Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「Precious Time(プレシャス・タイム)/SPEED(スピード)」 - EPSON「カラリオ」のCMソング 累計62.3万枚を売り上げたミリオンヒット曲!

今日は、/SPEED(スピード)の「Precious Time(プレシャス・タイム)」のご紹介です。

プレシャス・タイム スピード ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

SPEEDは、メンバー全員が沖縄県出身の、女性4人組のボーカルダンスグループです。

SPEEDは、1995年に初めてテレビ出演しますが、その時は、「島袋寛子(小5/11歳)、今井絵理子(小6/12歳)、上原多香子(中1/12歳)、新垣仁絵(中2/14歳)」でした。

そして、1996年8月5日にシングル「Body & Soul」でデビュー。デビュー当時の平均年齢は13.5歳で、当時、メンバー全員が小中学生であったことが大きな注目を集めます。

その後は、「STEADY」「White Love」「my graduation」「ALL MY TRUE LOVE」など数々のヒット曲を飛ばしていきます。

今日は、そんなSPEEDの多くのヒット曲の中から、1999年2月17日に発売された通算7枚目のシングルである「Precious Time(プレシャス・タイム)」をどうぞ。
 
Precious Time(プレシャス・タイム)/SPEED(スピード)

この曲の歌詞はこちら

この曲は、累計62.3万枚を売り上げ(オリコン調べ)、SPEEDの楽曲では、初めて上原多香子と新垣仁絵のソロパートが導入された曲です。
この作品から、解散前のシングルすべてに上原と新垣のソロパートがあります。

この曲は、オリコンチャートにおいて累計62.3万枚を売り上げ、日本レコード協会ではミリオン認定されています。

またこの曲は、EPSON「カラリオ」のCMソングに使われました。

「落葉のコンチェルト/アルバート・ハモンド」 - 『カリフォルニアの青い空』と並ぶアルバート・ハモンドの代表曲!

今日は、アルバート・ハモンドの「落葉のコンチェルト」のご紹介です。

落葉のコンチェルト アルバート・ハモンド ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

アルバート・ハモンドOBE(Albert Hammond、1944年5月18日- )は、イギリス・ロンドン出身のシンガーソングライターです。息子はザ・ストロークスのアルバート・ハモンドJr.。

アルバート・ハモンドは、1969年、イギリスのボーカルグループ、The Family Doggに参加し、「A Way of Life」がUKでトップ10ヒットを記録します。

1970年代に入って、アメリカ移住後は、「カリフォルニアの青い空(It Never Rains In Southern California)」が大ヒット。シングルは、ビルボード誌で、1972年12月16日に週間ランキング最高位の第5位を獲得します。

その後、「フリー・エレクトリック・バンド」や「落ち葉のコンチェルト(For the Peace of All Mankind)」などが日本でヒットし、また作曲者としては、ホリーズの「安らぎの世界」やレオ・セイヤーの「ウェン・アイ・ニード・ユー」、カーペンターズの「青春の輝き」などのヒット曲を手がけています。

今日はその、「落葉のコンチェルト」をどうぞ。
 
落葉のコンチェルト(For the Peace of All Mankind)/アルバート・ハモンド(Albert Hammond)

この曲の歌詞はこちら

この曲は、1973年に発売されたアルバム・『The Free Electric Band(ザ・フリー・エレクトリック・バンド)』に収録されていた曲です。
日本でのみシングル盤が発売され、ロングヒットを記録しました。
そしてこの曲と、『カリフォルニアの青い空』の2曲は、アルバート・ハモンドの代表曲となりました。
 

「カリフォルニアの青い空/アルバート・ハモンド」 - 20万枚を売り上げた代表曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、アルバート・ハモンドの「カリフォルニアの青い空」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。アルバート・ハモンド(Albert Hammond、1944年5月18日-)は、イギ


しかし、「落葉のコンチェルト」は久しぶりに聴いたけど、やっぱりいい曲だなあ。(* ̄。 ̄*)ウットリ!
アレッ?(?_?)これ、何かそっくりな曲があるぞ?
ええと…、
(@_@)ウーン
(@_@)ウーン
(@_@)ウーン

分かった!(・_・)ノ ☆パチン!
ドリカムの「LOVE LOVE LOVE」だ!おぉ~っ!。w(゚゜)w

このメロディーをそのまんま使うとは、ドリカムなかなかやりますな。(^^;

「落葉のコンチェルト」誕生のエピソード

1972年に、アルバート・ハモンドは。ムーディー・ブルースのアメリカツアーのオープニングでアクトを務めたことがあります。
そして、その時に出会った女優テリー・ムーア と恋に落ちました。
「落葉のコンチェルト」は、その時の恋愛を描いたものです。

原題と邦題が違い過ぎる理由は?

この曲の原題は、「For The Peace of All Mankind(すべての人類の平和のために)」。
一方、邦題は「落ち葉のコンチェルト」。
あまりに違いすぎます。
一体全体、何故このようなことになったのでしょうか?

この曲の邦題の名付け親は、CBSソニーのディレクター高橋裕二です。
前述したように、この曲はアルバムからのシングルカット曲なのですが、シングルとして発売する際、タイトルが大げさでシングルには向かないと判断した高橋は、発売予定日の季節に合わせてこのように改題したのです。

この邦題について、アルバート・ハモンドは2016年のインタビューで「情景が浮かぶようで感動する」と好意的な見解を示しました。

ちなみに、アルバート・ハモンドは、2000年に大英帝国勲章を授与されました。

「愛の休日/ミッシェル・ポルナレフ」 - 「シェリーに口づけ」を超えるミッシェル・ポルナレフ最大のヒット曲!

今日は、ミッシェル・ポルナレフの「愛の休日(Holidays)」のご紹介です。

愛の休日 ミッシェル・ポルナレフ ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

ミッシェル・ポルナレフ(Michel Polnareff, 1944年7月3日 -)はフランス共和国ロット=エ=ガロンヌ県ネラック出身の男性ポップス・シンガーソングライター、作曲家です。
常に、派手なサングラスをかけているのが特徴で、フランスでは、国民的歌手として人気があります。
日本でも「シェリーに口づけ」、「愛の休日」などのヒット曲で知られています。

ミッシェル・ポルナレフは、幼少期からピアノやソルフェージュでアカデミックなクラシックの音楽教育を受け、コンセルバトワール(パリ音楽院)に通い、クラスで1番の成績を修めていましたが、その後エルヴィス・プレスリーの曲を聴いてロックンロールに目覚め、ギターを手に家出を決行。
ヨーロッパ放浪の旅の末、パリに戻ります。


ゆうちゃん



ミッシェル・ポルナレフは、プレスリーに会って人生が変わったんだね


しんちゃん



まさにその通りだね
だけど、家出をしちゃうなんてスゴいね
そして、有名なレコード会社「Disc'AZ」およびラジオ局「Europe 1」のディレクターであるルシアン・モーリスに出会い、レコード・デビューに至ります。

1966年、4曲入りEP「ノンノン人形(La poupee qui fait non)」でレコードデビュー。
続いて発売されたEP版「愛の願い(Love me, please love me)」も大ヒットし、一躍スターダムに上り詰めます。
同年10月、日本でのレコード発売が決定し、テイチクよりシングル「ノンノン人形」が発売されます。

1971年8月、日本ではCBSソニーよりシングル「シェリーに口づけ(Tout, tout pour ma cherie)(c/w 初めての愛)」と、同曲を追加収録したファースト・アルバム「愛と青春のトルバドゥール/ミッシェル・ポルナレフ 1」が発売されます。
日本での人気はこの時に火がつき、「シェリーに口づけ」がラジオ・チャートでトップ入りし、40万枚を売り上げる大ヒット・シングルとなったことで、実質的にはこの時点がミッシェル・ポルナレフの日本でのデビューとされています。

今日は、そんなミッシェル・ポルナレフの多くのヒット曲の中から、1972年に発売された 「愛の休日」をどうぞ。
 
ミッシェル・ポルナレフ(Michel Polnareff)/愛の休日(Holidays)

この曲は、「シェリーに口づけ」を超える、彼の最大のヒット曲となりました。
そして、1972年11月には初の来日公演が実現。
このときのバック・バンドは、フランスのロック・バンド、ディナスティ・クリジス(Dynastie Crisis)で、東京公演を録音したライヴ盤「ポルナレフ・ア・トーキョー」が翌年の1973年に日本でのみ発売されました。

また、この日本での大人気に乗じて、翌年に予定されている次作アルバムについて日本先行発売をする計画が発表されました。

ミッシェル・ポルナレフの素顔は?

ミッシェル・ポルナレフは、その特徴的なサングラスから、素顔を想像することは非常に難しいですが、実はこんな繊細な顔をしています。


※写真は、こちらからお借りしました。

この顔からこのような素敵な曲が生まれるというのは、何か納得という気がします。

ちなみに、当時ミッシェル・ポルナレフが人気を博した理由には、この金髪の巻き毛と大きなサングラスという斬新(ざんしん)なルックスも大きかったものと思われます。

しかしながら、この素顔を隠すサングラスに関しては、ファッションだけが理由ではありませんでした。
当時、ミッシェル・ポルナレフは白内障を患(わずら)っており、失明一歩手前の状態で、手術を受けたことが分かっています。