します。

その後、「フリー・エレクトリック・バンド」や「落ち葉のコンチェルト(For the Peace of All Mankind)」などが日本でヒットし、また作曲者としては、ホリーズの「安らぎの世界」やレオ・セイヤーの「ウェン・アイ・ニード・ユー」、カーペンターズの「青春の輝き」などのヒット曲を手がけています。

今日はその、「落葉のコンチェルト」をどうぞ。
 
落葉のコンチェルト(For the Peace of All Mankind)/アルバート・ハモンド(Albert Hammond)

この曲の歌詞はこちら

この曲は、1973年に発売されたアルバム・『The Free Electric Band(ザ・フリー・エレクトリック・バンド)』に収録されていた曲です。
日本でのみシングル盤が発売され、ロングヒットを記録しました。
そしてこの曲と、『カリフォルニアの青い空』の2曲は、アルバート・ハモンドの代表曲となりました。
 

「カリフォルニアの青い空/アルバート・ハモンド」 - 20万枚を売り上げた代表曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、アルバート・ハモンドの「カリフォルニアの青い空」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。アルバート・ハモンド(Albert Hammond、1944年5月18日-)は、イギ


しかし、「落葉のコンチェルト」は久しぶりに聴いたけど、やっぱりいい曲だなあ。(* ̄。 ̄*)ウットリ!
アレッ?(?_?)これ、何かそっくりな曲があるぞ?
ええと…、
(@_@)ウーン
(@_@)ウーン
(@_@)ウーン

分かった!(・_・)ノ ☆パチン!
ドリカムの「LOVE LOVE LOVE」だ!おぉ~っ!。w(゚゜)w

このメロディーをそのまんま使うとは、ドリカムなかなかやりますな。(^^;

「落葉のコンチェルト」誕生のエピソード

1972年に、アルバート・ハモンドは。ムーディー・ブルースのアメリカツアーのオープニングでアクトを務めたことがあります。
そして、その時に出会った女優テリー・ムーア と恋に落ちました。
「落葉のコンチェルト」は、その時の恋愛を描いたものです。

原題と邦題が違い過ぎる理由は?

この曲の原題は、「For The Peace of All Mankind(すべての人類の平和のために)」。
一方、邦題は「落ち葉のコンチェルト」。
あまりに違いすぎます。
一体全体、何故このようなことになったのでしょうか?

この曲の邦題の名付け親は、CBSソニーのディレクター高橋裕二です。
前述したように、この曲はアルバムからのシングルカット曲なのですが、シングルとして発売する際、タイトルが大げさでシングルには向かないと判断した高橋は、発売予定日の季節に合わせてこのように改題したのです。

この邦題について、アルバート・ハモンドは2016年のインタビューで「情景が浮かぶようで感動する」と好意的な見解を示しました。

ちなみに、アルバート・ハモンドは、2000年に大英帝国勲章を授与されました。