Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「私の16才/小泉今日子」- この後ヒット曲を連発するアイドル小泉今日子のデビュー曲! 原曲は森まどかの「ねえ・ねえ・ねえ」

今日は、小泉 今日子の「私の16才」のご紹介です。

私の16才 小泉 今日子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

小泉 今日子(こいずみ きょうこ、本名:同じ、1966年2月4日 -)は、神奈川県厚木市出身の歌手・女優です。愛称はキョンキョン(KYON2)。

小泉 今日子は、1981年1~3月に、日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生!」に出場し、石野真子の「彼が初恋」を歌って合格します。

そして、1982年3月21日に「私の16才」でアイドル歌手としてデビュー。
その後、「素敵なラブリーボーイ」「ひとり街角」「春風の誘惑」「まっ赤な女の子」と、ヒットを飛ばしていきます。

1985年に発売された曲、「なんてったってアイドル」は、曲中で、自らをアイドルと称する斬新さが話題になります。

1989年には、自身のアルバム「KOIZUMI IN THE HOUSE」で、当時はまだあまりメジャーではなかったハウスミュージックを取り入れたことで、話題を呼びます。

また、小泉 今日子の同期には、石川秀美、松本伊代、早見優、三田寛子、堀ちえみ、シブがき隊、中森明菜などがおり、「花の82年組」の1人でした。

小泉 今日子は、女性歌手の中では浜崎あゆみ、モーニング娘。、倉木麻衣、安室奈美恵に次いで、オリコンベスト10入りした曲の数において歴代5位(「春風の誘惑」(1983年2月発売)から「潮騒のメモリー」(2013年7月発売)まで34作)であり、小泉 今日子の人気がいかに長期間続いたかということが伺われます。

今日は、そんな小泉 今日子の多くのヒット曲の中から、デビュー曲である「私の16才」をどうぞ。
 
私の16才/小泉今日子

ちなみに、この曲は、1979年4月25日に発売された森まどかの「ねえ・ねえ・ねえ」のカバー曲です。

原曲はこちら。

ねえ・ねえ・ねえ/森まどか

森まどかのオフィシャルサイトはこちら。

森まどかオフィシャルサイト
https://www.morimadoka.com/

「風」 - 名曲のご紹介

今日は、はしだ のりひこの「」のご紹介です。

はしだ のりひこ(本名:端田宣彦、1945年1月7日 -))は京都府京都市生まれのシンガーソングライター、フォークシンガーです。
1968年の後半に結成したカレッジフォーク・グループ、ポップ・フォーク・グループで、作詞・北山修、作曲・端田宣彦による、「」の大ヒットで知られています。

はしだ のりひこは、1964年にドゥーディ・ランブラーズの一員としてデビューします。
その後、加藤和彦に請われて1968年にザ・フォーク・クルセダーズの一員として参加しますが、同年10月に解散後、「はしだのりひことシューベルツ」、「はしだのりひことクライマックス」、「はしだのりひことエンドレス」と、次々にグループを作っては解散し、最終的にはソロに転向します。

今日は、はしだ のりひこの代表曲である「風」をどうぞ。


風/はしだのりひことシューベルツ

「白いサンゴ礁/ ズー・ニー・ヴー」 - オリコン18位、17.7万枚を売上げたズー・ニー・ヴーの代表曲

今日は、ズー・ニー・ヴーの「白いサンゴ礁」のご紹介です。

白いサンゴ礁  ズー・ニー・ヴー ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

ズー・ニー・ヴー(Zoo Nee Voo)は、1960年代に一斉を風靡したグループ・サウンズ(通称GS)のひとつです。

メンバーは、町田義人(ボーカル)、山本康生(リード・ギター)、塚谷茂樹(ベース・ギター)、大竹茂(ドラムス)、桐谷浩史(キーボード)で、結成当時は「ZOOM BOOM 5」という名前でした。

バンドの特徴としては、R&B路線の強いものでしたが、「白いサンゴ礁」のヒットで注目を集めます。
この曲は、発売当初はB面に収録されている曲でしたが、ヒットしたために後年発売された再発盤では、AB面が逆になっています。

今日は、1969年4月に発売された、通算2枚目で、彼らの代表曲でもある、その「白いサンゴ礁」をどうぞ。
 
白いサンゴ礁/ズー・ニー・ヴー

この曲の歌詞はこちら

この曲は、最初はB面でしたが、ヒットしたために、後に発売された再発盤ではAB面が逆になっています。
ジャケットは見開き仕様だったため、オリジナルデザインの片面がそのまま使用されました。

オリコン最高位18位、累計売上17.7万枚を記録しています。

町田義人(ボーカル)のその後

ボーカルの町田義人は、1970年にズー・ニー・ヴーを脱退し、ソロに転向。
1978年に公開された映画『キタキツネ物語』で、同作品の音楽担当だったタケカワユキヒデに指名される形で、主題歌の「赤い狩人」を歌います。

同年、ニット帽にサングラスというスタイルで、角川映画『野性の証明』の主題歌「戦士の休息」を歌い、オリコン最高位6位、累計売上29.5万枚を記録。
 
戦士の休息/町田義人

その後も、地道に歌手活動を続け、TV主題歌やアニメソングなどでも知られています。
変わったところでは、『オレたちひょうきん族』のタケちゃんマンロボのテーマ「愛より強く」、CMソング・ロッテ「小梅ちゃん」などがあります。

なお、現在は、歌手活動を休業し、メルボルンで彫刻家として活動しているとのことです。